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ソーシャルノーム(社会規範)の生み出し方と壊し方

  • 投稿カテゴリー:社会が変わる
  • 投稿の最終変更日:2024年2月23日
  • Reading time:10 mins read

「○○はよくありません」とか「□□をやめましょう」など、問題の複雑さを無視して、安易に啓蒙するだけのキャンペーンがありますが、たいてい成功しません。
よくないことは言われなくても分かっているのです。しかし、社会的なハードルがあって、やめたくてもやめられないのです。いかに社会規範が形成され、どうそれを変えるのか、理解と議論と対話が欠けているのです。

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はじめに

今回は、以前も紹介した、ソーシャルノーム(社会規範)の研究者であるクリスティーナ・ビッキエリ(Cristina Bicchieri)が書いた2016年発刊の書籍「Norms in the Wild: How to Diagnose, Measure, and Change Social Norms(邦訳)現実世界の規範:社会規範を診断し、測定し、変える方法」の中から、論点を絞って、ソーシャルノーム(社会規範)の生み出し方と壊し方を紹介しましょう。

クリスティーナ・ビッキエリは、ペンシルベニア州立大学「PennSONG(社会規範トレーニング・コンサルタントグループ)」の創立者兼ダイレクターで、2008年からユニセフのコンサルタントを務め、それまでのプログラムでは解決できなかった、児童婚、女性器切除、野外排泄などの、発展途上地域に残る悪しき伝統や慣習への解決策を提供し、大きな成果を上げると共に、他のNGOや国際機関に対してもアドバイスを行っています。

なお、いつものように、私は本書の英語版を読んでいます。現時点(2024年2月)で日本語版は発刊されていません。

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ソーシャルノーム(社会規範)とは?

まず、ソーシャルノーム(社会規範)とは何かをおさらいしましょう。

社会規範とは、集団で共有される許容される行動や許容されない行動の基準です。その中には暗黙のうちに共有されているものもあれば、規則や法律といった形で明文化されているものもあります。

社会規範は、集団を構成する個人の態度や考え方とは必ずしも一致しません。個人としては望まないのに、社会規範が存在し、他人から期待され、他の多くの人たちもしているから、不本意ながらそれに従って行動することも多くあります。

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ソーシャルノーム(社会規範)の生まれ方

皆さんは、社会規範の中には自然発生的に生まれてくるものがあるだろうと思うかもしれません。しかし、例えはっきりと認識されていなくても、その背景には意図や目的があります。

社会規範が生まれる大きな理由の1つが、集団行動問題(collective action problem)の解決です。
以前も紹介しましたが、集団行動問題には社会的ジレンマ(social dilemma)コモンズの悲劇(tragedy of the commons)の2つのタイプがあります。

社会的ジレンマとは、個人にとっての利益を優先することが、社会にとっての不利益になってしまうジレンマです。例えば、信号や速度制限などの交通ルールを無視して車を走らせれば、自分は目的地に早く着くことができるかもしれませんが、周りの人たちにとっては迷惑でしかありません。

コモンズの悲劇とは、個人が自己利益に沿って行動した結果、限られた共有資源を枯渇させてしまうことです。例えば、みんなが無作為に限られた資源を乱用すれば、その資源はいずれなくなってしまいます。

このような集団行動の問題を解決するためには、すべての人が互いに協力する必要があります。多くの場合、このような協力の動機付けとして、規範が生まれるのです。

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成功する社会課題解決の取り組みやプログラムには共通点があります。
それは、集団を構成する人たちに対して、事実に関する認識と、それぞれが持つ規範的考えに、変化をもたらすことに成功しているという共通点です。

例えば、もともとは特に問題がないと思われていた行為が、実は有害で問題があるとみんなから見なされるように、認識と価値観を変えることに成功しています。
見方と考え方の変化が共有されることで、対応策についてみんなで話し合ったり、状況を改善するためにみんなで何かをしようとする合意へと続いていくのです。

つまり、社会規範の創出とは、変化を実現しようとする集団的欲求と集団的決定です。

そして、集団的決定に至ったグループは、新しい規範への違反行為に制裁を加えることを集団として合意形成するなどして、グループが新しい行動を遵守するよう注意深く監視します。制裁を課すかどうか集団自ら決定することが、社会規範の基礎である規範的期待(normative expectations)の形成に役立ちます。

規範的期待が形成されると、人々は新たに確立されたルールを広く遵守するようになるため、経験的期待(empirical expectations)もそれに従うようになります。最初の段階では、規範に従うよう皆を誘導するために制裁が必要な場合がありますが、時が経つにつれて、規範が多くの人たちの中に内面化、習慣化していき、新しい行動が常態化され、制裁が重要でなくなることもあります。

ここで、以前も紹介した経験的期待(empirical expectations)規範的期待(normative expectations)の違いをしっかりと理解しておく必要があります。

経験的期待は、「他の人たちはこう行動するだろう」という自分の考えです。一方、規範的期待は「他の人たちは、周りの人たちに対してこう行動すべきだと思っているだろう」という自分の考えです。
社会規範(social norms)は、「他の多くの人たちから自分もそうするべきだと思われている」と感じ、さらに実際に「他の多くの人たちもそうするだろう」と感じることで、形成され、維持されるのです。

つまり、新しい社会規範が生まれるには、次のようなプロセスを経ることが多いのです。

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身近な事例をいくつか挙げましょう。

例えば、エスカレーターは、関東では左側に乗って、歩いて移動する人たちのために右側を空けておくのが一般的な乗り方ですね。右側にボケっと立っていると、後ろの人から迷惑がられたりします。片側を空けて乗ることは習慣と言うより、規範になっているからです。

過去に幾度か、エスカレーターを歩かず両側に立たせようという取り組みが行われましたが、成功することなく今に至っています。

なぜでしょうか?

