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書籍紹介:感情はどうやってつくられるのか? ~ 構成主義的情動理論

  • 投稿カテゴリー:人が変わる
  • 投稿の最終変更日:2024年4月21日
  • Reading time:15 mins read

脳は考えるためにあるのではなく、生き延びるためにあります。脳は、思考も感情も、内の世界も外の世界も区別せず、生き延びるために予測する器官です。感情も反応ではなく、予測です。感情は私たちに備わっているのではなく、私たちが作り上げています。私たちが作り上げたものなので、私たちが変えることができます。

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感情はどうやってつくられるのか?

リサ・フェルドマン・バレット(Feldman Barrett)は、心理学と脳科学の専門家で、アメリカのノースイースタン大学で心理学特別教授を務めています。また、ハーバード大学医学部とマサチューセッツ総合病院にも籍を置き、裁判官や弁護士、政策立案者、ジャーナリストに、正確で実用的な脳科学の知見を提供することを目的とした「法・脳・行動センター:Center for Law, Brain & Behaviour」の最高科学責任者を務めています。

今回は彼女が書いた2冊の本を紹介します。

1冊は、従来からある感情に関する理論を大きく覆そうとする、挑戦的で革新的な2017年出版の書籍「How Emotions Are Made(邦題)情動はこうしてつくられる:脳の隠れた働きと構成主義的情動理論」です。
この本の中でフェルドマンは、自身が提唱している感情の理論である「Theory of constructed emotions:構成主義的情動理論」を説明していきます。

もう1冊は、同じくフェルドマンが2020年に書いた「Seven and a Half Lessons About the Brain(邦題)バレット博士の脳科学教室 7½章」です。
先ほどの本は、脳科学用語や彼女自身が作り出した用語を多用していて、その理論を理解するには、一字一句を繰り返し繰り返し読み込む必要がありますが、こちらの本は、彼女の理論を含めた様々な脳の仕組みを、分かりやすい比喩を使って丁寧に説明しています。入り口としては、よりカジュアルなこちらの本を読むのをお勧めします。


どちらの本も、それまでの常識にメスを入れ、私たちに斬新な視点を提供しているという点で、とても素晴らしく、刺激的な本です。ただし、様々な理論を一緒くたに古典的理論として括って悪者扱いしているのはどうかと思いますが。。。
また、特に最初の本には、少し説明がしつこく、事例を次から次へと書き連ねていくため、読みにくいと感じるところがあります。くどいなと思ったら、同じことを繰り返し説明している箇所も多いので、そこは読み飛ばして進めてもよいかと思います。

なお、いつものように私は英語版を読んでおり、日本語版は読んでいませんので、言葉や表現の違いについてはご了承ください。

なお、英語版にチャレンジする人は、次のリンクを参照しながら読み進めるのがお勧めです。読者への理解を助けるために、フェルドマン自身が用語や概念の説明を補足してインターネットで公開しています。

https://how-emotions-are-made.com/notes/Home

または、次のTEDでのスピーチを見てからでも良いかもしれません。本よりも平易な言葉でコンパクトに説明しています。

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感情に関する古典的な理論とフェルドマンの理論

フェルドマンは、私たちの感情に関して、従来の理論とは全く異なる見解を示しています。
ここでは、感情に対する従来からある一般的な理論と、彼女の理論を対比させて簡単に説明していきましょう。

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感情に対する古典的な考え方 The Classical View of Emotions

まず、従来からある、一般的に認められている感情に関する考え方を紹介しましょう。
この古典的な認識は、古代の哲学者から、中世の思想家、現代の心理学者に至るまで、広く支持されています。

何千年もの間、人は感情を反射的、突発的なもので、私たちの理性を超えて存在する無意識的かつ本能的なものだと理解してきました。この従来からの考え方によると、人は自分の感情を真にコントロールすることはできません。

感情という機能は、進化の過程で私たちに身に付きました。なぜなら、それは、私たちが種として生き残るのに役立つからです。感情は、私たちに、生き延び、繁栄するための行動を取らせようとします。

生物学的には、感情は脳の特定の領域で自動的に引き起こされるものだと信じられています。
具体的には、主に大脳辺縁系(limbic system)を主とする脳の領域で自動的に引き起こされ、特定の感情と結びついた特定の神経細胞が、特定の脳回路に生化学的反応を引き起こし、私たちの身体状態を変化させると考えられています。

