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モラルは考えるのか、感じるのか? 意識と無意識とトロッコ問題

  • 投稿カテゴリー:マネジメント
  • 投稿の最終変更日:2022年9月28日
  • Reading time:8 mins read

モラルには意識と無意識が影響します。みなさんには、道徳的に何かおかしい、何かが間違っていると強く感じても、なぜそれが悪いのか理由をうまく説明できない経験がないでしょうか?はっきりと説明できないのは、モラルが言葉(理性や意識)の領域を超える場合があるからです。

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はじめに

何か倫理的な事件や社会的な問題が起きると「最近の日本人のモラルは。。」などとモラルの低下が嘆かれますね。しかし、本当にモラルは以前と比べて低くなっているのでしょうか?
私たちを取り巻く社会環境の変化とともに、モラルそのものが変化しているため、昔と今の単純な比較は難しいですし、そもそも、どの世代を、どの「昔」と、どのモラルと、比較するかにもよりますね。またモラルは、同じ時代であっても、その場所の文化や環境によって大きく異なります。私たちは多くの異なる人種や考えの人たちと互いに近しい距離で生活するようになり、価値観の多様化とともにモラルも変化していきます。

と言う私自身も、町中を歩いていて他人のモラルの欠けた態度に過敏になったり、経営者のモラルの低さを嘆いたりするのです。少し古いデータですが、2006年にNHKの「クローズアップ現代~崩壊?日本人のモラル~」で紹介された「日本人のモラルに関する意識調査」の調査結果によると、回答者の77%が「日本人のモラルは低い」と答えた一方で、67%が「自分のモラルは高い」と答えました。私たちには、他人に対しては自分よりも厳しく評価し、自分は他人より甘く評価する「自己奉仕バイアス」があるので、他の人のモラルの低さを嘆く私自身がはたしてどんなものかも怪しいものです(笑)。

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そもそもモラル(Morality)とは何?

そもそも、モラル(Morality)とは何でしょうか?
日本語では「道徳」や「倫理」と言われますが、「道徳」や「倫理」が何なのかもよくわかりません。研究者たちが同意する明確な決まった「モラル」の定義はありません。ただし、モラルとは「何が良くて(正しくて)、何が悪いか(正しくないか)」に関するものとは言えるでしょう。しかも、それは単なる個人的な信念ではなく、社会的な関連が含まれるでしょう。

モラルは、宗教や伝統や文化に由来する規律や原則、体系化された基準、人はこうあるべきだという普遍的な考えでもあり、感情でもあり、哲学でもあり、心理学でもあります。

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モラルは意識的に考えるものか、それとも無意識に感じるものか?

モラル(Morality)の研究者や哲学者の間でよく起きる議論に、モラルは「意識して考える(Moral reasoning, Thinking)」ものなのか、「無意識に感じる(Moral intuitions, Moral emotions, Social intuitions, Feeling)」ものなのかがあります。

道徳的な理由づけ(道徳的推論:moral reasoning)は、私たちが正しいことをしようとするときに使う日常的なプロセスで、自分の行動を決める時に、それが道徳的に正しいかどうか「考える」ことです。道徳的な理由づけは、何らかの倫理規範によって記述されるものや、他人との倫理的な取り決めや文化などによって影響されます。

道徳的な理由づけは、ギリシャ哲学の時代からモラルに関する議論の主流をなしてきました。しかし、道徳哲学(moral philosophy)やモラル心理学(moral psychology)の研究は、モラルに関する意思決定は、そのように意識的に「考えたり、思考する」のではなく、もっと直感的で、感情に根ざしたものだと強調するようになってきています。

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溺れている子供を見つけて、通りかかった男性が川に飛び込みました。その後「その時、あなたは何を考えていたのですか?」とインタビューされ「何も考えていなかった。気が付いたらいつの間にか飛び込んでいた」というようなコメントを聞くことがありますね。