集団としての規範的期待を変えることなく、私たちの行動だけを変えさせようとしているからです。

個人的には、エスカレーターを歩くのをやめさせる必要は特にないと思います。合理性以外の理由として、逆にエスカレーターを歩かせてでもホームから人を早く捌けさせないと危ないと感じる時があるからです。
首都圏では、ホームが狭くて人であふれたり、遅延などのトラブルで人であふれて危ないと感じることがあり、逆にエスカレーターを歩いてでも上らなければ危ない場面もあるのではと思うからです。

また、急いでいる人は階段を利用してと言われますが、急いでいる人ほどエスカレーターを歩いたほうが速いですし、では階段を急いで降りるのは安全なのかと、メッセージに違和感を感じることもあります。
さらには、規範的期待を変えるには正しいデータの共有が必要ですが、エスカレーターに関係する事故データが作為的に歪められて紹介され、歩くことの危険性が過度に強調されていることも問題です。

もちろん、体に不自由のある方やお年寄り、お子さん連れ、団体利用の方、ルールを知らない外国人はいます。そのような人がいるという理解は必要です。つまり、基本的には片側歩行OKにしつつ、そのような人たちが歩行側に立っていた時にはあたたかな配慮をしましょう、というのが個人的にはよいと思います。

私のように、エスカレーター全面歩行禁止に賛同しない方も多いと思います。このように、賛否が混在しているのに、当事者を交えて議論されることもなく、個人が事実に関して持つ認識とそれぞれの規範的考えに変化をもたらすことなく、規範的期待も無視して、強制的に経験的期待だけ変えさせようとしても機能しないのです。
コンセンサスを得られない限り、いくら半ば強制的に一時の行動を変えられたとしても、元通りに戻っていくのです。

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環境問題の例を挙げましょう。

例えば、個人レベルでは、自家用車の使用削減は温室効果ガスの低減に大きく寄与します。

しかし、車をすでに保有していて普段から利用している人たちにとっては、車を使わないことのデメリットは大きく、車がなければそもそも生活に大きな支障が生じる人たちもいます。このような人たちは、今後車に乗るなと言われても到底受け入れることはできません。車を利用しないように行動だけ変えさせようとしても到底実現できません。

複雑な変化を可能にするには、長い時間がかかります。また、政策、規則、信頼できる情報の共有、教育、経済的インセンティブ、メディアやインフルエンサーの利用など、様々なツールを組み合わせなければなりません。そして何よりも大切なのは当事者を交えた対話です。

対話の機会を生み出すことで、例えば、公共交通機関との併用や、カーシェアリング、ライドシェア、個人タクシーなど、今でも比較的無理なく実行できる主体的な提案が当事者から生まれるかもしれません。

車の使用制限はやや難しい問題ですが、エコバッグやゴミの分別は完全に進んできていますね。これらは個人への負担が少なく、抵抗も少ないため、行動を変えることが比較的容易だからです。

規範的期待を伴わない経験的期待の変化は、誰もが新しい規範に従う協調的行動によって利益を得ることができ、抵抗なく実現できます。

例えば、スウェーデンが1967年に新しい交通法を採用し、周辺諸国と足並みを揃えるため、左側通行から右側通行に切り替えたとき、ドライバーは新しいルールに従わなければなりませんでしたが、その協調行動はすぐに達成されました。元の行動の継続を支持する強い規範的期待や社会的圧力が存在しなかったからです。

沖縄でも、本土復帰6年後の1978年に、それまでのアメリカ式の右側通行から左側通行に変更されました。周到な準備にもかかわらず事故や混乱は発生したものの、用地補償や車の流れが変わったことによる経済的な損失を受けた人など以外で、このルール変更そのものに抵抗する人はほぼいませんでした。とても大きな変化でしたが、強い規範的期待を伴わない変化だったからです。

別の例として、コロナウイルス禍のある時期では、首都圏から地方への人の移動が強く批判されました。感染の拡大を恐れる地方の人たちからの強い社会的圧力や規範的期待がありました。一方で、大きな脅威が去った今、そのような規範的期待は消え、拒否反応を示す人もいなくなりました。