基本的な感情は人間の遺伝子コードに深く刻み込まれており、人間は生まれつき、決められた感情の回路を持ち、すべての人が、種々の感情をほぼ同じように表現するとしています。
喜び、悲しみ、恐れ、怒り、嫌悪、驚き、これらは、全人類に普遍的かつ基本的な感情で、私たちの生物学的な基盤をなしています。さらにこれらの感情は、それぞれ決まった顔の表情に対応しています。その表情は人種の違いによらない普遍的なものなので、すべての人が等しくこれらの感情を表現でき、異なる人種であっても、表情からその人たちの感情を読み取ることができます。

つまり、人種を問わず、喜び、悲しみ、恐れなどの他人の感情はその人の顔の表情から読み取れるとされています。
たとえば、人はイライラすると、怒りの神経細胞を始動させ、しかめっ面するという反応を引き起こします。親族の死は悲しみの神経細胞を始動させ、泣くという感情反応を引き起こします。

このように、それぞれの感情には特有の性質があり、普遍的であるという見方を「本質的な性質:essence」を持つという意味から「本質主義:エッセンシャリズム essentialism」と呼びます。

また、古典的な理論では、脳は「①感覚」「②感情」「③理性」を司る3つのエリアに大きく分けることができます。そして人間の脳はこの順番(①感覚 → ②感情 → ③理性)で進化し拡大してきました。
理性を司る脳領域は一番最後に発達したもので、この領域が非理性的な感情をコントロールすると考えられています。

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構成主義的情動理論 The Theory of Constructed Emotions

次に、フェルドマンが提唱する「構成主義的情動理論:The Theory of Constructed Emotions」を説明しましょう。ちょっと長くて難しいんですが、これでもだいぶコンパクトにまとめたつもりです。。。

まず、日本語版では「構成主義的情動理論」と、とても難しそうな訳が付けられている理論ですが、フェルドマンは、感情は、先の理論のように生まれながら脳に組み込まれているものではなく、むしろ生まれてからの環境によって学習され、その結果、脳によって構築されたものだと主張します。そのため彼女は「構築される感情:constructed emotions」という表現を使っています。つまり「構成主義的情動理論」は「感情は脳で構築されるという理論」です。

また、フェルドマンは、感情とは、周囲の環境で起きたことに対する「反応」ではなく、次に起きることへの「予測」だと言います。

脳は私たちを生き延びさせるために存在しますが、そのためには限りある体内エネルギーを無駄遣いしないことが重要です。生き延びるため、そしてエネルギーを有効利用するためには、様々なことを予測しなければなりません。予測は、私たちが世界を素早く効率的に理解し、無駄なく行動するのに役立つからです。
物事が起きてから対応するのではなく、起きる前に予測し、体をコントロールしてエネルギーを節約し、生き延びる可能性を高めるのです。実際に、私たちは無意識のうちに過去の経験をふるい分け、何十億もの神経細胞を使って、次から次へと何千もの予測を同時にして次の行動を決めています。それを統率するのが脳の役割です。
感情はそのために脳が作り出すものであって、脳に書き込まれるものではありません。つまり、私たちは感情の受け手ではなく、感情の作り手です。

そして、フェルドマンは、感情表現は全人類に普遍的ではないと言います。
誰もが同じ感情に対して同じように反応するわけではありません。たとえば、私たちは、悲しみ、幸福、怒り、恐れなどに対して、同じようには反応しません。それらを引き起こす状況に応じて、さまざまな反応をします。
一般的に怒りが暴力を引き起こすと考えられますが、ひょっとしたら悲しみや喜びが暴力を引き起こすこともあるかもしれません。
表情から感情のすべてを読み取ることができるわけでもありません。例えば、人が微笑んだからといって、それが幸せを意味するとは限りません。無表情が無感情を意味してもいません。つまり、感情と表情の関係は固定していません。

さらに、実験によって、脳の特定の部分だけが感情を取り扱うのではないことも分かりました。特定の感情が脳の特定の領域に限定されず、感情以外の知覚や思考中にもそれらの脳領域が活性化されること、感情だけに専念する脳の領域はないこと、脳の細かい働きはひとりひとり違っていることも分かりました。したがって、フェルドマンは、本質主義も完全否定します。

どの神経細胞もひとつの機能だけを持っているのではなく、主たる機能はあるものの、その他の様々な機能を持っています。また、ある神経細胞だけが特定の結果をもたらせるのではなく、異なる神経細胞が同じ結果をもたらすことができます。つまり、同じ結果をもたらすのには、様々な異なる方法があります。これを生物学上の縮重( デジェネラシー degeneracy)と言います。これもフェルドマンの理論を支える重要な脳の特徴で、本質主義を否定する根拠のひとつです。

