「環境にやさしい生活」には、我慢や抑制、気取った生活、スピリチュアル、自然派、過激な活動家などのイメージが結びついています。これらのステレオタイプが、むしろ一般の人たちを環境行動から遠ざける要因になっています。「環境にやさしい生活」をごくありふれた日常的な楽しみや幸せに結び付け直す必要があります。
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はじめに
今年もまた去年よりも暑い夏がやってきて、気候変動について書く時期になりました。
テレビでは、「異常気象」という言葉に「統計を取り始めてから最長の」とか「○○年以来最大の」などの表現を交えて暑い毎日を伝え続けています。
「異常気象」という言葉を使うことで、「異常」なのは「気象」だと捉えさせたいのかもしれません。
しかし、以前も書いたように、高度な専門性を持つ科学者の間では、気候変動は人間の活動が引き起こしていると100%見解が一致しています。
つまり、「異常なのは最近の人間の活動で、その結果として今までとは違う気象が引き起こされている」がより正確な表現になります。
「The Energy Institute Statistical Review of World Energy™」によると、世界で年間45億トンの原油が消費されています。
原油の比重は、0.85トン/m³なので、体積で表すと53億m³の原油が消費されていることになります。プラスチックなどの石油化学製品に使用される量を除き、原油の70%が燃料として利用されると想定すると、37億m³の原油が毎年燃やされていることになります。
37億m³は膨大な数字なので、イメージしやすく置き換えると、次のようになります。
大型タンクローリー換算(25m³) :1億4,800万台分
競技用のプール(50m×25m×2m):148万杯分
東京ドーム(124万m³) :3,000杯分
もし、37億m³の原油を山手線の内側すべてに敷き詰めたらどうなると思いますか?
山手線内側の面積は63km²です。
原油を高さ59mまで敷き詰めると、ちょうど37億m³になります。
ディズニーシーの「タワー・オブ・テラー」が高さ59mです。マンションで言えば18〜20階です。
つまり、マンションの18〜20階が埋まる高さまで山手線の内側全体に原油を敷き詰めた量を「毎年」燃やしていることになります。
なお、これは原油だけで、その他の主要なエネルギー源である石炭や天然ガスは含まれていません。
原油は世界の一次エネルギー消費の30~35%を占め、石炭が25~30%、天然ガスが約20~25%を占めます。なお、原子力は5~10%、再生可能エネルギーの利用はまだ10~15%程度です。
商業的に石油が使われ始めたのは1859年で、以降、私たちは約165年間石油を使い続けています。その使用量は右肩上がりで、1970年以前の100年間の消費量よりも、2000〜2024年の25年間の方が多いです。
地球ができたのは46億年前、現生人類が誕生したのは30万年前で、その歴史に比べると165年は一瞬です。
30万年を1日と仮定すると、165年は47秒に過ぎず、25年はわずか7秒です。
これだけ短期間に大量の燃料を燃やしているのに、「なぜ最近の夏はこんなに暑いんだろう」とか「なぜ海水温が上昇しているのだろう?」と疑問に思う方がおかしいことは容易にご理解頂けるかと思います。
部屋の中で何台ものストーブを一気に燃やして、この部屋はなぜこんなに暑いのだろうと思う人はいませんよね。地球の外側の宇宙人から見たら、不思議な人たちと思われるかもしれません。
と、ここまでが前段です。。。
また前段が長くなりました(汗)
というわけで、私たちは環境にやさしい行動を取り始めなければなりません。
しかし、実は、そのような環境行動を取りたくても、「環境にやさしい」に結び付けられているイメージが、むしろ私たちを環境行動から遠ざけていることがあるのです。
今回は、それらの事例と弊害、対策について紹介しましょう。
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環境にやさしい = 厳格で貧素な生活、我慢と抑制
元英国首相のボリス・ジョンソンが2020年に「貧素なシャツを着て、環境を守り、緑豆を食べるエコフリーク」と表現し(1)、ドナルド・トランプが「車をなくし、飛行機をなくし、牛をなくす」と表現したように、環境に優しい持続可能なライフスタイルを、大きな犠牲や我慢を余儀なくされるもの、退屈で抑圧された生活に結び付ける人たちは数多くいます。
イギリスのテレビ司会者兼コラムニストのジェレミー・クラークソン(Jeremy Clarkson)は、環境意識の高い行動を嘲笑し、電気自動車や自転車利用者を揶揄しましたが、彼は、環境に配慮した生活は、一般人にとっては非現実的なほど退屈で真面目すぎると批判します。
さらに、「石器時代に戻るのか!(Back to the Stone Age)」 と、文明や進歩を捨てることに結び付けて環境運動を批判する極端な人たちもいます。もちろん、私たちは石器時代にまで戻る必要はありませんし、戻ることもできません。
なぜ人は環境に優しい生活を、「貧困」や「退化」と結びつけるのでしょうか?
