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Intelligence Trap:知能の高い人でも間違った判断を犯す6つの理論

  • 投稿カテゴリー:人が変わる / 組織が変わる
  • 投稿の最終変更日:2026年1月4日
  • 読むのにかかる時間:11 mins read

能力が低いのに、自分の能力を過大評価して迷惑な行動を取る人たちがいます。それとは反対に、能力が高いのに愚かな発言や行動をとってしまう人たちもいます。知性や学問や教育は、さまざまな認知エラーから私たちを守ってくれないだけでなく、賢いからこそ愚かな思考に陥る可能性もあるのです。

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はじめに

みなさんは「ダニングクルーガー効果(Dunning Kruger Effect)」を知っているでしょうか?

特定の分野で能力の低い人が自分の能力を過大評価することを表す認知バイアスです。
アメリカの社会心理学者のデイビッド・ダニング(David Dunning, 1960 – )ジャスティン・クルーガー(Justin Kruger)によって1999年に提唱され、その後、ビジネス、政治、医学、運転、学習や試験など、さまざまな分野における研究で実証されています。

その具体例として、周りの人たちに迷惑ばかりかけているのに「自分はできる」と自分の仕事を過大評価したり、異性にモテないのに「自分はモテる」と思っている人が挙げられます。

逆に、異性にモテるのに「自分はモテない」と思っているなど、能力の高い人が自分を過小評価する傾向を含めることもありますが、これは「インポスター症候群(Impostor syndrome)」とも呼ばれます。

ダニングクルーガー効果は、専門知識やスキルが不足していて自分の能力の低さに気づけなかったり、自分の能力を客観的に見れないことなどが原因です。

無能とは、有能と無能の違いを区別できないことを含むため、無能な人は自分の無能さを認識することが困難です。そのため「二重の負担」と呼ばれることもあります。自己の過大評価(認知バイアス)と、その欠陥に気づかない(メタ認知の欠如)という2つの負担を抱えているからです。

アメリカの心理学者であり、ベストセラー作家のアダム・グラント(Adam Grant)は、その著書『Think Again: The Power of Knowing What You Don’t Know(邦題)発想を変える、思い込みを手放す』の中で、ダニングクルーガー効果は誰にでも起こりうると述べています。

私たちには、何かを学び始めてスキルが向上する段階で、自信が実力よりも上回る場面があります。学習を始めた初期段階で自信が急上昇する「馬鹿の山(Mount Stupid)」を登り、その後、知識が増えるにつれて自信が低下する「絶望の谷(Valley of Despair)」を経て、知識と自信がバランスよく高まる「啓蒙の坂(Slope of Enlightenment)」へと進むと説明しています。

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賢い人でも、愚かな思考に陥る

さて、今回詳しく紹介するのは、知能が低い人たちについてではなく、逆に知能の高い人たちでも愚かな発言や行動をとってしまうという現象についてです。

一般的に、IQが高く頭の良い人たちは、教養があり、良識があり、総じて正しい判断をすると思われていますね。

しかし、そのような頭の良い人たちでも、普通の人たちよりもはるかに間違った行動を取ることがあるのです。知性や学問や教育が、さまざまな認知エラーから私たちを守ってくれないだけでなく、賢いからこそ愚かな思考に陥る可能性があるのです。

例えば、知的で教育を受けた人の中には、過ちから何かを学んだり、他人の助言を素直に受け入れることができない人たちがたくさんいます。他人の判断の間違いは指摘できるのに、自分自身の判断の間違いが認識できません。

さらに悪いことに、そのような人たちは下手に頭が良いため、自分の主張を正当化するために巧妙な論理を組み立てることができます。過ちを犯したとしても、自分を防御するだけでなく相手を反撃することに成功し、ますます独断的になる傾向を強めます。

人間の脳や行動に関する書籍の作家であるデビッド・ロブソン(David Robson)が、これらの現象に興味をそそられ、幅広い分野を調査し、その結果をまとめたのが、2019年に書いた著書『The Intelligence Trap(邦題)なぜ、賢い人ほど愚かな決断を下すのか』です。

ロブソンは、ノーベル賞受賞者や大企業の経営者など、とても賢いにもかかわらず、信じられないほど愚かな決定を下す数多くの事例を発見しました。

その書籍の中で紹介されている理論や、本では紹介されていない理論も合わせて、賢い人が愚かな思考に陥る背景にある心理や性質を紹介しましょう。なお、紹介する理論には正確な日本語訳が見つからないものもあり、そのようなものには適切だと思われる訳を付けています。

