技術やAIの進化によって、私たちはより多くのことができるようになっていると錯覚していますが、実際には、より多くの意味のないことに対処できるようになっているだけです。このような錯覚は、組織に機能的に存在する愚かさに起因しています。
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はじめに
今回紹介する書籍『stupidity paradox(邦訳)愚かさのパラドックス』は、現代の多くの組織が、高度な教育を受けた人材で溢れているにもかかわらず、驚くほど愚かな行動をとることを示した本です。
著者の一人のアンドレ・スパイサー(André Spicer)は、ニュージーランド人で、ロンドン大学シティ校のベイズビジネススクールの組織行動学教授です。
もう一人の著者のマッツ・アルヴェッソン(Mats Alvesson)は、スウェーデンの経営学者で、ルンド大学の経営学教授です。
本書が書かれたのは2017年と少し前になりますが、企業の愚かさは不変のようで、今の組織にも完全に通じる内容になっています。残念ながら、日本語には翻訳されていないようです。
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機能的愚かさ(functional stupidity)
企業で働いたことのある皆さんなら、誰もが経験があるでしょう。
優れたアイデアがあるのにもかかわらず、明らかにうまくいかない案が採用されたり、何もせずにただただ時間がすぎていくことなどです。
著者はこのような組織に見られる現象を「機能的愚かさ(functional stupidity)」と呼んでいます。
これは、一人一人の従業員の頭が悪いことや仕事ができないことを指すものではありません。問題は知性の欠如ではなく、知性が組織的に抑圧されていることにあります。
組織は、調和や安定性の維持を最優先するために、従業員からの鋭い指摘や、批判的な意見、厳しい議論、難しい問題への対処を避ける傾向があります。
従業員には、同調主義の前提を疑うこと、権威に異議を唱えること、あるいはより広範な影響について批判的に考えることが暗に許されていません。与えられた自分の業務にのみ集中し、組織が正しいことをしているかどうかという居心地の悪い質問を投げかけるのを集団的に避けます。
著者は、「機能的愚かさ」によって、特に次の3つの重要な側面が抑圧されると述べます。
- 内省することの抑圧
深く物事を考えたり、前提を疑うことをやめてしまいます。 - 本質的な議論の抑圧
根本的な目的の達成よりも、手続きを確実に行うことに目を向けるようになります。 - 正しさの抑圧
権威者が支持するからという理由だけで、決定を受け入れるようになります。
「機能的愚かさ」は、対立意見を抑え、統一された意思決定をもたらし、短期的には組織の予定調和的な運営に貢献します。しかし、長いスパンでは戦略的盲目、倫理的問題、組織の脆弱性を増大させ、深刻な存続リスクを生み出す可能性があります。
著者は、「機能的愚かさ」は次の5つのカテゴリーに分類されると述べます。
- リーダーシップに起因する愚かさ
- 構造に起因する愚かさ
- 物まねに起因する愚かさ
- ブランドに起因する愚かさ
- 文化に起因する愚かさ
この5つの「機能的愚かさ」について順番に見ていきましょう。
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1. リーダーシップに起因する愚かさ
多くの企業で、経営者や従業員に対してさまざまなリーダーシップに関するプログラムが提供されていますね。皆さんが勤める会社でもおそらくあるでしょう。
しかし、マッキンゼー社の報告書によると、調査対象となった経営幹部のうち、リーダーシップ開発の取り組みが望ましい成果を上げていると強く同意したのはわずか11%でした。他の調査では、さらに悲惨な結果も示されています。
世界中の企業がリーダーシップ研修にかける費用の合計は年間3,660億ドルを超えます。(1)(2)
これほど巨額の投資が行われているにもかかわらず、なぜ成果は驚くほど乏しいのでしょうか?
