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書籍紹介:The Road Less Traveled ~ 進む人が少ない道。人生の困難を受けとめる道

  • 投稿カテゴリー:人が変わる
  • 投稿の最終変更日:2023年9月25日
  • Reading time:12 mins read

「人生は難しい」これは私たちにとって、最も重要な真実のひとつですが、ひとたびこの真実を受け入れることができれば、人生はもはや困難ではなくなります。困難さが、私たちに勇気と知恵を呼び起こすのです。そして人生の問題を解決するために必要な道具は規律です。

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はじめに

以前本サイトでは、アメリカの精神科医スコット・ペック(Scott Peck, 1936–2005)の書籍「The People Of The Lie: Hope for Healing Human Evil(邦題)平気でうそをつく人たち:虚偽と邪悪の心理学」を紹介しました。
今回紹介する「The Road Less Traveled(邦題)愛すること、生きること」は、1978年に出版されたペックの代表作で、彼の名声を高めた作品です。

本書は、ペックの精神科医としての専門的な経験、そして1人の人間としての経験に基づき、充実した人間とはどのようなものか、人生の苦しみや失望に対処する方法を教えてくれます。その教訓は今も色あせないどころか、私たちが抱える問題は当時から全く変わっておらず、むしろ深刻になってさえいます。

実は、1978年初版の発行部数は5,000部と控えめで、発売当時の売れ行きはそれほどではありませんでした。しかし、徐々に売り上げを重ね、執筆から6年経った1984年に初めてニューヨーク・タイムズのベストセラーリストに入り、その後、ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーリストに13年間ランクインし、ペーパーバックの記録を塗り替え、ギネスブックにも載り、全世界で1,000万部を売り上げました。自己啓発本でこれほど長く支持された本はほとんどありません。(1)
※ 今でも英語版は新本も手に入りますが、残念ながら、邦訳版は流通しているのは中古本のみのようです。

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進むべき道を進む人は少ない

本書は大きく次の4つの章から構成されています。

第1章では、ペックが感情的、精神的、心理的健康のために不可欠と考え、精神的進化の手段と表現する「規律(Discipline)」について説明しています。

第2章では、「愛(Love)」について書かれており、端的には「愛とは単なる感情ではなく、行動であって、自分と他人のために、自己を成長させようとする意志」だと述べています。

第3章では、「成長と宗教(Growth and Religion)」について書いていますが、特定の宗教を扱っているわけではありません。そうではなく、誰しもがそれぞれの宗教を持っていると述べています。それは、人それぞれの世界観や価値観や偏見とも言い換えることもできるでしょう。しかし、それは必ずしも現実と一致しないため、精神的に成長するためには、その自分なりの世界観を塗り替えていかなければなりません。

第4章で紹介する「恩寵(Grace)」とは、私たちの無意識の作用による恩恵です。その恩恵は先祖から引き継いだものや、自然の摂理によるもので、私たちの成長をサポートしますが、自分で直接経験して得たものではないため、明確に理解できるものでもありません。精神的に成長するためには、この無意識の作用を認識することが大切ですが、ただし、意識と無意識を融合させることが目的ではない、と述べています。

この4つの章のうちどの章が印象に残るかは、人それぞれかと思いますが、個人的には、後半に進むにつれて、より宗教的かつ冗長的になる感じがします。言いたいことは分かるのですが、ちょっとまどろっこしくて読みにくくなる印象です。

また、最後の第4章では、人間の無意識の作用について書かれていますが、変に神を重ねて書いている部分があり、分かりづらくしています。本書よりも、無意識と意識、知性と感情のメカニズムや考え方を扱う他の良書を読む方がシンプルで分かりやすいとも思います。

今回は個人的にずば抜けて素晴らしいと思う第1章「規律」にフォーカスして紹介していきます。

なお、いつものように、私は英語の原本(発刊25周年記念版)を読んでおり、邦訳版は読んでいませんので、言葉使いの相違などがありましたら、ご了承ください。

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規律

第1章は「人生は難しい(Life is difficult.)」という言葉から始まります。

これは私たちにとって、最も重要な真実のひとつですが、ひとたびこの真実を受け入れることができれば、人生はもはや困難ではなくなります。

しかし、ほとんどの人は、人生は困難に満ちているという真実を受け入れられません。それどころか、まるで「人生は楽で快適であるべきだ」とか「辛いことがあってはならない」とでも考えているかのように、自分の問題の大きさや辛さについて、絶えず不満を並べます。

