「ストイシズム」は、何か気難しい、近寄りがたいもののように聞こえるかもしれません。2千年以上も前に生まれたこの哲学は、膨大な選択肢にあふれる現代社会で賢明な選択をする方法を教えてくれます。信頼に満ち、礼儀正しく、静かでシンプルな道を導いてくれます。
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はじめに
「ストイシズム:Stoicism」は、「理性を使って、コントロール可能な本当に価値あることに集中する哲学」です。
皆さんは「ストイック」という言葉を使ったり、使われたりすることがありますね。厳格、禁欲、忍耐、自分を律するなどの意味で使われます。ストイックはストイシズムから派生した言葉です。
しかし、「私はストイシズムを実践しています」なんて言おうものなら、融通が利かない、古風でユーモアがない堅物だと思われてしまうかもしれません。気になる人をデートに誘っても断られてしまうでしょう。ただし、本来のストイシズムはそのような「忍耐主義」や「我慢大会」ではありません。
日本語では特に「禁欲的に努力する」という意味が強調され、哲学的な「理性的に心を整える」という本来のニュアンスは薄れてしまっています。ストイシズムは多くの人から誤解されています。
私たちは、気が遠くなるほどの量の情報にあふれ、様々な選択肢がある物質的に豊かな社会に暮らしています。しかし、悩み、憧れ、悲しみ、妬み、虚栄心、野心からいまだに抜け出すことができないどころか、ますます多くの問題を抱え込み、自らに降りかかる苦難に振り回されています。ストイシズムは、膨大な選択肢の中から賢明な選択をする方法を教えてくれる哲学です。
ストイシズムは21世紀に住む私たちに語りかけます。
私たちが心に抱いている理想の生活や人生は、本当に望んでいる姿でしょうか?
心の奥底ではもっと信頼に満ち、礼儀正しく、静かでシンプルなものを望んでいるのではないでしょうか?
見て見ぬふりや強がりをやめ、私たちの人生が本来の人生から遠ざかっているという問題に向き合いましょう。
ストイシズムは現実の人生を生きる普通の人たちのための実用的な人生哲学です。
実際、現代において大きな復活を遂げています。その教えは今になっても通じるどころか、このような時代だからこそ多くの人たちが実践すべきものと言えます。
現代のリーダーシップやマネジメントにもよく引用され、また人間関係や幸福感の持ち方など、人の生き方や日常生活への数多くの教訓があります。私たちが今置かれている環境の中で、できる限り有意義な人生を送るために、多くのことを教えてくれるものです。
図:ストイシズムの誤解
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エピクテトス Epictetus
エピクテトス(Epictetus, 紀元50年頃~135年)はストア派のギリシャ哲学者です。「ストア派」という言葉よりもここで使っている「ストイシズム」という表現の方が一般には馴染みやすいでしょう。
エピクテトスは、フリギアのヒエラポリス(現在のトルコ西部)で奴隷として生まれ、奴隷としてローマに移り住みます。
ムソニウス・ルフスに師事してストア派哲学を学ぶことを許され、奴隷から解放されて自由を得た後、哲学を教え始めます。1世紀末、ドミティアヌス帝によって哲学者たちがローマから追放されると、ニコポリス(現在のギリシャ)に哲学学校を設立しました。
エピクテトスは、哲学は単なる学問ではなく、生き方であると教えました。彼にとって、哲学とは私たちがどのように考え、周囲の出来事にどのように反応して行動するかを導くものです。
エピクテトスの教えの中心にあるのは、外界の出来事はすべて私たちのコントロールの及ばないものであり、何が起きてもそれを受け入れるべきだという考えです。私たちは外界の出来事をコントロールすることはできませんが、それに対してどのように反応するかはコントロールできます。彼は、人は自らの行動に責任を持ち、内省を通して外界の出来事に対処できると考えました。
下のエピクテトスの言葉は、彼の格言の中でおそらくもっとも有名なものです。
大切なのは、あなたに何が起こるかではなく、それにどうあなたが反応するかだ。
~ エピクテトス
It’s not what happens to you, but how you react to it that matters.
