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意思決定の仕組み:私たちのアテンションの限界と、組織の弊害

  • 投稿カテゴリー:組織が変わる
  • 投稿の最終変更日:2023年4月2日
  • Reading time:7 mins read

私たちは個人も組織も社会レベルでも、新しい課題への対応のための意思決定が求められています。しかし、私たちは認知処理能力の限界のため、「完全に合理的」な意思決定を行うことはできません。そのため、「十分に満足できる程度」の意思決定を目指すのですが、個々の嗜好や集団作用によって、そこにすらたどり着けない場合が多くあります。

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はじめに

人にも、組織にも、小さな意思決定から大きな意思決定まで、毎日数多くの意思決定の場面があります。意思決定とは、数ある選択肢の中から1つ選んで行動するという、個人の人生や組織のマネジメント、事業戦略の核をなすものです。
しかし、私たちの多くが経験しているように、意思決定が望む結果をもたらさないこともあり、また、そもそも意思決定自体に問題があり、その時点ですでに「こんなのうまくいかない・・」と思ってしまうことさえあります。

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プログラム化された意思決定と、そうでない意思決定

意思決定には、その手順や入力情報が明確になっているもの(プログラム化された意思決定:Programmed decisions)とそうでないもの(プログラム化されていない意思決定:Non-programmed decisions)があります。

プログラム化された意思決定は、例えば、作業手順やマニュアルのように、意思決定の手順や基準が決まっており、入力情報やその他必要なものがはっきりしていてかつ容易に入手でき、日常的なルーチンとして何度も繰り返されるものです。プログラム化された意思決定は通常、組織の比較的低いレベルで行われ、インプットから短期的な結果を生み出します。

これに対し、プログラム化されていない意思決定は、新しい問題や課題に対して必要となるもので、すでにある意思決定のルール、手順、経験を適用することができません。不確実な要素が多く、判断力と創造性が求められます。プログラム化されていない意思決定は、組織のより高いレベルで行われる傾向があり、その決定は長期的な影響をもたらします。例としては、実績のない技術に挑戦したり、未知の市場に進出する場合の意思決定が挙げられます。

私たちは個人も組織も社会レベルでも、新しい課題への対応が求められています。つまり、より多くのプログラム化されていない意思決定が求められますが、そのような意思決定ができる能力を持つ人はとても限られているのが現状です。そのため、機能しなくなった古いプログラムを、環境の変化に合わせて、可能な限り新しいプログラムに置き換えることで多くの人が対応できるようにする、ということが試みられます。
アジャイルやスクラムなどは、そのような新しいプログラムの1つと捉えることができるでしょう。そもそもソフトウエアやプロダクト開発モデルとして生まれた仕組みですが、環境の変化に適応した新しい意思決定のモデルと言うこともできます。

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限界合理性(Bounded rationality)

組織論が専門でスタンフォード大学名誉教授だった故ジェームズ・ガードナー・マーチ(James G March)が意思決定について様々な分野からの視点を取り入れまとめた書籍「A Primer on Decision Making」などの文献(1)(2)によると、合理的な意思決定の手続きは、結果の論理を追求するもので、次の4つの質問に対する答えに条件づけられます。

1. 「選択肢」の問題 : どのようなアクションの選択肢が考えられるか。
2. 「期待値」の問題:それぞれの選択肢から将来どのような結果がもたらされそうか。また、その可能性がどの程度あるか。
3. 「嗜好」の問題:それぞれの選択肢とその可能性が、意思決定者にとってどの程度価値があり魅力的か。
4. 「手順」の問題:複数の選択肢から、最終的にどうやって決定するか。

ここで、重要なポイントがあります。「完全に合理的な意思決定」は実現不可能という点です。

私たちが「注意を向ける、意識する(=アテンション、Attention)」能力には限界があります。実は私たちが取り得る「選択肢」は世の中に膨大に存在しますが、私たちの情報処理能力の限界や時間的制約のため、そのすべてを選択肢として認識できる訳ではありません。
つまり、合理的な意思決定を目指そうとしても、その合理性には限界があるということです。この意思決定における限られた合理性を限界合理性(Bounded rationality)と言います。
意思決定プロセスで完全な合理性はありえないため、実際はみな「十分に満足できる程度」の意思決定を目指すのです。

「期待値」の設定にも重要なポイントがあります。求める期待値の時間軸をどう設定するかによって、何を選択するかに影響を及ぼします。
以前「組織改革におけるスモールウィン(Small Win)とクイックフィックス(Quick Fix)」で書いたように、短期的な成果をもたらす行動には、長期的には有害な結果をもたらすものがあります。逆もまたしかりで、長期的な成果をもたらす行動は、短期的には有害なことが多くあります。そのため、どのような時間軸で結果を求めるのか、意思決定の際に結果を求める時間軸を意識することは極めて重要ですが、多くの場合見過ごされ、長期的な結果を意図するものの、実際は短期的な視点で意思決定してしまう間違いの例は、私たちの身の回りにあふれています。

また、私たちは、世界の様々な物事の因果関係や関連性について理解する能力、推論し、整理し、要約し、その結果を利用する能力も限られています。
つまり、関連する情報を十分に持っていても、それらが関連しているということさえ見抜けないことが多いだけでなく、関連していないもの同士を間違って関連付けてしまうミスも犯します。認知バイアスの影響や、過去の知識や経験が固定観念として働くことで、正しい判断を妨げるからです。つまり「選択肢」から正しい「期待値」を導けないことが多くあります。