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専門知識の錯覚:Illusion of expertise

専門知識の錯覚(Illusion of Expertise)」とは、自分が実際よりも高度な専門家であるように振る舞う心理現象です。表面的で浅い理解しかなかったり、過去の成功事例に囚われて、深い理解や実行力を欠く状態を指します。

ダニングクルーガー効果のように知識不足なのに自信過剰になったり、専門用語の羅列や曖昧な表現で専門性を装う「知識の錯覚 (Illusion of Knowledge)」や、物事をコントロールできていないのに、できていると信じ込む「コントロールの錯覚 (Illusion of Control)」とも関連しています。

以下がその主な特徴です。

自信過剰:自身の能力や知識を実際より高く評価し、自分の限界を認めず、知らないことでも知っているかのように振る舞う。
知識の断片化:断片的な情報や流行りの言葉を知っているだけで、体系的な理解を欠く
実行性の欠如:概念は理解していても、実際に自分の行動に落とし込むことができない
専門家を装う:知っている人の名前を挙げたり、曖昧な表現を使ったりして、自分を権威づけようとするが、具体的な説明はできない
謙虚さの欠如:本物の専門家が持つ謙虚さがなく、批判に対して攻撃的になったり、防御的になったりする
成功法則への固執:成功者の「型」に倣えば誰でも成功できると信じ込み、成功パターンに固執する
責任転嫁:失敗を他人のせいにしたり、言い訳したりして、責任を認めない

このような偽専門家を見分けるポイントには次のようなものが含まれます。

  • 具体的な質問には答えず抽象的な話に終始する
  • 繰り返し説明を求めてもこちらが理解できるような回答が返ってこない
  • 「〜するべきだ」といった断定的な物言いを多用する

この錯覚は、個人レベルでは深く学ぶ機会を奪い、組織レベルでは非効率な意思決定を招く可能性があります。

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獲得的独断主義:Earned dogmatism

獲得的独断主義(Earned dogmatism)」とは、専門家を自認する人が、実際には限られた知識しか持っていないにもかかわらず、その知識に過度に固執し、閉鎖的になる心理現象を指します。専門家としての自信(と自称)が、批判的な情報を受け入れにくくし、頑なな態度に繋がります。

さきほど紹介した「専門知識の錯覚」は、実際には知識が少ないにもかかわらず、自分は専門家だと信じ込んでいる状態でしたが、「獲得的独断主義」は、新しい情報や異なる意見に対して耳を貸さず、自分の意見を曲げない閉鎖的な考えです。自分の知識レベルへの自信とプライドが、独断的かつ防御的な態度を強め、多様な意見を受け入れることを妨げるのです。

具体例として、ある分野の入門書を読んだだけで、それがすべてだと思い込んで、反する意見を聞き入れなくなったり、自分が「詳しい」と信じていることの間違いを他人から指摘されても訂正できない人が含まれます。

これは以前紹介した「保有効果(Endowment effect)」や「損失回避(loss aversion)」とも関係しています。保有効果とは自分が手に入れたものを高く評価する傾向を示す言葉で、損失回避は手に入れたものを失うことを嫌う傾向を示す言葉です。

私たちは、一度手に入れたものを高く評価し、それを失いたくないのです。自分が手に入れた専門性についてもそれが当てはまります。「専門家」の帽子をかぶった途端に、さらに多くを吸収して専門性を高めていったり知識を更新しようと考えるのではなく、それを失いたくないという消極的で閉鎖的な考えが芽生えるのです。獲得した見解に固執し、それを修正することは受け入れがたい損失のように感じられるのです。

私たちは一般に、専門家は創造的で分析力に富んだ人物だと考えがちですが、研究によると、「専門家」というレッテルはむしろ独断的な考え方を誘発する可能性が高いことが示唆されています。

以前本サイトで紹介した実業家ヘンリー・フォードは「私たちの誰一人として専門家ではない」と言いました。
「専門家の精神状態に入った瞬間に、多くのことが不可能になる」とも言いました。

専門家はとても賢いので、何かしようとするとそれができない理由を常に探し出そうとします。専門家はプライドが傷つけられることを何としてでも回避しようとします。だからこそ、フォードは決して専門家を雇わなかったのです。

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専門知識の過度な一般化:Overgeneralization of expertise