実は、多くのプログラムは確かな研究結果に基づき、経験豊富な講師陣によって実施され、参加者も熱心です。失敗の原因は、プログラムの質そのものが悪いからではありません。
問題は、リーダーシップとは何か、そして人はどうしたら行動を変えるかについて誤った前提に基づいていることです。それは「人は、良い行動を教えられれば、それを自然に身に付け、自ら実践し、より良いリーダーになる」という前提です。
リーダーシップとは、その人の内面の奥深くにあるものや人間性そのものです。アイスブレイクや軽食、グループディスカッションを織り交ぜた、せいぜい数日間のリーダーシップ研修の付け焼き刃で真のリーダーを養うことは決してできません。
リーダーシップ研修後、学んだ知識が実践に移されることはなく、その知識さえも、研修終了後1週間もすれば忘れ去られてしまいます。職場に持ち帰った洗練された研修資料も、再び開かれることはありません。
仮に研修で耳にした、洒落たリーダーの格言のいくつかを覚えたとしても、それを部下に偉そうに語るだけで、自ら実行することはなく、うんちくに磨きがかかるだけです。
実は、企業側も研修で成果を上げようとは思っていません。ほとんどの企業におけるリーダーシップ研修は、成果ではなく体裁を整えるために存在しているのです。
人事部は人材育成に力を入れていることを示すようプレッシャーを受けています。そのため、予算を確保し、評判の良い講師を招き入れ、「リーダーシップ開発KPI完了」と済ませるだけです。フォローアップも、企業文化との連携も、ほとんどありません。
プログラムを提供する側も、その企業側のプロセスの一部になることで、何年にも渡って収益を上げ続けることができます。プログラムを提供する側から見ると、企業に対するリーダーシップ開発は、最も収益性が高いプログラムの一つです。
ただし、毎年まったく同じことをレクチャーすると飽きられるので、オーセンティシティ、アジリティ、サーバントリーダーなど、2年ごとに使い回される最新のリーダー理論を織り交ぜた内容にプログラムの一部を更新していきます。
高額な経営者向けリーダーシップ研修では、参加者は、大きな成果もなくても、高額なプログラムに参加したという事実に鼻を高くすることができます。
そこにはサービスを受ける側と提供する側の「複合研修産業」とも呼べる生態系が存在します。
リーダーは本来、改革を促し、従業員を鼓舞し、彼らの成長を支えます。多くのリーダーが理想のリーダー像を知っています。賢くて、明確なビジョンを持っていて、洞察が深く、エモーショナル・インテリジェンスが高くて、メンバーの成長を支援するリーダーです。
しかし、リーダーシップを実践することは自分の仕事ではないと思っているのです。知識として理想のリーダー像は知っているものの、それを体現するのは自分ではなく、部下だと思っています。理想のリーダー像との乖離について部下に説教することが自分の役割だと思っています。
むしろ、多くの経営者や上司は、部下の成長を抑え込み、主体的に動くのを抑制し、意見を引き出すのではなく、自分の意見を押し付けます。物事のニュアンスを無視した単純なスローガンや軽率な指示を押し付けて、従業員を振り回したり、彼らの時間を平気で無駄にしたりします。
組織の階段を最後まで上り詰める人は、官僚主義型で、人付き合いや自分をアピールすることがうまく、金と名誉が一番の関心事です。肩書や、部屋の大きさや場所、経費で落とすレストランの高級さ、与えられた特権を最大限に利用することに興味があり、リーダー同士の社交に明け暮れます。
一方で仕事では思い切ったことはせずに、短い任期を無難にやり過ごそうとします。これは、真のリーダーシップと相反するものです。
組織のリーダーの現実が、理想のリーダーが生まれるのを阻害しているのです。これがリーダーシップに起因する機能的愚かさです。
人に尽くすために組織のリーダーになろうと思っている人はほとんどおらず、そのような人が組織のリーダーになることも稀です。真のリーダーは、旧来的な官僚主義型の組織のピラミッドの頂点にたどり着くことができません。たどり着くことに関心すらないかもしれません。
真のリーダーは組織の頂点ではない場所にいるのです。真のリーダーは私たちの身の回りにいて、ごく普通の人たちのように見えます。しかし、他人の成長や社会を良くすることに生きがいを感じて、それを静かに実践しています。
多くの人は、そのような身の回りにいる真のリーダーの存在に気が付いていません。頭がよく、一流の大学を卒業し、貫禄があるといういわゆるリーダー像のイメージからかけ離れているからです。
