企業が社会に良いと思って行っていることの裏には悪い側面もあります。恩恵を受ける人たちもいれば、悪影響を受ける人たちもいるトレードオフの関係があります。企業は良い面ばかりを見たり伝えたりしようとしますが、トレードオフに目を向けることなく真のイノベーションや問題解決は不可能です。
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はじめに
「顧客に良いことをしているビジネスは良い」とか「社会に良いことをしているビジネスは良い」という従来のレトリックはあまりにも単純化されています。
会社が顧客や社会に本当に良いことだけをしているということはあり得ません。
ある点から見れば、その会社は本当に顧客や社会に良いことをしているかもしれません。しかし、すべての点において、あらゆる角度から見て良いかどうかは別問題です。
例えば、ある点では社会に良いとされていることが、別の角度から見れば悪い影響を及ぼしていることがあります。良い面だけを見て、「これは社会によい!」と主張するのは片手落ちなのです。
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トレードオフ
「グローバル化」という言葉さえ陳腐化するほどグローバル化が進み、消費者にできるだけ安く商品を届けるため、人件費の安い途上国へ生産拠点を移すことが常識になりました。
これは、先進国のエンドユーザーにとっては良いことかもしれませんが、本国では認められないような劣悪な労働条件で生産を担う途上国の労働者にとっては必ずしも良いことではありません。しかし、労働者にコストをかければ、小売価格は上昇し、価格に敏感な顧客を失うリスクがあります。
ファストファッションは常にこの問題に直面しています。世界中に手頃な価格の衣料を届けて消費者を助ける一方で、過剰生産、膨大な繊維廃棄物という問題も生み出しています。
Eコマースと翌日配送や即時配送は、消費者に利便性をもたらす一方で、配達の回数が増えることによるCO₂排出量、包装廃棄物を増加させます。
アーティストは私たちに歌で勇気を与えることができる欠かすことのできない存在です。しかし、一人の歌手が世界中をツアーすることで排出するCO₂も無視できません。
世界的な観光の広がりは、地域経済の活性化や異文化間の理解を促す一方で、オーバーツーリズムの問題を引き起こしています。
電気自動車(EV)用バッテリーは、環境負荷を低減する一方で、バッテリー製造のためのリチウム、コバルト、ニッケルなどの鉱物の採掘が、水資源の枯渇や生息地の破壊につながる可能性があります。
格安航空会社は、フライト数を最大化することで価格を抑えていますが、これもCO₂排出量を増加させます。
石油やガスから再生可能エネルギーへのシフトは、持続可能性に大きく貢献します。しかし、大規模な太陽光発電や風力発電プロジェクトは、地域の生態系を破壊し、また、寿命を迎えた後の施設の処理(デコミッショニング)をどうするのか、今から大きな課題になっています。
これらの例のように、企業は、しばしば対立するステークホルダーの利害、あるいは短期目標と長期目標の間で選択を迫られます。異なるステークホルダーの立場から見ると、企業が社会に良いと思って行っていることの裏には、悪い側面が存在するというトレードオフの関係があるのです。
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360°コーポレーション
トロント大学ロットマン経営大学院の特別教授であるサラ・カプラン(Sarah Kaplan)は、著書『The 360º Corporation(邦訳)360°コーポレーション』の中で、多くの場合企業はこのようなトレードオフを避けることができないと指摘します。トレードオフが存在しない完璧な価値の実現は非現実的で、むしろその非現実的な考え方が正しい行動の妨げになっていると警告します。
カプランは、多様なステークホルダー間のトレードオフを生じさせるという現実を企業は受け入れるべきだと主張します。トレードオフを受け入れることで真のイノベーションの道筋を見出すことができ、組織のレジリエンスと変革の源泉とすることができるからです。
カプランは、企業を取り巻く様々なステークホルダーの視点を取り入れる必要性について、「360度」という言葉を用いて表現しています。意義のある仕事を求める従業員、環境・社会・ガバナンスへの対応を求める投資家、社会意識の高いミレニアル世代、サプライヤー、地域社会、社会的弱者、生態系など、収益を損なうことなく、360度の視点を持って考え、対話しなければなりません。
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企業が抱える4つの問題
企業は、このトレードオフに対する4つの問題を抱えています。
1つ目の問題:自社の活動がトレードオフを生み出していることを受け止めない
1つ目の問題は、企業がこのトレードオフの存在に気が付いていない、あるいは企業の活動がトレードオフを生み出している実情を見て見ぬふりをしていることにあります。さらにひどい場合は、良い面だけを強調し、足元で起きている問題を隠していることさえあります。
2つ目の問題:「ビジネスケース」から始めようとする
2つ目の問題は、企業がすべての課題を彼らの「ビジネスケース」に乗せようとしたり、新しい「ビジネスケース」を作ることにこだわりすぎていることです。
会社はビジネスケースの呪縛から抜け出す必要があります。ビジネスケースを先に考えるから、対応が偏ったり、形骸的になってしまうのです。
その典型的な例は、SDGsの17の目標ですね。多くの会社が、自社の取り組みをこの17の項目のいずれかに乗せようとします。「わが社ではこの項目で貢献しています」という資料を作成し、世の中にアピールします。しかし、本当にこれは機能しているのでしょうか?