現代社会では、富と成功は、多くのものを所有することと同義です。例えば、大きな家、セカンドハウス、何台もの高級車の所有などです。
消費主義的な価値観にどっぷり浸かった人にとって、消費を減らすこと、所有物を減らすことは、貧しいことなのです。環境にやさしい行動は、こうした消費行動とは相反します。そのため、そのような人に、持続可能性は「後退」と映るのです。
これには逆方向の問題も存在します。
ドキュメンタリーやリアリティ番組では、都会から自然豊かな地方へ移住し、自給自足の生活を楽しむ家族の日々の生活が紹介されます。さらには、電気や生活水まで自分で賄う人たちもしばしば紹介されます。なお、英語ではそのような完全自給自足の生活を「オフグリッド・リビング(Off-grid living)」と呼びます。
それはそれで自分の信念を貫きのびのびとした人生を生きていて、心から素晴らしいと思います。
ただしすべての人たちがそのような生活を送れるわけではありませんし、送る必要もありません。
しかし、私たちの頭の中には、このようなイメージが植え付けられて、「環境にやさしい = 劇的な生活の変化」の公式が多かれ少なかれインプットされています。これが環境行動から私たちを遠ざける一因になっています。
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環境にやさしい = 気取った奴、嫌味な奴
サウスパーク(South Park)というアメリカのコメディ・アニメがあります。番組のタイトルは知らなくても、下のキャラクターを見たことがある人は多いでしょう。
いくつかのエピソードで環境保護主義者が登場しますが、傲慢で、独善的で、世間知らずな人物として描かれています。
例えば、2006年に放映された「Smug Alert!」のエピソードでは、カイルの父親のジェラルドが新しいハイブリッドカーを購入し、他の町民にも乗り換えを促します。しかし、ジェラルドがあまりに説教臭かったため、友人たちから総スカンを食らい、サウスパークでの生活をあきらめ、家族と共にサンフランシスコへ移住します。
ジェラルドを引き留めようとしたが叶わなかったスタンは、歌を書いて町中の人たちにハイブリッドカーの購入を促します。しかし、スタンはレンジャーのマックフレンドリーから、ハイブリッドカーを所有することは善よりも害をもたらすと次のように諭されます。
ハイブリッドカーで排出量は減るが、ドライバーから「うぬぼれ」が吐き出される。サウスパークのうぬぼれ量はサンフランシスコに次いで既に全米で2番目に高いレベルだ
このエピソードが放映されてから20年が経ち、さすがにハイブリッドカーに乗っている位でうぬぼれていると思われることはなくなったと思いますし、むしろそのように思う人の方がおかしいと周りから思われるでしょう。しかし、初めに何かを始める人は周りから良く思われず、煙たがられるのです。
別の人気アニメであるザ・シンプソンズ(The Simpsons)のリサ・シンプソンもそのようなキャラクターとして描かれました。リサは知的で良心的な環境保護主義者ですが、孤立した理想主義者でもあります。
これらのイメージが、環境活動家は知的だが、一般人とはかけ離れたアウトサイダーで、大衆から快楽を奪おうとする興ざめな人というステレオタイプを強めています。
日本でもそうですよね。
実は、私たちの身の回りには、環境にやさしい行動を生活に組み入れて過ごしている、ごくありふれた人たちがいます。
しかし、その人たちは自分の行動を大っぴらに公言することができません。
なぜなら、もし周囲の人たちに自分の環境行動を伝えようものなら、「意識が高いことを鼻にかけて感じが悪い」とか「自分だけいい人ぶって、いやな奴」と思われてしまうからです。何も悪いことをしていないのに、偽善者と扱われてしまうことさえあります。
以前も書きましたが、私は車を持たないという選択を取っています。
車を持っていないと人に言うと「えっ?」みたいな顔をされる時もありますが、「環境にやさしいですから」と答えることは決してありません。
なぜなら、そのように答えれば相手に抵抗感や罪悪感が生まれるからです。「車を持っている私を責めているのか?!」とか「車に乗らないくらいで偉そうな顔しないでよ!」とか「へ~、楽しいの?」と思われるのが面倒だからです。
また、暑い夏の日の街頭インタビューでも、「人間は化石燃料使ってますからね」とか「自業自得でしょう」などとコメントする人はテレビ局に採用されません。
「今からこんなに暑くてこれからどうなるか心配です」とか「政府には何とかしてほしいです」などの不満を共有するコメントの方が採用されるのは、その方がより多くの人から共感されるからであり、テレビ局が伝えたい文脈に合っているからです。
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環境にやさしい = スピリチュアル