私たちは、ある分野の専門家が、別の分野に関しても、あたかもその分野の専門家でもあるかのように発言する姿を見ることがありますね。

例えば、医者なのに経済政策について断定的に語ったり、起業家が何の関係もない環境問題について浅い示唆をするような場面をテレビ番組でよく目にします。

そのような行為や傾向には、文脈によっていくつかの呼び方がありますが、ここでは「専門知識の過度な一般化(overgeneralization of expertise)」と紹介しておきましょう。

専門家ファラシー(expert fallacy)」、「偽りの権威(false authority)」、「専門性の越境的誤用」、「エピステミック・トレスパス / 認知的不法侵入(Epistemic trespassing)」も同じ現象を表す言葉で、いずれも専門分野で得た成功や知識が、無関係な他の分野にも通用すると誤認すること、ある分野の専門家が専門外の分野に踏み込み、あたかもその分野の専門家であるかのように振る舞う行為を指す言葉です。

ノーベル賞症候群(Nobel Prize syndrome / Nobel Disease / Nobel Effect)」もそうです。
ノーベル賞受賞者が、受賞後にまったく専門外の分野で誤った主張を始める現象を指し、「ノーベル賞」ならぬ「ノーベル症」と呼ばれることもあります。ノーベル賞受賞者でさえ、専門家ファラシーに陥ってしまうことがあるわけです。特定の分野でノーベル賞を受賞したことと、受賞者のその他の分野での正当性は全く別物です。受賞者の発言のすべてが正しいわけでもありません。

専門家側にそのような問題がある一方で、それを受け止める側である私たちにも問題があります。

専門分野がまったく異なるのにも関わらず、彼らの主張を違和感なく受け止めているからです。これには「ハロー効果(Halo Effect)」が影響しています。私たちには、ある分野で際立って良い特性を持っている人に対して、その他の特性でも実際よりも良く評価する認知の癖があります。

これには、人や出来事や行動などの間に関係が何も存在しないにもかかわらず、あたかも関連性があると誤認する「錯覚的相関(illusory correlation)」も関係しています。

私は、しばらく前に見たある報道番組で、コメンテーターとしてゲスト出演していた東大卒クイズ王の伊沢拓司が司会者から中東問題に対して発言を求められた場面を覚えているのですが、彼は、他のコメンテーターとは異なり、「私は何かコメントをできるほど中東で起きていることを理解していないが、私個人として○○ということを意識していきたい」というようなコメントをしていて素晴らしいと思いました。

専門家はこのような謙虚さを持たなければなりません。真の専門家であるほど、高い謙虚さを持つ必要があります。それが信頼性を高めるのです。真の専門家は、自分が過信に陥っていないか常にアンテナを張り、自身の知識の限界を理解し、他人の意見に耳を傾け、継続的に学習し続け、知識を更新していく必要があるのです。

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権威バイアス:Authority bias

先ほど紹介したハロー効果とも関係しますが、専門家や高い役職や肩書や地位や知名度などを持つ権威的な人物の意見が、無関係な分野でも信頼されてしまう現象を「権威バイアス(Authority Bias)」と言います。

人間は社会的な生き物です。権威に逆らわず服従することは生存や社会秩序の維持のために必要だった側面があり、権威バイアスは私たちに本能的に備わっている機能です。ただし、誤った判断や盲従につながる危険性もはらんでいます。

私たちは成功した事業家がSNSで勧めるサプリを飲み始めたり、有名なインフルエンサーが広告しているから商品を買ったりしますね。

「医者が言っているから」「社長がそう言うのだから」と、内容を疑いながらも、権威に流されて指示に従ってしまうこともあります。逆にこのバイアスを利用して、白衣を着ているだけで本物の医師のような信憑性を与えたり、警察を語って相手を委縮させようとする詐欺もあります。

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ディスラショナリア:Dysrationalia

ディスラショナリア(Dysrationalia)」は、世界で最も影響力のある認知心理学者の一人であるキース・スタノヴィッチ(Keith Stanovich, 1950 -)によって1990年代初頭に提唱されました。

知能が高いにもかかわらず、バイアス、悪い習慣、そして論理的思考の不適切な使用によって合理的に考えることができないことを指す言葉で、簡単に言うと「頭はいいが合理性に欠ける」ことです。

ディスラショナリアを持つ人は、IQが高く学校やテストで良い成績を収めますが、誤った判断や論理的な誤りを犯します。例えば、自分の信念に反する証拠を無視したり、論理ではなく感情に基づいて意思決定をします。

