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本当に合理性は必要か、望ましい結果をもたらすのか?

  • 投稿カテゴリー:人が変わる
  • 投稿の最終変更日:2023年3月4日
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「本当に合理性は私たちに望ましい結果をもたらすでしょうか?」
個人レベルでは、ある程度感情にまかせた方がよいこともあるでしょう。しかし、能力がなければ、必要な時に正しい判断はできません。また、合理性を身に付けることで、合理性を必要としない場面でも、過度に意識しなくても、よい判断を自然に即座にできるようになれるのです。

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はじめに

前回、人間の不合理を扱う書籍を2冊紹介しました
うち1冊は、イギリスの心理学者であり作家のスチュアート・ サザーランド(Stuart Sutherland:1927 – 1998)が1992年に著した「Irrationality(邦訳版)不合理 誰もがまぬがれない思考の罠100」です。
もう1冊は、カナダ生まれの認知心理学者であり、ベストセラー作家でもある、ハーバード大学心理学教授スティーブン・ピンカー(Steven Pinker:1954 – )2021年著の「Rationality(邦訳版)人はどこまで合理的か」です。

今回は前回紹介しきれなかった人間の不合理性について、特にサザーランドの書籍「Irrationality」から紹介していきます。

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利用可能性ヒューリスティック(availability heuristic)

私たちは、事実に基づいてではなく、印象が強いものとか、ぱっと最初に頭に思い浮かんだもので物事を判断しようとします。そのようなバイアスを「利用可能性ヒューリスティック(availability heuristic)」や「利用可能性バイアス(availability bias)」と言います。

例えば、実験の参加者たちに男女の名前が書かれたリストを読んでもらいます。リストには架空の名前もあれば、有名人の名前もあります。リストの男女比率はほぼ半々です。リストを読んでもらった後、参加者に、男性の名前が多かったか、女性の方が多かったか質問しました。
すると、リストに男性の有名人が多く含まれていて、女性の多くはほとんど知られていなかった場合、参加者は女性よりも男性の方が多いと思いました。そして、その逆の場合も同様の結果でした。

これは前回紹介した「突出バイアス(Salience bias)」とも関連します。突出バイアスによって際立って突出した情報を強調し、人、出来事、行動などの要素の間に関係が存在しないにもかかわらず、関係があると間違って認識する現象を「錯覚的相関(illusory correlation)」と言います。希少性や新規性が高いものほど目立ってしまうため、誤った関連付けがなされる可能性が高くなります。

例えば、外国人が起こした事件は、日本人が起こした事件より多く報道されがちです。
少数派は、多数派よりも目立ち、印象が強いからです。そして、たとえ、犯罪行為をする頻度がその他大勢の日本人たちと同程度であっても、それを少数派に関連付けてしまう傾向があります。

また、外国人と言えば、私は海外で長く仕事をしてきましたが、よく現地にいる日本人から「〇〇人はまじめだ」とか「□□人は不親切だ」、「△△人は楽観主義」などと言う声を聞きました。一方で「日本人はまじめ」という意見もよく聞かれますが、すべての日本人がまじめということはあるでしょうか?
人それぞれですよね。
どんな国の人たちであれ、その中にはまじめな人もいれば、そうでない人もいますし、全ての人が不親切だったり楽観主義ということもありません。私たちは、一部の人の特性を安易に全体に当てはめてしまう間違いを犯します。

また、高齢運転者は事故を多く起こしがちだと思われがちです。ニュースを見て「あー、また高齢運転者の交通事故だ」と思うこともあるでしょう。しかし、内閣府のデータを見ると、そもそも全体の運転免許保有者数における高齢者の割合が増えているので、事故の割合が増えるのもおかしくはありません。
むしろ、データでは、高齢運転者による死亡事故件数の割合は年々減ってきています。ただし、死亡事故の人的原因比較で見ると、75才以上の高齢運転者のブレーキとアクセルによる踏み違い事故は、75才未満に比べて高いようです。

著者のサザーランドは、アメリカの雑誌「ザ・ウィーク(The Week)」に掲載された記事を取り上げています。その記事では「夜は朝よりも4倍交通事故による死亡者が多いため、夜7時以降に運転した場合、朝7時以前に運転する場合よりも4倍死亡率が高い」と論じました。しかし、この主張は間違っています。朝も夜も運転しているのに死亡しなかったドライバーの数を無視していますし、夕方の方が朝の4倍の数の車が走っていたことも無視していたからです。

私たちは、確立や統計を無視し、少ないサンプル数や目立ったサンプル事例から全てを結論付けようとするのです。

「私の父は99歳まで生きたが、1日に100本のタバコを吸っていた。だからたばこを吸っても問題ない」
「私の祖父はいつも朝食にジンを1本飲んでいたが、1日も病気をしなかった。だから、お酒は無害だ」

重要なのは、例外的な個人のケースではなく、喫煙や飲酒によって死亡したり病気になったりする確率の方です。そのためには1つのサンプルだけでは不十分で、大量のサンプルが必要です。不合理な判断は、典型的ではない結果をもたらす小さなサンプルに過剰な注意を払った結果であることが多いのです。
限られた数のサンプルに関する情報から結論を導き出す前に、サンプルの統計について理解することが重要です。