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ソーシャルノーム(社会規範)の取り除き方

では次に、従来からある社会規範が機能しなくなり、非効率になったり、有害になった場合、それをどうやって取り除くことができるのかを見ていきましょう。

規範の創出と同様に、規範の放棄でも重要なのが、その理由や目的の共有です。
規範が機能しなくなってきているということは、実はこうした理由や目的はすでに存在しています。しかし、それを伝えられていません。従来からの支配的な規範が、それを妨げているからです。放棄されることに対して、既存の規範が抵抗するのです。

または、多くの人が完全に従来からの規範と一体化していて、その理由や代替行動の可能性にまったく気づいていません。仮に実現可能な代替案を提示されても、自分の今の行動が代替案よりも優れていると確信している場合があり、その結果、自分のやり方を変えようという意識や必要性自体も感じないのです。

したがって、規範の創出と同様に、事実の認識かつ個人の規範的な考え方を変えることが、変化を実現するために必要な第一歩となります。

しかし、たとえ個人的な信念を変えることができたとしても、今ある規範から逸脱するのは自分だけかもしれない、浮いてしまうかもしれない、白い目で見られてしまうかもしれないという心配がある限り、規範に反した行動を自ら進んで取ろうという気にはなりません。単独で従来からの社会規範に反する行動を取れば、社会的制裁を受ける可能性があるからです。

たとえ多くの人が心の中では従来の規範を捨てる準備ができていたとしても、他人の脳のなかを知ることはできません。私たちは目に見えるものしか信じることができないため、他人も行動を変えると期待できない限り、自分の行動を変えられないのです。
既存の規範に反し、新しい行動をとるためには、周りの人がその行動を取り、周囲からの制裁がないことを確認し、安心して行動できるようになる必要があるのです。

そのため、新しい規範の創出の場合と同様に、既存の規範を放棄する場合も、経験的期待と規範的期待の集団的変化が起こらなければならないのですが、新しい規範を作る時とは逆に、経験的期待が先行しなければなりません。つまり、規範の放棄では、次のようなプロセスを経ることになります。

例えば、汚職に関する研究では、実は、大多数が汚職は悪いことだとすでに分かっていて、汚職行為は罰せられるべきものだとも信じています。しかし、汚職行為が浸透していると信じている限り、自分にとって不利になるような行動や無礼な行動(例えば、賄賂を期待している公務員に賄賂を渡さなかったり、ただで受け取るべきものを受け取らない)を取ることは難しいのです。
有害な社会規範であろうとも、個人としては、規範を破ることの社会的制裁リスクの方が高いのです。このような理由から、悪しき規範はしばしば長く生き残るのです。

また、「○○はよくありません」とか「□□をやめましょう」などと、複雑な要因を無視して、単に情報を伝えたり、啓蒙するだけのキャンペーンが成功することがないのはこのためです。
そんなことは言われなくても分かっているのです。しかし、社会的なハードルがあって、やめたくてもやめられないのです。
多くのキャンペーンで、どのようにして社会規範が形成されているのか、そしてそれを変えるためにはどのような方法が効果的なのかの議論た対話が欠けているのです。

多くの人は、周りの人たちの多くが行動を変えるのを確認してからでなければ、規範に反した行動をとることができません。あるいは、他人が行動が変えて、それが周囲の人に制裁されないのを確認してからでしか行動を変えられません。
重要なのは、これが相互の期待(mutual expectations)になっていることです。その点で難しいのは、経験的期待より、規範的期待です。なぜなら、前者は見える一方で、後者は通常見えない、見えにくいからです。

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さいごに

協調行動の背後には、常に協調的信念があります(これはゲーム理論でもよく知られています)。
協調的信念とは、簡単に言えば、私たちの相互の期待が正しいということで、つまり、私たちそれぞれが他人に期待することと、他人が実際に行うことが一致することです。

水を節約することを考えてみれば、自分だけ無駄な努力をするのはばかばかしいと考える人たちは、他の人たちも十分に節約しているのを見てから初めて自分の消費を減らすでしょう。

規範の創出と規範の放棄には、共通の特徴があります。
人は集団行動の問題に直面しなければならず、変化する理由を共有しなければならず、お互いがお互いに期待し合う社会的期待が集団的に変化しなければならず、お互いの行動も調整されなければなりません。

しかし、規範の創出と規範の放棄には重要な違いがあります。
社会規範が創出されるためには、まず規範的期待が創出されなければならず、経験的期待がそれに続きます。反対に、社会規範を放棄するためには、経験的期待がまず変化しなければならず、規範的期待の変化がそれに続くのです

現実にはもっと複雑な力学が働いていることが多く、また、多くの場合、ひとつの社会規範が放棄されることは、新たな規範が創出されることでもあり、経験的期待の変化と新たな規範の創出との相互作用が、ほぼ同時に重複して起こります。しかし、簡略化して説明するとこのようになります。

そして、最後に重要なのは、規範の変化には必ず「先駆者」や「トレンドセッター」や「ファーストムーバー」が存在することです
彼らは、一般的に、
高いレベルの自律性、強い使命感、自己効力感を持っており、現行の規範に対する感受性の低さ、社会的制裁に対する耐性を持っています。彼らが初動を起こすから、後から人が付いていき、集団的変化を形成することができるのです。

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