別の種類のステレオタイプも存在します。
環境にやさしいライフスタイルとスピリチュアルを重ね合わせるステレオタイプです。
自然の中で、ヨガや瞑想をしたり、木を抱いたり、有機野菜を食べる人たちの中に、環境によいライフスタイルを実践している人たちは確かに多くいます。
しかし、その逆の、環境保護者はすべてスピリチュアルであるという論理は成り立ちません。環境保護的な取り組みやライフスタイルは様々です。そもそも自然が好きだから環境にやさしいという公式も当てはまりません。インドア派にも環境にやさしい生活をしている人たちがいます。
皆さんは、「フレンズ」というアメリカで大ヒットしたテレビドラマを見たことがあるでしょうか?
私はかつてテレビでよく見ていて、いまだにDVDセットも家にありますが、主要登場人物の一人であるフィービーは典型的なスピリチュアルかつ環境に優しいキャラクターで、また気まぐれでちょっと変わった人物としても扱われています。
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環境にやさしい = 過激な活動家
さらに異なる要因もあります。
環境意識の高い人=過激な人というイメージです。
環境保護主義と過激な活動主義の間には強い歴史的なつながりがあります。
それが持続可能な活動を支持するかもしれない善良な一般人を遠ざけている可能性があります。
具体的には、自然保護・環境保護団体である「グリーンピース」や「エクスティンクション・レベリオン (Extinction Rebellion)」、「Earth First!」などの、いかだから捕鯨船に乗り込んだり、石油掘削施設に登ったり、政府の建物にスプレーを吹き付けたり、道路を占拠したり、ガスラインを破壊する過激な抗議行動が、一般の人たちに「環境行動」=「過激な活動家」というイメージを植え付け、環境行動からむしろ遠ざけるのです。
さらに彼らの中には「完璧な環境保護主義者」か「全く環境保護主義者ではない」という二分論者がいます。つまり、中途半端な環境保護主義者を受け入れないのです。
そのような団体の中にも活動を広めるのに重要な、穏健かつ実践的な環境保護主義者は少なからずいますが、暴力で善意がかき消されてしまうのです。
このような環境団体は、ブランディングに失敗しています。
一般の人たちがもっと近づきやすい存在になり、ネガティブなイメージを払拭しなければなりません。
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環境にやさしい = 政府や企業の責任
確かに、政策や企業活動は、環境にものすごいインパクトを与えます。
しかし、「だから個人は何もしなくてもよい」という論理は成立しません。
いくら「環境」研修や「SDGs」の特集番組などを見ようが、「大変だ」と思うのはその時だけで、それはそれ、これはこれと、私たちは日常と環境問題を完全に切り離しています。
政府の対応が悪いとか、企業努力が足りないなどと文句を言ったり、さらには排出量が多いインドや中国が悪いので日本人は何もしなくてよいと、自分とは無関係だと思い込むのです。
メディアは、私たちの生活と切り離されたストーリーではなく、生活に直結するストーリーを提供しなければなりません。
環境問題の特集番組は組むものの、その他の番組での継続的な配慮はありません。人の行動に変化をもたらすためには、大衆に不快感を与えることなく、日常的な報道の中にそのメッセージを取りこまなければなりません。
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環境にやさしい = 私たちの楽しみ・幸せ
このように、環境行動の多くがマイナスのイメージに結び付けられていて、それが社会規範になっています。この規範を変えなければ、環境に対する正しい認識と行動は広がりません。
完璧主義者は、お手軽な取り組みをしている人たちを「十分にやっていない」と非難したくなるかもしれませんが、何事もはじめの一歩からはじまります。温かく見守りましょう。
最初から完璧を求めてはいけませんし、最終的に完璧さを求める必要もありません。
田舎への移住や環境スタートアップへの転職などではなく、できることを無理なくやっていて、義務感やストレスを感じるのではなく、楽しみや幸せに純粋につなげているごく普通の人たちがいます。メディアには、そのような人たちを紹介してほしいと思います。
「上から目線で」「これ見よがしの」環境家は、一般の人たちに抵抗や罪悪感や不快感をもたらし反発にあいますが、純粋に環境活動を日常的な楽しみや幸せにつなげている人は、一般の人たちを引き付けるからです。