人生は終わりのない問題の連続であり、もちろん喜びもありますが、苦痛にも満ちています。問題に遭遇し、解決していくプロセスにこそ、人生の意味があります。

困難さが、私たちに勇気と知恵を呼び起こすのです。
そして「規律」とは、人生の問題を解決するために必要な道具セットです。 それは苦しみの技術であり、問題を解決し、その過程で学び、成長するための道具です。

例えば、子供たちや私たち自身をしつけるとき、子供たちに、そして自分自身に、苦しみを味わいながら成長する方法を教えることで問題解決の道具を与えているのです。

規律なしには何も解決できません。
人生の困難さを受け入れている人たちは、問題を恐れるのではなく、問題から学びます。

しかし、残念ながら、多くの人たちは、痛みを伴うことを恐れ、問題を避けようとします。対応を先延ばしにし、時とともに解決されることを願いますが、避けることで、最終的に降りかかる苦しみの方が大きくなります。問題に正面から向き合うのではなく、見ないふりをしたり、自分から遠ざけようとしますが、問題は常にそこにあり、逃れられません。問題を避けることを繰り返して、苦痛を何層にも重ねていきます。

では、規律とは具体的には何を指すのでしょうか?それは、以下の4つからなります。

  1. 楽しみを遅らせること(delaying gratification)
  2. 責任を引き受けること(acceptance of responsibility)
  3. 真実と現実に誠実であること(dedication to truth / reality)
  4. バランスをとること(balancing)

これらは複雑な道具ではありません。それどころか、とても単純な道具で、多くの子供でさえ、ある年齢に達するまでにその使い方を理解します。しかし、一方で、地位や権力が高い人たちの中には、その使い方を忘れ、破滅の道をたどる人もいます。

この4つの規律の道具について、ひとつづつ見ていきましょう。

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1.楽しみを遅らせること(delaying gratification)

「楽しみを遅らせる」とは、楽しみよりも先に人生の苦痛に向き合うことです。

ペックはある日、春の日の散歩をしていて、芝刈り機を修理している隣人に出くわします。
ペックは挨拶をして、その隣人にこう言います。「尊敬しますよ。私はそういうものを直せたためしがありません」
すると隣人は即座に「それはあなたが時間を取らないからですよ」と答えました。

ペックはまた歩き始めましたが、隣人からかけられた言葉の重要さに気が付きます。
「私が芝刈り機を直す時間を取らなかったように、多くの人は人生の問題を解決するのに必要な時間を取らないのだ」

私たちには、普遍的な欠陥があります。それは、問題はいつか消えてなくなる、誰かがいつか解決してくれると期待することです。

しかし、問題はなくなりません。

次のように考える人たちも多いです。
「この問題は、他の誰かや、自分ではどうしようもない社会状況によって引き起こされたものだ」

「私には関係ない 」と言っても、問題はなくなりません。誰かが解決してくれるだろうと期待しても、誰も解決しません。自分自身の行動に対する責任を回避しようとするとき、私たちはいつも、その責任を他の誰かや組織や団体や社会に押し付けます。

変化が必要なのは周囲の人たちでなく、自分自身です。

問題を無視するのは、楽しみを遅らせたくないという気持ちと表裏をなします。問題に直面することは、痛みを伴います。解決するためには、今ある快楽や快適さを脇に置いて、苦痛と向き合わなければなりません。

ある軍の司令官がペックにこう言ったことがあります。「この軍隊で、いや、どのような組織にも言えることだが、唯一にして最大の問題は、ほとんどの幹部が、自分の部隊の問題を目の前にして、何もせず、あたかもそこに長く座っていれば問題が解決するかのようにしていることだ」

「これは自分の問題だ、解決するのは自分だ」と受け止めることで、初めて問題を解決できます。
そして、問題を解決する前には、その問題の責任を引き受けなければなりません。

そのように自分を律することができれば、「自分は価値のある人間だ」という感覚がうまれます。自分が価値のある人間だと思えば、自分を大切にするようになります。先に問題に対処することで、後で自分が楽になります。自分を律することは、自分を思いやることなのです。

しかし、世界とその中での自分の立場を現実的に見る能力を身につけ、自分自身と世界に対する責任を客観的に認識できるようになるには、多くの経験と長い成熟を積まなければなりません。

また、人生の問題は完全に解決されることはありません。私たちは生涯を通じて、絶えず変化する社会の流れの中で、自分の責任がどこにあるのかを繰り返しチェックしていかなければならないのです。

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2.責任を引き受けること(acceptance of responsibility)

私たちは、人生が個人的な選択と決断の連続であることを学ばなければなりません。
このことを完全に受け入れることができれば、自由になれます。

逆に、このことを受け入れない限り、私たちは永遠に自分は犠牲者だと感じるでしょう。責任という痛みから逃れようとして、何百万、何億という人たちが毎日、結果的に自由からも逃れてしまっています。