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ハロー効果(halo effect)

利用可能性ヒューリスティックと関連するものに「ハロー効果(halo effect)」があります。ある人が、外見がいいとか、頭が良いなど、際立って良い特性を持っていると、その人の他の特性も実際よりも良く他人から判断されやすいという効果です。

ある研究で、作文問題に対する解答を、ひとつは上手な字で、ひとつは汚い字で書き写しました。試験の採点者は、筆跡は無視して純粋に内容で採点するように指示されたのにもかかわらず、平均して、良い字で書かれた解答は、汚い字で書かれたものよりもかなり高い点数を獲得しました。

物理学雑誌のようにバイアスが生じないだろうと思われる分野でも、ハロー効果は生じます。調査によると、物理学の分野で有名な大学や研究機関に所属する研究者の論文は、そうでない研究者の論文より雑誌に掲載されやすかったのです。

なお、ハロー効果と反対の効果として「デビル効果(devil effect)」というものもあります。これは、逆ハロー効果(reverse-halo effect)や、ネガティブハロー効果(negative halo effect)ホーン効果(horn effect)とも呼ばれます。ある人に目立った悪い特徴があると、それに引きづられて、それとは直接関係のないその他の評価も下がってしまう効果があるというものです。

そして、何か悪いことが起きると、関連性がないにもかかわらず、その目立った悪い特徴が原因だと決めつけてしまうことさえあります。極端な例ですが、著者は、陪審員を務め、未成年者のレイプ事件を審理していたときの事例を挙げています。陪審員の1人が冒頭で、被告人についてこう言ったそうです。

「私は被告人の見た目が気に入りません。有罪にすべきです。」

人は善と悪の混在した存在です。私たちは、どんなに際立った特徴があったとしても、それをその人の他の特徴の判断材料にしてはいけませんし、見た目が悪いからといって、人を犯罪者扱いすることもしてはいけません。

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根本的な帰属の誤り(Fundamental Attribution Error)

次のような研究結果があります。2人の人物を観察し、一方がクイズを出題し、もう一方がそれに答えようとする様子を観察しました。当然ながら、出題者はすべての問題の答えを知っていますが、回答者の方は知りません。
クイズが終わると、それを見ていたほとんどすべての被験者が、問題を出した人の方が答えた人よりも知識が豊富で頭がいいと評価したのです。出題者はみな自分が答えを知っていて、回答者が答えられないような質問をできるだけ選ぼうとする、という状況を無視しているのです。

行動の原因には、人の特性や能力と、その人が置かれた状況や環境の両方が作用しています。しかし、私たちは他人の行動に対しては、その人が置かれた状況や環境によるものではなく、その人の特性や能力に結び付けてしまう過ちをよく犯します。

例えば、人がミスした場合は、その失敗の原因はその人の努力不足や能力不足にあるとして、ミスを引き起こした環境や状況などの背景を軽視します。このバイアスを「根本的な帰属の誤り(Fundamental Attribution Error)」と言います。これは以前本サイトでも紹介しました

他人のミスはその人のせいにする一方で、自分がミスした場合は、そのミスの原因を自分のせいにするのではなく、自分の身の回りの状況や環境のせいにします。自分がバナナの皮で転んだ時は、「誰がバナナの皮をこんなところに置いたんだ!」と置いた人のせいにし、他人が転んだ時は、「注意して歩かないとダメだよ!」と転んだ人の不注意のせいにします。自分が「行為者」になった場合と「観察者」になった場合で見方が違うため、「行為者-観察者バイアス(Actor-Observer bias / Actor–Observer Asymmetry)」とも呼ばれます。

私たちが自分の行動を自分の特性に結び付けられない原因の1つに、単に「自分で自分が行動しているところを見ることができない」点が挙げられます。「他人の行動はよく見え、自分の行動はよく見えない」と言われますが、実際に自分の行動は自分で見ることができないからです。また、自分の行動はよく見えないが、自分が置かれた周りの状況や環境はよく見えるのです。

もし、自分の行動を鏡やビデオなどを通して常に直接確認することができれば、このバイアスは大分抑制できるのかもしれませんね。

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酸っぱいブドウと甘いレモン(sour grapes and sweet lemons)

利用可能性ヒューリスティックや、ハロー効果、逆ハロー効果、根本的な帰属の誤りの影響を受けている人で問題なのは、自分の判断が偏っていることに全く気づかない点で、さらに深刻なのは、間違った判断を修正するどころか、逆に強化してしまう点にあります。

例えば、時間と労力をかけていろいろな物件を見て回り、熟考を重ね悩んだ末に、キッチン回りがとても気に入ったある住宅を購入したとします。
家を買った後は、その家の良いところを誇張します。狭いダイニングルームなど当初気に入らなかったところは、むしろ「こじんまりしていて居心地が良い」などと都合よく評価を変えたりします。大金を使い損ねたと感じると腹立たしいので、購入者は無意識のうちに、自分は正しいことをしたのだと自分を安心させようとするのです。つまり、自分の判断は賢明だった、自分は正しいことをしたのだと自分に言い聞かせ、手に入れたものの評価を高める傾向があります。