オシャレなカフェ巡りや季節のイベントなどの「映える」体験や、御朱印集め、推し活、毎日の料理やお弁当や読書のブログ、そのような行動が多くの人たちに受け入れられるのと同じように、行動自体を楽しむことができ、周囲からそれいいね、私もやりたいと思わせるような、変化を促していく取り組みが必要です。
残念ながら、多くの人は、そのようなポジティブかつうまく実践されているごく一般の人たちのエコライフモデルへの露出経験がないのです。
例えば、車を所有していても、月に1度は週末車を駐車場に置き、公共交通機関を使って、周辺の町を探索してみる、新しい発見をしてみるなど、具体的なライフモデルを広げてはいかがでしょうか。
誰にでも実現できるような持続可能な仕組みを暮らしに取り入れて、贅沢ではなく意図を持ち、精神的に豊かな生活を送っている人たちをエリートや特別な存在として描くのではなく、私たちのポジティブなロールモデルとして紹介するのです。
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さいごに
証拠を見れば、別の見方も浮かび上がってきます。(1)
幅広い研究によって、環境に優しい行動と個人の幸福感の間には正の相関関係があることが示されています。(2)(3)
環境保護のための行動をとることで、世界に貢献しているという感覚や、自分自身の価値観や関心に基づいて行動しているという感覚といった基本的な心理的欲求が満たされて、満足感が高まるためです。
これは以前本サイトで紹介したエドワード・デシとリチャード・ライアンが提唱した自己決定理論(Self‑Determination Theory)にも合致します。
人間には、有能感、自律性、関連性という3つの基本的な心理的欲求があり、これらが満たされると、モチベーション、幸せ、そして繁栄へとつながるのです。
自律性(Autonomy):意志を持ち、自分の行動をコントロールできていると感じること
有能感(Competence):自分が役に立っていると感じること
関連性(Relatedness):他人とのつながり、社会とのつながりを感じること
これらの3つの欲求が満たされると、人は内発的動機、心理的健康、そして自らが持つ機能を発揮する可能性が高まります。一方、これらの欲求が満たされないと、それらは損なわれます。
なお、これは先進国の人たちだけでなく、途上国の人たちにも当てはまります。収入による差はありません。(4)
この効果は逆方向でも成り立ちます。
つまり、前向きな気持ちを持つ人は、環境により配慮し、自分自身だけでなく、他人にも利益となるような行動をとる可能性が高くなるのです。
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参考文献
(1) Stuart Capstick, “Climate change: greener lifestyles linked to greater happiness – in both rich and poor countries“, The Conversation, 2022/4/4.
(2) Stephanie Johnson Zawadzki, Linda Steg, Thijs Bouman, “Meta-analytic evidence for a robust and positive association between individuals’ pro-environmental behaviors and their subjective wellbeing”, Environ. Res. Lett. 15 123007, 2020.
(3) Michael Prinzing, “Proenvironmental Behavior Increases Subjective Well-Being: Evidence From an Experience-Sampling Study and a Randomized Experiment”, Psychological Science, 35(9), 951-961., 2024.
(4) Stuart Capstick, Nicholas Nash, Lorraine Whitmarsh, Wouter Poortinga, Paul Haggar, Adrian Brügger, “The connection between subjective wellbeing and pro-environmental behaviour: Individual and cross-national characteristics in a seven-country study”, Environmental Science & Policy, Vol 133, Pages 63-73, ISSN 1462-9011, 2022.