~ Epictetus
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エンキリディオン Enchiridion
エピクテトスの教えは、彼の弟子であり2世紀のギリシア哲学者であるアリアノス(Arrian)によって『談話集』と『エンキリディオン』として書き留められました。第16代ローマ皇帝であるマルクス・アウレリウスや、パスカル、ディドロ、モンテスキュー、ラブレー、サミュエル・ジョンソンなど、後世の多くの思想家に影響を与えています。
今回紹介するのはその『エンキリディオン』です。
「エンキリディオン(Enchiridion)」は「in + hand」を表すギリシア語で、ハンドブックやマニュアルを意味します。その名の通り、約50の短い章からなる手引書で、形而上学を避け、日常生活での実践的な教訓をまとめたものです。その教えは2千年後の今になっても通じるどころか、今だからこそ多くの人たちが読むべき内容になっています。
実は、『エンキリディオン』には様々な翻訳本が存在します。
エンキリディオンは、アリアノスによってギリシア語で書かれましたが、古代ギリシア語は簡素で曖昧、そして文脈に強く依存する傾向があります。
例えば「logos」、「physis」、「prohairesis」といった単語には、明確な英語の同義語がありません。翻訳者は、「reason(理由)」と「order(秩序)」、あるいは「will(意志)」と「moral choice(道徳的選択)」といったように、適切な訳語を選択しなければなりません。
『エンキリディオン』は中世、ギリシア語圏の修道院での使用のために改訂されました。 15世紀にはラテン語に翻訳され、印刷術の発達とともにヨーロッパの複数の言語に翻訳されました。17世紀には、新ストア派運動と並行して、最も人気の高い時期を迎えました。
古い翻訳では、古風な英語(「thee」「thou」「wherefore」)が使われることが多く、重苦しい印象を与えます。
様々な翻訳本が存在する別の理由は、翻訳の意図の違いです。
哲学者向けの学術翻訳では、堅苦しく難解でも、できるだけ正確に、文体と語彙を維持するよう、直訳に近い形で翻訳されますが、冒頭述べたように「ストイシズム」は現代のビジネスの分野に広く適用されています。また、自己啓発、マインドフルネス、レジリエンス、認知行動療法、心理学への適用もあります。
このサイトでも、ストイシズムに強く影響された自己啓発本やリーダーシップ理論を紹介してきました。と言う私自身もその教えに強く影響されています。
このような異なるテーマをもって翻訳された場合、それぞれの分野に重きを置いた翻訳になります。様々な読者層に合わせて訳出しているため、多くの版が存在するのです。
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2冊のエンキリディオン
今回紹介するのは、エピクテトスを現代のライフコーチのように分かりやすく言い換えをして、できるだけ読みやすく、一般読者に容易に理解できるように翻訳、解釈された比較的最近の書籍2冊です。
うち1冊は、インド生まれのチャック・チャクラパニ(Chuck Chakrapani)が書き、2016年に出版された『The Good Life Handbook: Epictetus’ Stoic Classic Enchiridion(邦訳)良き人生ハンドブック:エピクテトスのストア派古典エンキリディオン』です。
もう1冊は、作家のシャロン・ルベル(Sharon Lebell)が書き、2007年に出版された『Art of Living: The Classical Manual on Virtue, Happiness, and Effectiveness(邦訳)生きる術:美徳、幸福、そして効力感に関する古典マニュアル』です。
2人とも哲学者ではありません。
チャクラパニは、カナダ最大の独立系調査会社であるLeger Analyticsの社長であり、ライアソン大学テッド・ロジャース経営大学院の特別客員教授などを務めています。
一方のルベルは、北カリフォルニアに住むミュージシャンかつ作家で、出版当時、毎日家がハリケーンに襲われているような4人の子どもと2人の継子と暮らす多忙かつメロドラマ好きの母親でした。出版社の編集者に持ちかけられたのが翻訳のきっかけです。
チャクラパニの本は、原書の構成を守りながらも平易な英語で短く分かりやすく書かれていて、あっという間に読み終えることができるでしょう。チャクラパニ自身、誰でも手軽に簡単に読めるものを目指したと書いており、そのため、価格も低く抑えたと書いています。
ルベルの本は、現代版の読みやすい再解釈という感じで、構成も若干異なります。彼女自身が、エピクテトスの真の精神を現代の読者に伝えることが目的で、必ずしも文字どおりに伝えてはいないと書いています。
どちらもとても読みやすいですが、読み比べると、全体的にはルベルの方がより丁寧に説明していて、チャクラパニの本はよりシンプルに表現していますが、チャクラパニの方がより詳しく説明している章もあります。
2025年9月9日時点で、それぞれアマゾンのキンドル版が、113円、1921円です。内容の8割は共通しているので、お財布重視の方はチャクラパニの本を読んでみるのが良いかもしれませんね。
なお、どちらも日本語版はありませんが、読みやすい英語で書かれていますのでトライしてみてはいかがでしょうか。
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エンキリディオンの教え