逆に私たちがイメージするリーダー像を持つ人たちは、ピラミッドを登り切り、短期的には組織を存続させることはできますが、長期的に成長させることができません。
現代の組織のリーダーの多くは真のリーダーではありません。私たちはリーダー像を書き換える必要があります。
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2. 構造に起因する愚かさ
組織をフラットにし、無駄なルールを減らし、目的志向の会社運営へ移行することのメリットについて長年語られています。しかし、多くの会社は、いまだ旧来的、硬直的な階層構造の上に成り立っています。
私たちは、ビジョンやパーパスを実現するために仕事をしているのではなく、会社の規則や手続きに違反しないように仕事をしています。規則や手続きが減ることはなく、むしろその数は年々増えています。
そして、そのような社内手続きを行うことが仕事だと錯覚するようになってきています。これが構造に起因する機能的愚かさです。
規則、ルール、手順化は、多くの場合、従業員がいちいち考えたり、悩んだりしなくても済むように作られます。そのため、私たちは規程集に書かれているものを、深く考えずに実行します。
これは実用面で効率的な場合もあります。何をすべきか、どのようにすべきか、なぜすべきかを考える労力から解放され、代わりに手順に集中できるからです。チェックボックスにチェックを入れるだけで済む仕事の場合、それ以外のことを考える必要はありません。
私たちの仕事は、あらゆる面でルール化され、手順化されてきました。
そのきっかけともいえるのが、「科学的管理法(Scientific management)」の提唱者であり、近代的マネジメントの創始者である工業エンジニアのフレデリック・テイラー(Frederick Taylor, 1956 – 1915)です。
科学的管理法という言葉を耳にすることは今日ではほとんどありませんが、私たちがおこなう仕事に強く影響を与えています。
彼が1899年に行った有名な「銑鉄実験」では、すでに単純な作業(鉄の塊を運び、荷車に積み込む)をさらに単純な複数の作業に分解し、工業の科学化を目指しました。
テイラーによれば、銑鉄を扱う作業員は、あまりにも愚かなので、知性が高い別の人間によって、正しく働く習慣づけをなされなければなりませんでした。技術者の任務は、愚かな人たちでも実行できるように、複雑な作業を簡単に設計し直すことでした。
しかし、ここでの皮肉は、テイラーが愚かだと考えいてた銑鉄作業員は、実際にはそれほど愚かではなかったということです。その作業員は余暇に家を建てるほどの能力があり、地元の消防署でボランティアもするほどの社会性もあったのです。
過度な細分化、単純化、規則化は、能力ある人たちを無能にしていきます。本来持っているさまざまな能力を発揮する機会を奪っていきます。
「脱スキル化」です。標準化により、個性を抑え込んで例外を排除し、限られた平凡な仕事だけをミスなくおこなうように特化させるのです。従業員は、与えられた狭い範囲外にあるさまざまな素晴らしい能力を発揮することはできません。
さらに、従業員は、恣意的な基準に準拠して、仕事をしているかどうか、絶え間ない監視に晒されます。
会計士のマイク・パワー(Michael Power)は20年以上前に「監査社会」という概念を提唱しました。企業に見られる監査の多くは表面的なものに過ぎません。つまり、作り上げたルールを遵守しているように見せかけることに主眼が置かれています。
メディア、規制当局、関連団体が、組織が規則に沿っているかどうかを注意深く監視しています。彼らはすべてが「正しく」行われているか確認します。圧力団体は「何らかの対策を講じるべきだ」と訴えます。
管理者はこれらの要求に表面的に従うために、新たな手順をさらに導入します。当局は正しい手順が表面的に遵守されていることを確認します。重要なのは、すべてのチェック項目にチェックを入れ、「形式的に正しく行った」ことを記録することです。
すべてが形式的に正しく行われるとき、会計士や監査役、弁護士は安心することができます。
しかし、このような表面的な監視が生み出すのは、表面的なコンプライアンスだけです。監視すればするほど、本来あるべき業務からは遠ざかっていきます。
コンプライアンスは、イメージ作りです。コンプライアンスとは、表面的に正しいことをしていることを示すために、文書上矛盾をなくしておくことです。