フェルドマンの理論では、脳はそれぞれが特定の役割を持つ分断されたパーツではなく、それらがつながり、ひとつになって機能する、変化し続けるネットワークです。感情は連続体です。感情も変化し続けます。私たちが喜びや悲しみと表現するものは、その連続体の点を見ているに過ぎません。

彼女の理論では、感覚、感情、理性は必ずしも区別されません。感情も思考も私たちが構築したものです。さらには、脳は、自分の内と外でさえ、ほとんど区別していないと言います。脳は、身体の内部をみることなく、外の世界に反応できず、外の世界を見ることなく、脳の配線をおこなうことはできません。脳は常に外部と内部の感覚を合わせて内受容のネットワーク(interoceptive network)により処理しているのです。内受容(インテロセプション interoception)は、身体の内部状態に関する情報を脳に提供する感覚の集合で、感情を生み出すもとであり、予測的なものです。

脳は、外部と内部から得た情報とそれまでの経験をもとに、様々な予測を生み出し、結果をシミュレーションします。感情体験は、脳の予測とシミュレーションによって生まれます

脳は今直面している状況を過去の経験と照らし合わせて、何がおきるかを予測し、体に準備する指令を送ります。
見たこと、聞いたこと、においや味によって、どう感じるかは、生まれてから今に至るまで頭の中に構築された経験によるのであり、最初から存在するものではありません。予測は多くの場合当たりますが、間違えることもあります。間違えた予測は未来の予測への経験となります。

脳は正しいことに配線されるわけではなく、生き延びる選択肢に配線されます。

古典的な感情理論では、理性は人間だけがもつ高度な能力と説明されることがありますが、様々な動物が人間でにはない様々な高度な能力をもっています。人間だけが特別なわけではありません。
また「理性は合理的で、感情は非合理的」と言われることもよくありますが、様々な感情が私たちを守るために合理的に機能しています。そのため、感情が非合理的だという主張も間違っています。様々な精神障害やトラウマでさえも、ある意味では私たちの心身を守ろうとしている合理的な反応です。ただし環境に機能がついていっていないだけです。

フェルドマンによれば、感情は、脳全体で構築されます。彼女は、感情の理解を再構築するための重要な用語を繰り返し使っています。それらは、 情動(affect)内受容(インテロセプション interoception)身体の予算配分(body budget)概念(concepts)情動的現実(affective reality)社会的現実(social reality)などです。

これらの言葉を簡単に説明しましょう。

情動(affect):情動とは気分のようなもので、感情のもとになる最も単純な感覚です。情動(affect)は感情(emotion)とは異なります。感情はより複雑なものです。

内受容(インテロセプション interoception):身体の内部状態に関する情報を脳に提供する感覚の集合で、身体内部からのあらゆる感覚を脳が認識し表現することです。インテロセプション(内受容)によって、情動(affect)から、快や不快、穏やか、イライラといった感情の連続体が生み出されます。 インテロセプションは、私たちが感情として認識するものの核となるプロセスのひとつです。

身体の予算配分(body budget):身体の予算配分とは、脳が、体内にどのように限られたエネルギーを振り分けるかという意味の比喩(つまり、体内エネルギーの予算管理)で、科学用語ではアロスタシス(allostasis)と言います。
体内にエネルギーを配分するアロスタシスは、環境に応じて、体が必要とするエネルギーを予測し、自律神経、ホルモン、免疫など、体の内部環境のシステムを制御する生理学的メカニズムです。インテロセプションは、体の予算配分、アロスタシスから生じる感覚です。

概念(コンセプト concepts):概念とは、過去の経験の積み重ねであり、文化的に習得された知識です。概念は、脳に入力された情報の意味を推測するための主要なツールです。脳は過去の経験を概念として整理し、感覚に意味を与え、行動を導きます。私たちは概念を避けることができません。つまり、概念と結びつけることなく、物事を感じ、理解することができません。私たちは何でも、既存の概念に結び付けて物事を理解しようとするのです。

情動的現実(affective reality):インテロセプションが、私たちが見たり聞いたりするものに影響を及ぼし、さまざまな異なる情動的現実(affective reality)を作り上げます。例えば、心臓のドキドキから、不安という情動的現実をつくることも、期待という情動的現実をつくることもできます。私たちは情動的現実を避けることができませんが、好奇心をもって新たな経験を積み上げることで、その負の影響から自分を防御することができます。

社会的現実(social reality):社会的現実は、文化を共有する人たちの間で感情の知覚の共有を可能にする集団的合意と共通の言語を提供します。私たちは社会的な現実を避けることもできません。生まれた瞬間から社会との相互作用をもとに経験を構築していきます。脳は周りの人たちの脳とも影響し合って、それが脳の構築と予測に影響を与えます。これらが私たちの予測のベースとなり、概念となります。

ちょっと難しかったですが、お分かりになったでしょうか?
重要なのは、情動的現実も、社会的現実も、概念も、実際の現実ではないことです。それらはすべて私たちが作り上げたものなのです。

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私たちはどう感情に向かい合えばよいのか?