私たちは、もし何か食べて、それが腐っていたり、口の中で変な味がしたら、思わずぺっと吐き出してしまいます。脳の中で嫌悪感を扱う島皮質(とうひしつ:insular cortex)が反応するからですが、以前紹介したように、道徳に反する行為を目にして顔をしかめたり、ホームレスの人たちや中毒者など不快感を抱かせる人たちにむかつきを覚えるのも、この島皮質が嫌悪感に反応するからです(moral disgust)。

これらの例は、ほとんど無意識レベルのモラルの作用によるものです。

私たちは美しい景色を目の前にして、美しいと「考える」必要があるでしょうか?
政治文化コメンテーターのデイヴィッド・ブルックス(David Brooks)は、2009年、ニューヨークタイムズに「哲学の終わり:The End of Philosophy」というタイトルで、こう書きました。

~「道徳的な理由づけ」と「道徳的な行動」の関連性をしめすものはほとんどない。新しい食べ物を口に入れるとき、何が起こるか考えてみてください。それがまずいかどうか判断する必要はない。ただ分かるだけだ。風景が美しいかどうかを判断する必要はない。ただ、わかるのです。道徳的な判断というのは、そういうものです。道徳的な判断は、直感的な判断であり、私たちの多くは、何が公平かどうか、何が良いか悪いか、即座に道徳的な判断を下している。~

この「社会的直観主義(social intuitionist)」を代表するのが、ニューヨーク大学教授のジョナサン・ハイド(Jonathan Haidt)です。ハイドは、道徳的な判断は主に直感によるものだと言います。そして、その直感を自分自身に納得させたり、他人に説明するために使うのが「道徳的理由づけ」だと言います(1)

道徳的に何かおかしい、何かが間違っていると強く感じるものの、なぜそれが悪いのか理由をうまく説明できない経験がみなさんにはないでしょうか?ハイドはこれを「道徳的あぜん(moral dumbfounding)」と呼びます(2)。はっきりと説明できないのは、モラルが言葉(理性)の領域を超える場合があるからです。むしろ、これを無理矢理言葉にしてしまうと、間違った意味づけがなされてしまうことさえあります。

この社会的直観主義を支持する証拠もたくさんあります。その中でも最も顕著なのは、私たちが道徳的な問題に直面したとき、感情を扱う脳の部位(扁桃体、島皮質、vmPFC、OFC、ACC)の活性化が、理性を扱う部位(dlPFC)の活性化より先行する、もしくは強いという種々の研究結果です(3)

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トロッコ問題(trolley problem)(3)(4)

「トロッコ問題(トロリー問題:trolley problem)」として知られるとても有名な実験があります。1967年に哲学者のフィリッパ・フット(Philippa Foot)によって最初に紹介され、その後、多くの哲学者や心理学者によって拡張、発展されてきました。

動き出して止まらなくなったトロッコがあります。映画「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」をご覧になったことがある方は、あのトロッコのクライマックスのシーンを想像するのもよいでしょう。そのまままっすぐ進めば、トロッコは5人の作業員を轢き殺します。しかし、あなたのすぐ横には線路を切り替えるレバーがあります。もしあなたがレバーを引けば、トロッコの進路を変えることができます。しかし、残念なことにその脇道の先にも別の作業員が1人いて、レバーを引けばその作業員が轢き殺されます。
レバーを引いてトロッコを脇道にそらすかどうか、世界中の数多くの様々な人たちにこの質問が問いかけられてきました。そして、7〜9割の人が「レバーを引く」と答えます。

次は違うシナリオの質問です。先ほどと同じように、トロッコが5人に向かって暴走しています。今度は脇道はありませんが、トロッコが通過する途中に橋があります。あなたはその橋の上にいて、トロッコが来る前に線路の上に何か重いものを落とすことでトロッコを止めることができます。偶然にも、あなたの隣にはとても太った男の人がいて、彼を橋の上から線路に突き落とすことで、彼が引き殺される代わりに5人を救うことができます。さて、あなたならどうしますか?
これは歩道橋問題と呼ばれたり、デブ男問題(The Fat Man)と呼ばれたりすることがあります(笑)。あなたは、この人を橋から突き落としますか?このシナリオでは、7〜9割の人が「やらない」と答えます。