多くの企業が、文書管理が正しく行われていることを確認するために、ますます多くの時間を費やしています。何か問題が発生した場合、すべての手順が正しく実行されたという詳細な記録を用意するためにです。
組織内で、誰もが「不正」だと認識するような行為をしても、ルールに沿っていることの記録が残っていれば容認されます。正しい規則や手順を注意深く守ることで、成果は上がらないかもしれませんが、目先の責任を回避することができます。
こうした状況が生み出すのは、ますます非効率で運営コストがかさむ組織です。なんのために手続きを行うのか、その手続きの意味さえ忘れ去られることもあり、全体像は見えなくなります。ビジョンやミッションを達成することへの意欲が薄れるだけでなく、そのために企業が存在することさえ理解できなくなります。
デジタル化やAIの進化によって、私たちは、さらに多くの内部書類をさばけるようになってきています。私たちは技術の進化によって、より多くのことができるようになっていると錯覚していますが、実際は、より多くの意味のないことに対処できるようになっているだけです。
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3. 物まねに起因する機能的愚かさ
1960~70年代にかけて、多くの世界的大企業は、互いに関連性のない多種多様な事業を所有していました。いわゆるコングロマリットですが、当時の経営者たちは、こうした異なるセクターをまたぐ事業複合体こそが、リスクを分散し、会社を運営するための最良の方法だと考えていました。
しかし、20世紀後半になると、状況は一変します。競争の激化により、複数の事業分野で事業を展開する考え方は時代遅れとなり、関連性のない非中核事業を売却し、自社の強みである「コアコンピタンス」に注力するようになります。
その理論的支柱は、元ミシガン大学ビジネススクール教授コインバトール・プラハラード(C. K. Prahalad, 1941 – 2020)と経営コンサルタントのゲイリー・ハメル(Gary Hamel, 1954 -)が提唱した「コアコンピタンス論(Core competency)」にありました。
1980年に出版されたビジネス戦略の名著であるマイケル・ポーター(Michael Porter, 1947 – )の『Competitive Strategy(邦題)競争の戦略』によれば、企業が競争優位を築く基本戦略は、①低価格戦略、②差別化戦略、③特定市場への集中戦略のいずれかで、中途半端が最も危険だとされました。
しかし、今、市場を見ると、アマゾンのように、低価格と品揃えと利便性を同時に実現する企業や、テスラのように差別化と規模の経済を組み合わせる企業が大きく成長しています。
1990年代に流行った「ゼロベースで業務を見直せ」というマイケル・ハマー(Michael Hammer, 1948 – 2008) の「ビジネスプロセス・リエンジニアリング(BPR:Business Process Reengineering)」は、世界中のビジネスに多大な影響を与えましたが、大規模リストラや現場での混乱をもたらすことも多く、その後、小さく改善を繰り返すアジャイルなどに置き換わっています。
かつては、KPI管理の完成形としてもてはやされた「バランスト・スコアカード(BSC)」は、道具の1つに格下げされました。ドラッガーが提唱した「MBO(Management by Objectives:目標管理制度)」も、いまだ大企業の標準装備ですが、結局、多くの会社で、形だけ、数字合わせのシステムになってしまっています。
さらに続けると、従来主流であった、株主こそ企業の所有者という株主至上主義の考え方は、 その後、ステークホルダー重視に変化しました。
ここに紹介してきたような経営戦略やモデルの変化は、その時代の特性に応じた変化のように見えます。しかし、注意深く見てみると、多くの企業が他の企業を真似した結果であることが分かります。
このように多くの企業が同じ経営トレンドを追うのは、ある企業の成功モデルやベスト・プラクティス、影響力のある経営学者や経済学者が提唱したモデルを経営コンサルから提案され、多くの企業が深く考えずに単に導入しているからです。
経営戦略の移り変わりには、このような流行り廃りが大きく影響しています。第3の機能的愚かさは、企業が盲目的に経営手法の流行りを追いかけることです。
なぜ、企業はこのような流行りを追うのでしょうか?
