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変革の書籍紹介「Second mountain」:自分のためでなく、人のために登る2つ目の山

  • 投稿カテゴリー:人が変わる
  • 投稿の最終変更日:2023年8月17日
  • Reading time:7 mins read

人生や組織のあり方は山登りに例えられることがあります。山頂に目的を定め登っていきます。しかし、その山を登り詰めると、登るべき山はその山ではなく、谷を挟んだ向こう側にある別の山だったと気づきます。1つ目の山は自分自身のためだけに登る山、2つ目の山は人のために登る山です。

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2つ目の山:モラルある人生の探求

「The Second Mountain: The Quest for a Moral Life (邦訳)2つ目の山:モラルある人生の探求」を読みました。本書は、以前本サイトで紹介したニューヨークタイムズのコラム「哲学の終わり:The End of Philosophy」を書いたデイヴィッド・ブルックス(David Brooks)による2020年発刊の著書です。デイヴィッド・ブルックスは、中道保守系ですが、左派的な思想にも理解を示すアメリカの政治文化コメンテーターです。
なお、本書は、現時点では日本語訳版は出版されていません。本サイトで紹介している他の書籍と同様に、オリジナルの英語版を読んでの感想です。

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個人のパーパス

私は以前「会社のパーパスと個人のパーパス」の中で、人生は「自分」「家族」「仕事」「社会」の4つのエリアから成り立つと書きました。そして、人生の目的そのものは何かを「達成する」ことではなく、「どのような自分でありたいか」という自分の核を満たし、自分が大切に思っていることに向き合っていて、それをこの4つのエリアで体現している「状態」だと説明しました。この考えは、私自身の今の人生観の軸をなしています。

本書「Second Mountain」は、私のこの人生観と完全に合致するもので、タブレットで本を開いて第1章を読み進めるうちに、思わず、この本にめぐりあえたことに嬉しくなってしまいました。

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1つ目の山

人生や組織のあり方は山登りに例えられることがあります。私たちは登りたい山を選んでその頂に目標を設定し、山頂を見据えながら登っていきます。先ほど紹介した「会社のパーパスと個人のパーパス」のように、本サイトでは今まで幾度も、個人レベルでも、組織レベルでも、それぞれのパーパスに向かって、そして組織ではそれをみんなで共有しベクトルを合わせて進んでいくのだと、書いてきました。時にその過程は山登りでなく、「階段」や「はしご」や「旅」に例えられることもあります。

私たちは、生まれてから、教育を受けて卒業し、キャリアを選択して働き始め、自立して新しい家族を持ち、その過程で自分がなりたいもの、成し遂げたいこと、欲しいものを心に描いていきます。そして、それらを達成するための実力を身につけ、周囲からの評価や点数を上げるうちに、エゴや自尊心も膨らんでいき、お金、名誉、地位、功名、権力への欲求や世間体、あるいは物質的な欲望が、目指すべき頂に重なっていきます。

ブルックスはこれを「1つ目の山(First mountain)」と呼びます。自分個人の成功、自分のエゴや自尊心を満たすための山です。そしてこの「1つ目の山」は私たちの社会全体で広く成功と認められている山でもあります。人がうらやむような会社での仕事、りっぱな家、美味しい食事、ぜいたくで快適な生活、私たちの社会では、名の知れた会社で働き、多くを稼ぎ、多くを使うことで周囲の人たちから「成功した人」とみなされるのです。

ある人たちは1つ目の山の頂まで登りつめます。一方で、頂上までの道のりの途中で挫折してしまう人たちもいます。中には、突然のアクシデントが自分の身や近しい人たちに降りかかるなど、様々な理由でそれ以上登れなくなってしまう人たちも出てきます。それは年齢を問わず、人生のいかなる段階で誰にでも起きうるものです。

しかし、山頂目指し頑張ってきて無事に最後まで登りつめた人たちでさえ、ようやく山頂にたどり着いて成功の美酒を味わい、あたりを見下ろすものの、なぜか心から満足できません。
「これだけ?」「これで終わり?」
そして「ここがほんとうに自分がずっと求めてきた場所なのか?」自分に問いかけます。登頂の達成感は一瞬で消え、その後どうするべきなのか達成感が空虚感に変わることさえあります。これがほんとうに自分が心の底から求めていたものなのか定かでなくなり自らに問い続け、満たされないままそこに居続けるのです。

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2つ目の山

山頂までたどりつけた人も、山頂までたどり着けなかった人たちの中にも、「1つ目の山」を越えた谷や峠の向こう側に「2つ目の山(Second mountain)」を見つける人たちがいます。

「2つ目の山」を見つけた人たちは、2つの小さな反抗をするようになります。
まず、最初の山登りで肥大化した自分自身のエゴに反抗するようになります。第1の山では、成功すること、目立つこと、注目されること、評価されること、自分の個人的な欲求を満たすことを目指して、頑張ってきました。しかし、谷に降りると、自分のエゴを満たすことに興味を失います。もちろん、その後も身勝手な欲望に屈してしまうことはあります。しかし、エゴでは心の奥底にある深い領域を満たすことはできず、それよりも大事な何かが存在すると知るのです。

第2に、私たちの社会で主流とされている主義・価値観に反抗するようになります。人と競い合い、金や権力、出世、名声、自分の幸せ、自由といった自己欲求を追求することがよいとされる現在の社会の基盤をなす文化やモデルに興味を示さなくなり、より控えめに、人への貢献や献身、それに対する責任と人との関わりを求めるようになるのです。