次に、これらの本の内容の一部を紹介しましょう。
冒頭書いたように、本書のメインテーマは、世の中には自分がコントロールできるものと、できないものがあり、できるものにフォーカスするというものです。
私たちがコントロールできるものには、自分が何を信じるか、何を望むか、何を避けるかなどがあります。
自分で完全にコントロールできないものには、どのような家庭に生まれるか、どのような身体を持って生まれるか、他人が自分をどう評価するか、地位、名声などがあります。愛する家族でさえ、自分が思うようにはなりません。
コントロールできないものをコントロールしようとすると、イライラしたり、悩んだり、他人の文句を言ったりします。自分がコントロールできることに集中することで自由や幸せを得ることができます。
そのために必要な能力や道具を私たちはすでに自分の中に持っています。それを利用するのです。自分を完全にコントロールできれば、他人が自分をコントロールすることはできません。
私たちの身の回りで起きる出来事そのものには良いも悪いもありません。私たちがそれに何からの解釈を与えて、楽しく感じたり、心を乱したりするのです。出来事はコントロールできませんが、どう解釈するかはコントロールできます。
私たちは何も失うことはありません。そもそも何も所有していないからです。すべてのものは一時的に私たちに預けられるだけで、いずれ元の場所に帰っていきます。ごく身近にいる人たちでさえもそうです。自分の近くにある時は心を込めて接しましょう。
良い人生は、何を持っているかや、自分の外で何が起きるかで決まるのではなく、自分の心の中で決まります。
つねに、食事会に招待されたように振る舞いましょう。例え食事が給仕されるまで時間がかかっても、自分の順番が来るまで待ちましょう。そして、順番が回ってきたら、必要な分だけを取りましょう。食事が自分の目の前を通り過ぎていくこともあるかもしれません。その時は、すでに皿の上にあるものを楽しみましょう。
私たちは、舞台で監督にある役を与えられた役者のようなものです。その役は王様や大富豪かもしれませんし、ごく普通の一般人かもしれませんし、貧しかったり、不自由な身であったりするかもしれません。違う役をあたえられた人たちを妬んだり、監督に文句を言ったりするのではなく、与えられた役を最大限演じましょう。
原理を貫くことで、他の人が受ける恩恵を受けられなくなるかもしれません。例えば、他人に与えられた役職が自分には与えられなかったり、他の人たちが招待された懇親の場への参加の機会を失うかもしれません。それらはあなたが誠実さや正直や、気品を維持する代償です。彼らは彼らなりの代償を払っています。自分の品格を下げたり、人にへつらったりして、代償を払っているから、恩恵を受けているのです。
高い信念や規律を持って人生を生きようとすると、他人から嫌味を言われたり、批判されたり、からかわれたり、笑われたりするかもしれません。そのような人たちとは必要以上に付き合わないようにしましょう。そのような人たちに評価される必要も、そのような人たちに合わせる必要もありません。
ただし、思い上がった態度を取ったり、うぬぼれたり、見せびらかしたりしてはいけません。ただ、自分の原理を貫くだけです。
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さいごに
先に書いたように、シャロン・ルベルは、エンキリディオンの現代版の翻訳を編集者に持ち掛けられました。その時彼女は、エピクテトスという口が回らないような名前の哲学者さえ知りませんでした。
しかし、深く調べるうちに、彼の高貴で感動的な哲学に魅了されていきます。エピクテトスは、永続的な幸福、心の平安、人の高潔さ、優しさ、そして個人の効力感につながる生き方を編み出しました。
エピクテトスが義務と礼儀作法を重視していることに、彼女は最初は懐疑的でした。彼女世代の人間には、古風で堅苦しく思えました。また、自分がコントロールできるものとできないものを理解し、区別するようにと繰り返し説く彼の言葉は、あらゆる可能性を追及し人生を成功させ、多くの人から承認されたいと願う現代人の欲求とは相反するものでした。
エピクテトスを丹念に読み、その言葉に真摯に耳を傾けるほど、エピクテトスが逆境、恐れ、そして悲しみに対処するための、実践的で普遍的なアプローチを提示していることに気づき始めます。エピクテトスは私たち全員のためのものです。彼の哲学は、個人の高潔さ、回復力、優しさ、そして静かな自信に満ちた喜びをもたらします。
エピクテトスは「徳」を重視しています。
現代で徳を語ることは古めかしいと思われ、皮肉を言われたり、馬鹿にされたりするかもしれません。一方で、私たちは内心では、いかにも古風で、徳と呼ぶしかないものに憧れ、郷愁を感じています。現代人に漂う不安、真の親密さへの慢性的な憧れ、根無し草のような感覚や目的のなさ、あるいは拭い切れない喪失感として経験するものは、実は徳とその追求から自ら逃避した結果であると、うすうす気が付いています。
そして、まさにこの点においてストイシズムという古代哲学は、21世紀においても私たちに示唆を与え続けます。ストイシズムは現実の人生を生きる現実の人たちの、現実の人生哲学なのです。
私たちの注意力は分散し、断片化し、時折、自分の本質と調和して生きるよう促されるのを感じますが、徳へと帰る旅をどのように始めればよいのか分からず途方に暮れています。ストイシズムは、私たちのより良い自分を再び明らかにし、ゆっくりと、徐々に、そこへと導いてくれます。