ペックが精神科の研修医としてのトレーニングを終えようとした時、外来クリニックの院長はマック・バッジリーでした。このクリニックでは、ペックと同僚の研修医たちがローテーションで新しい患者を担当していました。

ペックは同僚たちより熱心だったためか、彼らよりも遅くまで働いていました。同僚たちは週1回しか患者を診ませんでしたが、ペックは週に2、3回患者を診ていました。同僚たちが午後4時半にクリニックを出て家路につくのを見ながら、ペックは夜の8時とか9時まで働いていました。

ペックは、徐々に疲れていき、憤りが募り、何かしなければならないと悟り、バッジリー院長のところに行って、状況を説明しました。

バッジリー院長は一度も口を挟むことなく、熱心にペックの話を聞きました。ペックが話し終えると、しばらくの沈黙の後、彼はとても同情的にこう言いました。

「君は問題を抱えているね」

ペックは理解されたと思い、顔をほころばせ、「ありがとうございまず。ではどうすればいいですか?」と尋ねます。
バッジリー院長は言います。
「言っただろう、スコット、君は問題を抱えているんだ」

これはペックが期待していた反応ではありませんでした。ペックは少しイライラしながら言いました。

「ええ、だからここに来たんですよ。どうしたらいいと思いますか?」
「スコット、君は私が言ったことを聞いていないようだね。私は君の話を聞いたし、君に同意している。君は問題を抱えているんだ」
「ちくしょう」とペックは言いました。
「それはここに来たときからわかっています。問題は、どうすればいいかということです」。
「スコット、よく聞いてくれ。私は君に同意する。君には問題がある。具体的には、時間の問題だ。君の時間だ。私の時間ではない。私の問題でもない。君の時間の問題だ。スコット・ペック、君の時間の問題だ。それだけだ」

ペックは激怒しながら院長室を出ましたが、怒りは3か月間収まりませんでした。
「私は謙虚に彼のところへ行き、ほんの少しの助けを求めただけなのに、どうしてあんなに冷たくできるのか。あの野郎は私を助けようともせず、院長としての仕事を果たそうともしなかった」

しかし3ヵ月後、ペックは院長の言う通り、問題があるのは彼ではなく自分なのだと思うようになります。

私の時間は私の責任だ。もし、同僚たちよりも長く仕事をしたいのならば、それは私の選択であり、その選択の結果の責任は私にある。その気になれば、彼らと同じ時間に帰る自由を選択できたのだ。
妻から、私が家庭をおろそかにしているという愚痴を聞くのも、私が選択した結果によるものだ。
私が懸命に働くことは、私が選んだ生き方だ。結果的に、私は自分の生き方を変えることを選ばなかった。しかし、今、私の態度が変わったことで、研修医仲間への恨みは消えた。彼らを恨むことは、彼らとは違う生き方を選んだ自分自身を恨むことだ。そして、私は自分の行動の責任をバッジリー院長に押し付けていた。しかし、院長は私に権力と自由を与えていたのだ。彼は「君が君の仕事のボスなんだから君が決めるんだよ」と言っていたのだ。

自分の行動に対する責任を回避しようとするとき、私たちはいつも、その責任を他の個人や組織に委ねようとします。
確かに社会には、私たちの行動の自由を妨げるような抑圧的な力が働いています。しかし、私たちには、こうした力にどのように対応し、対処していくか選択し、一歩一歩自分の道を進んでいく自由があるのです。

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3.現実と真実に誠実であること(dedication to truth / reality)

私たちがしばしば、そしてたいてい無意識のうちにやってしまうのは、それまでの経験と相反する新しい情報を無視することです。
無視するのは、新しい現実と向かい合うより楽だからです。しかし、現実を無視するのは、危険な行為です。

3つ目の規律の道具は、現実にすべてを捧げることです。

世界の現実がはっきり見えるほど、それに対処するためのより良い道具を身につけることができます。世界の現実を無視するほど、私たちの心は偽善や誤認、錯覚に惑わされ、賢明な決断を下し正しい行動をおこすことができなくなります。

真実は不快感をもたらします。しかし、真実を知ることは快適さを維持することよりも重要です。現実を受け止めることは、私たちの長期的な自己利益にも不可欠です。逆に言えば、私たちは常に、不快感は重要な真実の裏返しであると考えなければなりません。

私たちの現実観は、人生という地形をナビゲーションするための地図のようなものです。その地図が真実を示す正確なものであれば、自分がどこにいるのか、どこに行きたいのか、そこにどうやって行けばいいのかが大体わかります。地図が不正確であれば、道に迷います。