どちらも「何もしなければ5人が死亡し、行動すれば1人が死ぬ」という結果は同じです。しかし、ほとんどの人は、レバーを引いて1人殺す代わりに5人助けることは正しく、1人を突き落として5人を助けることは間違っていると考えます。シナリオが変わるとモラルの判断も変わるのです。

2001年当時大学院生だったジョシュア・グリーン(Joshua Greene:現ハーバード大学教授)らは、画期的な研究結果を発表しました。神経イメージングによって、レバーを引くことを考えると、脳の理性関連領域の活動が優勢となり(つまり道徳的理由づけの問題となり)、人を突き飛ばすことを考えると、脳の感情関連領域が活性化された(つまり道徳的直感の問題となった)のです。そして、感情関連領域の活性化が高いほど、人を突き落とすのを拒否する可能性が高くなるのです。
グリーンによると、私たちの道徳的判断は、自動的な感情的反応と意識的な理由づけの両方によって決定されるのです(dual process theory of moral judgment)。

グリーンはさらに考察します。自らの手で人を突き落として死に追いやることに倫理的な抵抗を感じたのでしょうか?
そうではありません。手で押すのではなく、棒で押しても、同じように抵抗感を感じるのです。レバーのシナリオでは、犠牲者が目の前にいるのではなく、離れた場所にいるから、感情領域が活性されなかったのでしょうか?

グリーンは、意図性についての直感がその答えの鍵になると示唆しています。つまり、レバーのシナリオでは、私たちは「トロッコが別の線路に変更されたため5人が助かった」と頭の中で捉えるのです。一方で、押すシナリオでは、「人が殺されたために5人が助かった」と捉え、それが直感的に間違っていると感じるのです。

また、グリーンたちはさらに異なるシナリオのトロッコ実験もおこない、ある人を犠牲にするために能動的、意図的、局所的な行動が必要な場合には、より強く直観的な脳回路が働いて、その手段を正当化しなくなると示唆します。

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最後に

では、私たちは、理性に頼るべきなのでしょうか?、直観に頼るべきなのでしょうか?
その答えは「状況による(depends)」でしょう(笑)。

すべては文脈(コンテクスト)によります。
私たちは、わずかな文脈の変化で、道徳的な理由付けと直感のどちらを重視するかを決定し、その過程で異なる脳回路を働かせ、まったく異なる決定を生み出します。直観が正しい結果をもたらすこともあれば、間違った結果をもたらすこともあります。理由付けが正しい場合も、間違っている場合もあります。良かれと感じて行ったことや、良かれと考えて実行したことが、良くない結果をもたらすこともあります。より正しい道徳的な判断をするためには、意識的な理由づけと感情的な考察の両方が必要なのでしょう。

私たちのまわりには多くの二極化した議論があります。そのような議論では、つい白か黒かの二者択一を迫ったり、逆に迫られたりしてしまいますが、多くの答えはその中間のどこかにあります。私たちの行動は無意識の脳領域に多くをコントロールされ、私たちの思考は感情に左右されます。しかし、逆に私たちの思考が感情に影響を及ぼすこともできるのです。理性と感情のどちらかだけを使って最善の結論を導き出すのではなく、直感を合理化するのです。

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参考文献
(1) Jonathan Haidt, “The emotional dog and its rational tail: A social intuitionist approach to moral judgment“, Psychological Review, 108(4), 814–834, 2001
(2) Jonathan Haidt, Fredrik Björklund, and Scott Murphy, “Moral Dumbfounding: When Intuition Finds No Reason“, 2000/8.
(3) Robert Sapolsky, “Behave: The Biology of Humans at Our Best and Worst”, Penguin Press, 2017/5.
(4) Greene, Joshua D; Sommerville, R Brian; Nystrom, Leigh E; Darley, John M; Cohen, Jonathan D., “An fMRI investigation of emotional engagement in moral judgment“, Science Vol 293, Issue 5537, pp. 2105-2108, 2001/9.

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