さて、フェルドマンの理論の片鱗くらいは理解できたとして、それでは、私たちはいったいどうすればよいのでしょうか?

ここまで説明したように、フェルドマンは「理性をもって、不合理な感情をコントロールする」という理論は間違っていると主張します。つまり、感情そのものをなんとかしようとしてもなんともなりません

しかし、感情は私たち自身が構築したものなので、私たち自身が変えることもできるとも言います。
そのためには、感情を生み出している予測を変えること、予測を変えるには身体の予算配分を変えること、そのためには概念を変えること、概念を変えるためには経験を変えることです。私たちの感情は私たちの経験に基づいて予測した結果なので、新しく経験することで、脳が将来何を予測するかに影響を及ぼすことができます。

フェルドマンは、幼少期の環境や人との交わりや、降りかかる不遇や障害に私たちが責任があるとは言いません。しかし、自分を変えられるのは自分だけだからと言う意味で、自分に責任があると言っています。

彼女は、まず第一に、健康であり心身機能のバランスを保ち、余裕を持つことが大切だと言います。
つまり、身体の予算配分の健全性を保つことです。

具体的には、マッサージしてもらうこと、ヨガをすること、喧騒を離れ自然の中に身を置くこと、散歩すること、ランチに同僚を誘いご馳走し合うこと、ペットを飼うことなどなど。
大胆な理論を提示した割には、この辺で急に俗っぽくなるのはちょっとびっくりですが。。。

さらには、概念を広げるために、エモーショナル・インテリジェンスを養うことです。
旅をしたり、様々なジャンルの本を読んだり、映画を見たり、新しい食べ物にチャレンジしたり、環境を変えたり、様々な経験をすることで、様々な概念を得ることができると言います。

つまり、感情を変えるために感情そのものを変えようとするのではなく、行動を変えて、新しい経験を積み上げて、感情の細かな違いを知ることができるようになるのが大事です。

興味深いのは、その感情の粒度(Emotional granularity:様々な感情の違いを区別できる能力)を高めるための一番簡単な方法として、新しい言葉を覚えること、違う言語を学ぶことを挙げていることです。
新しい言葉を覚えることは新しい概念を身に付けることにつながります。違う言語を学ぶことは、さらに幅広い概念を習得することにつながります。以前から英語の本を英語のまま学ぶことの利点を説いてきた私としては少しうれしいですね。
さらには、身の回りにあるものを、ふだんの見方ではなく様々な違うカテゴリーに結び付けて見てみること、自分自身でさえも様々なカテゴリーで見直してみること、そのためには、構築された感情を感覚まで分解してみること(deconstruct)、自分自身さえも分解して見てみるのです。

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さいごに

正直、個人的に、フェルドマンが書いていることすべてについていけているわけではないですが、その新しい視点に「なるほど!そういう見方があるのか!」と思うところは多いです。

思考も感情も私たちが構築したものであり、別々のものではないというのはすごいですね。
たしかに、どちらも神経細胞の働きによります。また、どちらも、コントロールできる時もあるし、コントロールできない時もあります。感情をコントロールできないとはよく言いますが、逆に、知らないうちに様々な思いが頭を駆け巡って、思考をコントロールできないことや、ある思考にとらわれて他の考え方ができないこともありますね。

しかし、実は、思考だけでなく、感情も、私たちが思っている以上にコントロールできるのです。経験を構築する別の方法を学ぶことで、私たちが想像する以上に、自分の人生を変えることができるのです。

フェルドマンはナイーブ・リアリズム (Naïve realism)と言う言葉も使いますが、「私たちは世の中を客観的に認識しているという幻想」を表す言葉です。私たちは、世界を自ら構築しているのです。
だから、逆に、変えることもできるのです。私たちが取るあらゆる行動の基礎は「予測」です。予測も私たちが築き上げたものだから、私たちが変えることができるのです。

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