この効果を「酸っぱいブドウと甘いレモン(sour grapes and sweet lemons)」と言います。手に入れた酸っぱいレモンに対して「このレモンは甘くてよかった(sweet lemons)」と過大評価して、自分の判断を正当化するのです。
一方で、人は、自分が手に入れないもの、手に入れられなかったものに対しては、その評価を下げます。つまり、手に入れられなかった甘いブドウに対して「きっと酸っぱかったにちがいない」と自分に無理やり思いこませて過小評価したり、自分が達成できなかったことは「うまくいかなくて良かった」と負け惜しみしたりするのです。

更に面白いのは、多少悪かったことについては、甘いレモンのように自己正当化するのですが、自分の判断があまりにひどかった場合は、もはやそれをごまかすことはできず、今度は逆に、悪い点を極端なまでに拡大解釈してとても悪いものに仕立て上げてしまうのです。

例えば、ある男性がある女性にべた惚れして、告白し、付き合い始めます。彼女のあらゆる面が良く見え、周囲の友だちにも自慢ばかりします。しかしある時、彼女が別の男性と浮気しているのを発見してしまいます。そうすると一転して愛情は憎しみに変わり、今度は彼女の悪い点ばかりを見るようになるのです。

明らかに間違っていることが分かった決断や態度を後から撤回することを正当化するためには、その結果をできるだけ悪く評価することが効果的だからです。

また、私たちは一旦ある人物や物事について判断を下すと、それを裏付けるような情報を積極的に取り、相反する情報は軽視する傾向があります。このバイアスは「確証バイアス (Confirmation bias)」と呼ばれます。

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間違った結び付け

薬物療法や認知行動療法の適用が増え、今ではすっかり衰退した精神分析学(Psychoanalysis)も、著者が本を書いた際にはまだ息をつないでいたようです。
そのテクニックが無価値だと証明されているにもかかわらず、また精神分析家のほとんどは正直者であるはずなのに、なぜ、自分たちの治療がいまだ役立つと信じ続ける精神分析家がいるのか、著者はその理由を6つ挙げています。

第1に、精神分析家自身が、長い時間と多額の費用をその知識と技術と経験の習得に費やしてきたからです。この時間と費用と経験を正当化するためには、治療法に価値があると信じなければなりません。
第2に、患者が他の要因で症状が改善した場合でさえ、精神分析家は、自分の治療が功を奏して患者の改善につながったと信じます。
第3に、治療によって悪化したり改善の見られなかった患者の多くは、治療を受けることを途中でやめてしまいますが、分析家はもっと長く続けていれば改善したはずだと信じます。
第4に、分析家は患者の記録を注意深くとったり、参照したりしません。
第5に、分析家は他の治療を受けた患者や、いかなる治療も受けなかった患者の記録を見ることができないので、それらを反映した比較評価ができません。
最後に、改善の兆しが見えない患者については、分析者は、治療法ではなく、患者自身に問題があると結論付けるからです。

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最後に

2回に渡り、私たち人間が持つ不合理性を紹介しましたが、私たちには、まだまだ紹介しきれない位数多くの不合理性が存在します。これ以上連続して紹介し続けると、気が滅入るかもしれませんので(笑)、それらについては、ここで紹介した書籍や、本サイトの他の記事をご参照下さい。

前回紹介したスティーブン・ピンカーと同様に、サザーランドも、不合理性を低減するために、オープンマインドであること、基本的な確率統計や論理学、心理学の知識を身に付け判断に当てはめることなど、合理性の重要さを説いています。衝動にかられず、自分の判断や理論づけが間違っているのではないか、反証事例を考えてみることや、情報の解釈を間違っていたり無視していないか疑ってみることが大切です。

一方で、サザーランドは「本当に合理性は必要か、望ましい結果をもたらすのか?」とも問いかけています。

私たちの社会では、不合理性に支配され、証拠があるのにもかかわらず考えを変えることを拒否し、多くの命を奪われることもあります。私たちの職場でも、多くの物事が不合理に決められ、望む成果を上げることができません。私たちの社会では、合理性を高めることが必要です。

一方で、個人レベルでは、私たちはいつも重要な決断に迫られているわけではありません。合理的判断は時間とエネルギーを要しますが、常に合理的に判断していては私たちの脳はヘトヘトになってしまいますし、夕飯を和食するか洋食にするか、必要以上に頭を悩ませる必要もありません。
結婚に関しても合理的な決断が必ず幸せをもたらすかは分かりません。逆に合理的であることがよい結果をもたらさず、ある程度感情にまかせた方がよい結果をもたらす場面もあるでしょう。

しかし、私たちには人生の中で、とても重要な合理的な判断を求められる機会に接します。そのような機会が来た時に、合理的な判断する能力がなければ、正しい判断ができません。また合理性を身に付け、不合理さに対処するスキルを身に付けることで、合理性を必要としない場面でも、過度に意識しなくても、自然に即座によい判断をできるようになれるのです。

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