「SDGsの17の目標」に乗せることが目的になっていて、取り組みが引き起こすトレードオフの存在や、目標の背景にある真の目的の実現に関心を寄せることはありません。
企業はビジネスケースに如何に自社が束縛されているかを理解していません。ビジネスケースを考えるのは最後でいいのです。ビジネスケースを先に考えるから、そこで思考が停止したり、対応が歪んでしまうのです。考え方の順番を変えるのです。
3つ目の問題:既存のモデルに何かを追加しようとする
3つ目の問題も2つ目の問題に類似しますが、CSRやESG、多様性などの新しい社会的要求に対して、既存のビジネスモデルに何かを追加(add-on)して対応しようとすることです。
例えば、既存の組織や仕組みはそのまま残して、CSR室などを追加して数名の従業員を配置し対応します。障害者雇用や女性取締役も数の達成を目指すだけの表面的な対処をします。これで、真の問題解決やイノベーションが生まれるわけがありません。
また、企業の社会的責任に関する仕事の多くは、特定の部署の「誰かの机の上で」行われているだけです。その机の上でつじつまの合う文書作成が行われ、他の大多数の部署の従業員はその社会的責任を実行に移すどころか、迷惑と思っていることすらあります。
ビジネスケースや既存のモデルから始めることは、真の解決の妨げとなります。長きに渡って、意味のある変化をもたらすことができていないのはこのためです。
4つ目の問題:解決策が見つからないと、あきらめて取り繕うとする
4つ目の問題は、多岐に渡る問題をビジネスケースに乗せることができなければ、そこであきらめてしまうことです。あきらめて体裁を繕うことに注力します。
これが可能になってしまう背景には、CSRやESGの要求が、数字をまとめて体裁だけ整えておけば、ひとまず良しとされてしまうからです。ディスクロジャーの要求が機能しておらず、ただ単に手間を生んでいるだけです。
これらが毎年企業に対して成果を見せることを要求するから機能しないのです。成果を上げることは容易ではありません。だから、会社は成果をでっち上げるのです。CSRやESGのあり方そのものも考え直さなければなりません。
むしろ逆に、CSRやESG に対して逆行している点、つまりトレードオフに真剣に向き合いそれを明らかにすることを義務付ける方が効果的かもしれません。企業に自社を最大限誇張して見せようとする仕組みをやめて、トレードオフのネガティブな面に正直に向き合う会社を評価するような仕組みに置き換えるのです。
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360 度企業となるための4つの行動モード(1)
カプランは、360 度企業となるための4つの行動モードを提案しています。
1つ目の行動モード:トレードオフを知る
先ほども書いたように、あらゆるビジネスモデルにはトレードオフが内在します。すべてのステークホルダーに等しく利益をもたらす事業戦略は存在しません。
1つ目の行動モードは、多様なステークホルダーの存在が、ステークホルダー間にトレードオフを生じさせるという現実を企業が受け入れることです。
解決策を見出すことはこの段階では必要ありません。むしろ解決策をこの段階で考えてはいけません。会社の取り組みとどうつなげられるかも考えてはいけません。
まずは、現実を直視し、その事実を正しく受け入れることです。トレードオフが存在しないかのように装ってはいけません。トレードオフを正しく認識することで意思決定の質が向上するからです。
繰り返しますが、この段階で成果を見せることを考えてはいけません。企業が生み出しているトレードオフをできるだけ正確に把握するのです。会社がステークホルダーにどのような影響を与えているかを特定する「インサイドアウト」の視点だけではなく、様々なステークホルダーの視点から影響をインプットする、つまり外部の世界から企業を見る「アウトサイドイン」視点も取り入れ、ビジネスモデルに内在するトレードオフを正しく認識する必要があります。
事実を正しく受け止めるから、的外れな取り組みではなく、真のイノベーションへの道筋を見出す土台を構築することができます。この発見のプロセスが4つの行動モードの出発点です。
2つ目の行動モード:トレードオフを見つめ直す
2つ目の行動モードは、ステークホルダーの関係性に改めて目を向け、トレードオフをどうやって軽減できるかを考えたり、話し合ったりすることです。先に指摘したように、既存のビジネスケースに何かを追加しようと考えることを先行させてはいけません。
ビジネスケースの構築が重要だと思うほど、効果的な変化を妨げ、目的を達成する可能性は低くなります。ビジネスケースを考えるのは最後でいいのです。考え方の順番を変えるのです。
トレードオフを軽減することが先に来るのです。ステークホルダーにとってWin-Winとなる取り組みが理想です。
3つ目の行動モード:イノベーションから始めて、ビジネスケースを生み出す
2つ目の行動モードで、Win-Winの解決策を模索しますが、実際にはそのような誰にとっても都合の良い解決策が見つかることはとても稀です。問題は、ほとんどの企業がビジネスケースに固執してしまい、モード2から先に進めなくなることです。