スタノヴィッチは2009年の著書『What Intelligence Tests Miss: The Psychology of Rational Thought(邦訳)知能検査が見逃すもの』の中で、合理的な思考能力と知能指数(IQ)は驚くほど無関係であることを示しました。

つまり、「知能指数 ≠ 合理的思考」です。

むしろ、スタノビッチは、SAT(アメリカの大学共通テスト)のスコアが高い人は、そうでない人よりも「バイアスの盲点(Bias blind spot)」がわずかに高いことを発見しました。知的レベルの高い人は、その他の課題においても、他の人よりも優れた成績を収められると考える傾向が高かったのです。

これには「自信過剰バイアス(overconfidence bias)」の他に、自分の信念や価値観に沿う情報のみを集める傾向を示す「確証バイアス(Confirmation bias)」や、自分の経験や情報の利用可能性によって思考が制限される「利用可能性バイアス(Availability bias)」が関係しています。

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情動リアリズム:Affective realism

情動リアリズム(Affective realism)」は、以前本サイトで紹介した心理学者リサ・フェルドマン・バレット(Lisa Feldman Barrett)によって提唱された概念で、感情は単なる反応ではなく、現実の認識や私たちの経験を構築する基盤となるものであり、感情は認知や知覚から切り離されたものではなく、見るものや解釈するものに影響を与え、私たちに「感じたものを信じる」ように仕向けるというものです。

究極的には、ここまで紹介したような権威バイアスや獲得的独断主義の根底に、情緒的リアリズムがあります。

権威は私たちに、信頼、尊敬、賞賛といった感情を呼び起こします。これらの感情が、権威者の発言をより信頼できる、あるいは真実であると認識する色彩を強めます。権威バイアスが自然に感じられるのは、私たちの感情がそれを信頼できると見なすものを形作るからです。

獲得的独断主義は、ある信念を努力、苦闘、アイデンティティ、道徳的投資などを通じて獲得したと感じ、感情によってそれに固執してしまうことです。私たちが時間や労力を費やして獲得した信念には、プライドやアイデンティティなど強い感情が伴います。これらの感情は、私たちが自分の内面的な信念を現実のものとして経験する方法の一部となります。信念に対立するものは、単なる知的な意見の相違としてではなく、感情的な脅威として感じられるのです。

つまり、私たちの内的世界が外的現実に色を付けるのです。そして感じたことがどのように認識するかに影響を与え、私たちは感じたことを信じるのです。これがさまざまなバイアスを引き起こす根底にあるものです。

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さいごに

今回、知能の高い人でも間違った判断を犯すことに関連する6つの理論を紹介しました。

認知神経科学および応用認知心理学の分野における著名な研究者であるイティエル・ドロール(Yitiel Dror)は専門家であればあるほど、ある意味で脆弱性が高まる」と言います。

つまり、私たちは知識不足で正しい行動が取れないことを避けるだけでなく、知識を積み上げて思い上がったり偉そうになる危険性も認識しなければなりません。デビッド・ロブソンは日本語を引用し「初心(shoshin)」の大切さを説いています。

以前本サイトでは、道徳的価値観の低い人が権力を手に入れると、自信過剰になり、他人のアドバイスを受け入れなくなると共に、自己利益に走り、チームの正しい判断を妨害するようになると書きました。

また別の記事では、社会的弱者が力を手に入れた場合も、相違する意見を受け入れなくなり、主張の健全性を失っていくと書きました。

今回紹介した知性や専門性という「力」を手に入れることにも同様の弊害があります。

そして、これらの罠への対応策は共通しています。

私たちは、その「力」を手に入れる前に準備しておかなければなりません。道徳心を強化しておかなければならないのです。これらの力が持つパワーはあまりにも強力であるため、準備することなくその力を手に入れてしまうと、力に翻弄されて対処できなくなるのです。力を手に入れてからでは時すでに遅しなのです。

メディアでも、専門家のみならず、そのような力に惑わされた経営者、政治家、スポーツ選手、芸能人が犯した過ちに関するニュースが繰り返されています。

必要なのは、道徳性であり、人間として誠実であることです。自分の限界を知り、自分の特性を知り、おごることなく自分が持つ知識や情報を塗り替えていく柔軟さと謙虚さです。社会や組織の階段を昇るほど、この道徳性、謙虚さ、正しい自己認識が求められてきます。そして、階段を登り始める前にこれらを準備しておかなければならないのです。

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