谷の下で、彼らの動機は変わるのです。
第1の山が自分個人を築き上げるための山であれば、第2の山は自分から離れ、他人に貢献するための山です。自己中心から他者中心になり、他人のための自分でありたいと思い、2つ目の山を登り始めるのです。2つ目の山は1つ目の山とは登り方が違います。最初の山は情熱を持ち、自分自身のために、時に戦略的に、更には周囲の人たちよりできるだけ早く高くと思って登ってきましたが、第2の山は人や社会への使命感を持ち、人との関係を持ちながら登るのです。
第2の山を登るにあたり、中には仕事をやめたり、変えたり、劇的に生活を変化させる人もいます。しかし、多くの人たちはそれまでの仕事や生活を維持しながらも、その見方や考え方を大きく変えます。同じ生活や仕事の中に新たな使命を見出すのです。

もし組織で働いている管理職ならば、もはや自分を部下を管理するマネージャーとして見るのではなく、人を育てるメンターとみなします。経営者や上司にどう評価されるかを気にするよりも、若いメンバーたちがより良くなるためにエネルギーを注ぐようになります。組織が、ただ給料をもらうために集まってくるような薄い場所ではなく、人々が目的を見つけることができる濃い場所であってほしいと願うようになるのです。

このとき、人は「ああ、あの最初の山は、結局、自分の山ではなかったんだ。もっと大きな山があり、それが私の山なんだ」と気づきます。しかし、ブルックスは、最初の山を完全に否定しているわけではありません。2つ目の山は、1つ目の山の対極にあるのではなく、2つ目の山に登ることが、1つ目の山を否定することでもありません。第1の山を登りつめたり、ある程度の高さまで登ることで、その奥にある第2の山が見えてくることがあります。それは、第2の山につながる旅なのです。より寛大で、より満足のいく人生への道のりなのです。
その一方で、第1の山を登ることなく第2の山を登り始めることができる人たちさえもいます。第2の山までの道のりは人それぞれです。

著者のブルックスは、第2の山を登る人は「使命」「生涯の伴侶と家族」「哲学と信条」「コミュニティ」の4つのエリアのどれか、またはすべてのエリアで、強いコミットメントを持っていると言います。コミットメントとは見返りを求めることなく、誓いを立てて自ら行動することです。

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富士山登山とアルプス縦走

ところで、私は本サイトで継続して文章を書くために、ふと頭に浮かんだことや書きたいと思ったことをあとで忘れないようにメモして書き溜めておくようにしているのですが、実は、本書に出会う前から「人生には1つ目の山の先に違う山が存在する。日本の山の例で言うと、人生は富士山を登ることではなく、アルプスの山々を縦走するようなもの」という内容をいずれ書こうとメモしていたのでした。

山登りをする方には、山を登っていて「よし頂上が見えた!もうすぐだ!」と思って最後の力を振り絞り、頑張って登りつめて、ようやくたどり着いたと思ったら、実は本来の頂上はもっと先にあって、さらに高い山が目の前にそびえたっていた。。。という経験があるかと思います。
このような山頂よりも手前にあるまぎらわしいピークのことを「偽ピーク」と言いますが、ある意味、第1の山は偽ピークとも言えるでしょう。偽ピークは至る所にあります。本当の頂上が偽ピークの後ろに完全に隠れていて、偽ピークを登りつめるまで、その姿が全く見えないこともあります。
しかも、偽ピークを登りつめて景色が開けると、その先の登山道が大きく標高を下げていて、その下りきった先から頂上までこれまで以上の急で長い上り坂が立ちはだかっている。。。ということさえあります。
しかし、偽ピークを通らないと本当の頂上にたどり着くことはできません。何度も何度も高度を上げたり下げたり、いくつもの峠を乗り越えて進んでいかないと、目的地にたどり着くことはできないのです。

1つ目の山を登りきらないと見えない景色があります。その点では、1つ目の山を一生懸命登ることも決して無駄ではありません。1つ目の山の頂上から、遠くまで幾重にも連なる越えなければならない山並みが連なっていて、気を落とすこともあるでしょう。しかし、その景色に心を動かされるとともに、これから先の越えなければならない山々がよりはっきり見えるようになるのです。

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最後に

私個人についてですが、成功した人たちから見れば、登り切ったというにはおこがましいほどのとても小さな山ですが、私自身は1つ目の山は十分登った感があります。仕事でもプライベートでも自分のやりたいことの多くはすでに実現し、十分に人生も楽しんできました(あ、まだそんなに年寄りではありません。念のため。。。)。ただし、これで1つ目の山登りが完全に終わりという感じでもなく、1つ目の山というか、1つ目の種類の山に対しては適度にチャレンジし続けていたいと思っています。つまり1つ目の山も2つ目の山も一緒に登りたいと都合よく思っているのです(汗)。エゴを満たすわけではないですが、何をするにもまずは自分自身が心身ともに健康であり続けたいですから。

一方で、2つ目の山はまだふもとをうろうろしていて、登り始めたばかりです。私は人は他人をかんたんに変えることはできず、他人を無理に変えようとすべきでもないと思っています。自分が行動することで他の人たちも変わっていくのです。私は、自分の行動で、他の人たちに影響を及ぼすことはできると思っています。私ももっと人に良い影響を与えることができるように第2の山を登っていきたいと思っています。

2件のコメントがあります

  1. kiz_0320

    以前ツイッターでコメントさせて頂いたものです。いつも考えさせられる内容で、とても勉強になります。これからも楽しみにしております。

    1. akito

      こちらにもコメント頂きましてありがとうございます!私も励みになります。何かありましたらお気軽にご連絡ください。
      今後とも宜しくお願いいたします。あきと

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