悲しいことに、思春期が終わるころに、地図を書き換えるのをやめてしまう人たちがいます。
そして、中年期が終わるころには、ほとんどの人が、自分の地図は完璧で、自分の世界観は正しく、神聖でさえあると確信し、新しい現実に興味を示さなくなるだけでなく、新しい現実を破壊しようとさえします。

社会や他人を厳しく検証する人はいても、自分自身を厳しく検証する人は多くいません。

真実に全力を捧げる人生とは、他人から挑戦されることを厭わない人生でもあります。自分の現実の地図が正しいと確信する唯一の方法は、それを他の人の批判や挑戦にさらすことだからです。
自分の地図が常に挑戦され続けているという事実によって、オープンな人は常に成長することができます。オープンであることによって、親密な関係を築き、維持することができます。そして、彼らは常に自由です。何かを隠す必要がなく、陰でこそこそする必要もありません。
古い嘘を隠すために新しい嘘をつく必要もありませんし、そのために無駄なエネルギーを費やしたり、嘘が暴かれる心配をする必要もありません。

地図の書き換えを拒む人は、そもそもその世界観を修正するために必要であったはずのわずかなエネルギーよりも、最終的にはるかに多くのエネルギーを費やして、時代遅れの世界観を全力で維持しようとします。
正直さという自己鍛錬に必要なエネルギーは、秘密主義に必要なエネルギーよりもはるかに少ないのです。
正直であればあるほど、正直であり続けることは簡単になります。
真実を追求する人は、そのオープンさによってオープンに生き、オープンに生きる勇気を発揮することで、恐怖から解放されます。

私たちが健全でいるためには、現実に献身する継続的なプロセスが必要なのです。規律がなければ、私たちの人生は、見たり聞いたりすることの繰り返しにすぎません。

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4.バランスをとること(balancing)

規律を律するために必要な最後の道具は、バランスです。

規律を行使することは厳しいだけでなく、柔軟性と判断力の両方を必要とする複雑な仕事でもあります。
勇気ある人は、真実に自ら向き合いますが、ある時には真実を伏せる能力も持っています。
自由になるためには、自分自身に全責任を負わなければなりませんが、そのためには、自分に責任がないことに関しては拒否する能力を持たなければなりません。感情を抑えるのが良い時もあれば、ある程度感情を吐き出す方がよい時もあります。感情を表す様々な方法を知らなければなりません。

成功するためには、柔軟性が必要なのです。

人は、精神的な成長のために学び続けなければなりませんが、新しい学びはそれまでの自分を放棄するプロセスでもあります。
目の前の出来事に対して、自分がそれまで歩んできた歴史や経験から導かれる自己中心的な偏見や先入観から自分を切り離し、見慣れたものを黙らせ、奇妙なものを歓迎するプロセスです。現実の新しさや、ユニークな側面を自分の中で根付かせるためには、自分のエゴを自分の中心から取り除かなければなりません。

しかし、一方では、そのような新しい知識とより大きな理解の必要性は、自分への自信を安定してもつこととバランスを取る必要もあります。

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さいごに

人生の問題を解決するには、問題解決に伴う苦痛を避けるのではなく向き合うことが必要で、規律とは、その苦痛に対処するための技術です。今回、規律の4つの道具を紹介しました。

これらの道具は互いに関連しているため、規律とはこれらの道具の体系であるとも言えます。ただし、この4つの道具ですべてを解決できるものではないことは心に留めておく必要があります。

規律とは、自己を成長させるプロセスです。そして、自己成長のプロセスは、ある意味では死と誕生が連続するプロセスでもあります。今までの自分がなくなり、新しい自分が生まれるプロセスです。
このプロセスには精神的な苦しみが伴います。しかし、その苦難を迂回して、安らぎや幸せへの近道を見つけたいと、瞑想、ヨガ、マインドフルネスなどに飛びつく人たちもいます。しかし、それらやその他の宗教的なおこないの表面的な部分だけ安易に真似てみても、それだけでは一時の自己満足をもたらすにすぎません。

それらは基本的な技術ではなく、補助的な技術であり、解決に近づくのを助けるかもしれませんが、核をなすものではありません。規律こそが本質的な技術です。

規律の本質である「放棄すること、手放すこと、捨てること」についてペックの一言を最後に紹介します。

人はまだ手にしていないものを手放すことはできません。一度も勝ったことがないまま、勝つことをあきらめたら、最初からいた場所にいることになります。自分自身のアイデンティティを築かなければなりません。エゴを育てなければ、エゴを失うことはできないのです。

参考文献
(1) Christopher Reed, “Obituary : M Scott Peck“, The Guardian, 2005/10/5.

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