さらには、隠れた意図を持ったり、首尾一貫した解釈を作り上げるためだけに、利用可能な情報と利用可能な関連性を使って、曲解した不当な推論を行うこともあります。

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アテンション(注意、Attention)の限界

セレクティブ・アテンション(選択的注意、Selective Attention)

話をアテンションに戻しましょう。
視覚について言えば、私たちは視覚に入ってくる情報の1%以下(1秒間に1メガバイト程度)のデータにしか注意を向けることができません(3)。そのため、その限られた認知処理能力をどう使うかが重要で、外から入ってくる情報に対して関連性の低い情報を無視し、関連性の高い情報や刺激により多くの意識を向けます。このプロセスをセレクティブ・アテンション(選択的注意、Selective Attention)と言います。

そのような私たちの視覚情報の認識能力の限界を示す有名な実験があります。
下のYouTubeがその実験を撮影したものですが、黒い服を着たグループと白い服を着たグループが入り乱れてバスケットボールをチームのメンバーとパスしあいます。実験は、白い服を着たグループが合計何回ボールをパスするか数えるというものです。皆さんも数えてみてください。

ネタバレすると、パスを数えるのに集中していると、画面を横切る明らかなゴリラにさえ気が付きません。このセレクティブ・アテンション(選択的注意)は、「見えないゴリラ(インビジブル・ゴリラ、The Invisible Gorilla)」という書籍としても紹介されています。また、この現象は、視覚の欠陥や欠損が原因ではなく、注意が向けられない結果として、ありふれた場所にあるのにもかかわらず、予期していない刺激は知覚できないことということから、非注意性盲目(Inattentional blindness)とも言われます。

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チェンジ・ブラインドネス(Change Blindness)

下のYouTubeは私たちの視覚情報認識能力の限界を表す別の動画事例です。英語ですが、映像を見ていれば分かるかと思いますのでご覧ください。サンフランシスコの街並みの定点画像を連続して繋げたものです。

またネタバレしますと、実は画像ごとに少しづつ変化していくのですが、その多くを私たちは認識することができません。重要でない変化は、脳が無視したり、自動的に処理しているからです。
この視覚的な変化を認知する能力の限界をチェンジ・ブラインドネスと言います。

私たちの脳にはこのような制約があるため、意思決定の理論は「選択の理論」というよりも「注意や選択の性向の理論」であることが多いのです。つまり、アテンション(注意)は、限られた認知処理のリソースをどう配分するかの問題であり、その配分が、利用可能な情報、ひいては意思決定に大きな影響を与えるのです。
意思決定者は、このような限界と闘いながら、合理的選択の基本的な枠組みを維持しつつ、その困難さに対応するため、既存の手続きを修正したり、新たな手続きを開発しなければなりません。これらの手続きは限定合理性理論の核心をなすものです。

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組織(集団)の意思決定の弊害

組織として意思決定を行う場合は、個人の情報処理能力の限界に加えて、集団としての情報処理能力に関する問題も発生します。本来意思決定を集団で行うメリットは、多くの人のインプットを取り入れることで選択肢を増やし、正しい期待値にたどり着く精度を上げることですが、そのように機能しないことがあるだけでなく、逆に作用してしまうこともあるのです。

以前紹介した「グループシンク(集団思考)」や「アビリーンのパラドックス」、同調圧力は、そのような集団の意思決定における弊害事例であり、集団の情報処理能力の限界、集団の情報への盲目効果とも言えるでしょう。
また、以前「リーダーとリーダーシップ。権力のダークサイド」で紹介したように、地位や権限が持つ力は強大で、権力が意思決定に及ぼす悪影響もまた強力です。
権力者は、意思決定のプロセスの初期段階である特定の選択肢を既に嗜好している場合があり、それを公式な手順で決定したというアリバイ作りのために、意思決定の手順が悪用されることもあります。これはリーダーが集団にもたらす情報への盲目効果です。

集団の中の意思決定における権限や力のバランスの弊害のため、集団の意思決定能力はたった1人の個人の意思決定能力よりも劣ることさえあるのです。

集団や力のバランスによる負の影響を取り除くものとして、集団内の心理的安全性の確保や、経験や思考が異なる人たちのアイデアを取り込むダイバーシティの確保、ブレインストーミングといった手法の利用があります。これらを有効に利用できれば、集団の弊害を取り除くだけでなく、1つのアイデアが別の新しいアイデアに飛び火して発展する、1+1を3や4にも増幅できる効果が生まれます。

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参考文献
(1) James G. March, “A Primer on Decision Making: How Decisions Happen.“, The Free Press, 1994.
(2) James G. March, “How Decisions Happen in Organizations“, Human-Computer Interaction, Vol 6. pp. 95-117, Lawrence Erlbaum Associated, Inc., 1991.
(3) “Attention”, wikipedia, retrieved on 2022/5/29.
(4) Daniel Kahneman, “Attention and Effort”, Prentice Hall, 1973/9.
(5) Bruya Brian, Tang Yi-Yuan, “Is Attention Really Effort? Revisiting Daniel Kahneman’s Influential 1973 Book Attention and Effort“, Frontiers in Psychology, Vol 9., 2018.

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