3つ目の行動モードは、トレードオフをイノベーションに転換すること、ステークホルダーをイノベーションの源泉として活用することです。
ステークホルダーに非現実的な夢を抱かせることなく、企業自身も理想の世界から現実に戻ってこなければなりません。重要なのは、解決策がすぐに見つからなくても、様々なステークホルダーの立場を認めて、トレードオフによって生じる緊張関係に創造的な思考を注ぎ続けることです。企業はイノベーションを通じて、ビジネスケースの罠から抜け出し、新たなビジネスの方法を見出すことができるようになります。
4つ目の行動モード:未解決の余地を受け入れて、実験に移してみる
皆さんはナイキが2005年に発売した「Considered」というモデルの靴をご存じでしょうか?(2)
茶色の麻繊維で作られた、土っぽい見た目のウォーキングシューズですが、ナイキのハイテクイメージを損なうデザインが批判され、1年で店頭から姿を消しました。しかし、大事なのはこの取り組みを実行に移したことです。
ナイキが得た教訓は、環境に配慮したイノベーションは継続すべきだが、顧客にはそれが伝わらないようにすべきだということでした。ナイキの環境ビジネスを統括していたロリー・ボーゲル(Lorrie Vogel)は、これについて「私たちはより多くのことを行い、より少ない言葉で表現したい」と述べています。
その後ナイキは環境配慮の取り組みを静かに進め、現在のラインナップには、リサイクル素材など環境に優しい製造方法を採用した様々なシューズが含まれています。
このナイキの取り組みはビジネスケースが先に来ていません。課題解決を優先しています。
4つ目の行動モードは最も困難です。革新的なソリューションが全く存在しない場合もあります。しかし、ナイキの例は解決困難なトレードオフ下でも組織がいかに成長できるかを示しています。トレードオフを一気に解決しようとする必要はありません。未解決の緊張関係を受け入れる余地を残してもよいのです。どのステークホルダーにとっても最善ではない解決策であっても、それが現時点ではベストな場合もあります。
現実世界では、利益を損なわずに社会的責任を果たすビジネスモデルを確立することは困難です。しかし、ネスレからウォルマートまで、カプランが書籍で挙げる数々の事例が示すように、多くの企業が長期的には成功を収めています。企業は解決困難なトレードオフの中で成長するのです。
特に3つ目や4つ目の行動モードで成果を出すことは容易ではありません。イノベーションを生み出せと言われて、簡単に生み出せるのならどの会社も苦労しません。筆者自身も、これは難しい課題だと認めています。そして書籍は答えを提供しているのではなく、問題を提起していることを強調しています。
繰り返しになりますが、最も重要なことは1つ目の行動モードの、トレードオフがあることを心から認めることです。問題の解決策は容易に見つからないでしょう。だからと言って、そのトレードオフから逃げないことです。解決策がなくても、問題を見つめ続けることです。そして社会も、企業が短期的には成果を生み出せない可能性があることを受け入れることです。
企業は、ステークホルダーを生産的な対話と実験に巻き込む必要があります。こうした対話は必ずしもスムーズに進むとは限りません。実際、最も生産性の高い対話は、対立に満ちていることもありますが、同時に可能性にも溢れています。
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さいごに
以前本サイトで『パーパスのデカップリング:企業のパーパスと、経営者や従業員の行動との乖離』という記事を書きました。
従前、企業は株主のために存在するとされていましたが、2019年、アメリカの大手企業200社以上のCEOからなるビジネス・ラウンドテーブルは、企業はすべてのステークホルダーに価値を提供するために存在するという宣言書を発表しました。
以降、株主のためでも、経営者のためでも、顧客だけのためでもない、未来のステークホルダーも含めたあらゆるステークホルダーに対する会社のあり方が重要になってきています。
今回述べたように単純な解決策はありません。しかし、簡単に解決できないからと言って、解決したふりをしたり、目を背けてはいけません。
企業だけでなく、私たちがすることのすべてには、ポジティブな面とネガティブな面があります。すべての物事には陰と陽の二面性があります。しかし、私たちはネガティブな面に向き合うことを避けようとします。
社会問題の本当の解決のためには、企業だけでなく、社会全体がポジティブな面だけ見ようとする習慣をやめて、解決策が見つからなくても、ネガティブな面に向き合い続ける姿勢が評価されるようになる必要があるでしょう。
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参考文献
(1) Sarah Kaplan, “The upside of trade-offs“, strategy+business, a pwc publication, 2020/6/20.
(2) Reena Jana, “Nike Quietly Goes Green”, Bloomberg Businessweek, 2009/6/12.