経営者にとって重要なのは、厳しい現実をあぶりだすことではなく、好ましい対外的なイメージを作り出し、企業のあるべき姿に関する期待に応えることにあるからです。そして、企業を評価する側も、流行りに素早く乗る感度の良い企業を高く評価するフィードバックループがあるからです。
経営者たちは、成功して先を行く企業を追いかけようとし、まったく違うことをして異質に見られることを避けます。企業の経営者は、それが本当に自社で機能するかどうかよりも、時代遅れとみられることを恐れてトレンドに乗った経営をするのです。
そうすることで、市場からまともな会社だと評価されます。一流のコンサルから提案されたものを取り入れさえしておけば、失敗しても安心です。実際に機能しなくても、みんなで渡っておけば、怖くありません。後で言い訳ができるようにしておけば、怖くないのです。
他社を真似するのは、それが最善策だからではなく、評判リスクを軽減することができるからです。もしあなたが皆の真似をしていたら、何か問題が起きても、あなただけが非難される可能性は低いでしょう。皆が間違っていたと指摘できるからです。
つまり、企業経営には「ファッション産業」と同じ側面があるのです。コロンビアビジネススクール教授のエリック・アブラハムソン(Eric Abrahamson Abrahamson)は、これを「経営ファッション論(Management Fashion Theory)」と呼びました。
つまり、
1. 新しい問題が現れる
2. 新しい手法(トレンド)が登場する
3. コンサルや見識者がそれを広める
4. 企業が導入する
5. 副作用が見つかる
6. 次の手法(トレンド)が登場する
という循環を繰り返すのです。もちろん、このような流行に乗らず、ぶれない経営を行う企業や、流行のフレームワークを完コピするのではなく、自社の課題に応じて必要な部分だけを取り入れる企業もあります。
しかし、多くの企業は、目先のトレンドを追うことで企業の見栄えを良くするすることに注力し、それよりも大きな視点が欠けているのです。その結果、企業が打ち出そうとするバラ色のイメージと、現実との乖離が広がっていくのです。
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4. ブランドに起因する愚かさ
これは先ほど書いたことと重複します。組織はイメージに執着するようになり、経営の本質からかけ離れていきます。
見栄えを重視する傾向は、優れた企業が示すべきプレゼン資料のスタイルやその中で示される公式、CSR、ブランディング、ダイバーシティマネジメント、CO2排出量など、多くの基準でますます厳しく精査されるようになっており、企業のイメージを磨き上げることがさらに重要になってきています。
中身よりも外見重視です。問題解決ではなく、会社をよく見せることです。そのために、現実を歪め、耳触りの良い内部ストーリーをでっち上げます。従業員は、真の課題に真正面から立ち向かうよりも、組織のイメージを守ることに多くの時間を費やすようになります。
現代社会は、必要以上に豊かになっています。多くの分野で、私たちが必要とする量をはるかに超える過剰生産が起きています。私たちは過剰生産に合わせて過剰消費させられています。
家庭用品は数回使用されただけで捨てられ、過剰に作られた大量の食べ物が廃棄されます。必要なものが家に揃っていないと困るため、一つの商品を買うために、ガソリンを使って買い物に行かなければなりません。病院では、患者にとってメリットのない医療処置が日常的に処方されています。
しかし、この壮大な無駄遣いに「一体何をやっているんだ?」と疑問を抱く人はいません。疑問が抱かれないように、膨大な無駄を正当化する「説得の経済論」が巧みに作り上げられてきたからです。
企業がブランディングに心力するのは、必要でないものを人に欲しいと思わせるためでもあります。さらに言えば、必要でないものを買うことで、あなたは社会に貢献できますよというメッセージまで消費者に植え付けることです。
これは、多くの企業にとって重要です。このイメージ戦略が破綻すれば、人は商品やサービスを買ってくれなくなるからです。
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5. 文化が生み出す愚かさ
組織文化は、組織を機能させる上で重要な役割を果たします。共有された文化は、集団行動を促進します。人々を連携させ、共通の目的意識を醸成し、共通のアイデンティティを創造します。
しかし、文化には欠点もあります。狭い視野や画一性を生み出し、多様な思考を阻害する可能性があります。
この意味で、強い文化は諸刃の剣と言えるでしょう。羅針盤としての役割と、精神的な拘束としての役割を同時に果たすからです。
そのため、文化には常に、ある程度の機能的な愚かさが含まれています。5番目の文化が生み出す機能的愚かさは、これまでの4つの愚かさの元となる愚かさでもあります。
事なかれ主義、集団思考、過度の楽観主義、協調圧力。結局、根本にある企業文化が、反対意見や異質なもの、危険なものを抑圧し、同調を促進するのです。
どんな文化であっても、深刻な問題が存在する場合でさえ、組織は誰もが文化に反しないように見える環境を作り出すのです。
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さいごに
以上、組織に蔓延する5つの機能的愚かさを紹介しました。
組織は知性を抑制し、愚かさを奨励します。
では、知性ある人たちに会社のかじ取りを担わせればうまくいくのでしょうか?
知性を奨励することで、仕事の目的といったより大きな問題について考えるきっかけとなるかもしれません。また、組織の仕組みに疑問を抱くようになる可能性もあります。不当な慣習について、説明を求めるようになるかもしれません。また、急進的なアイデアを生み出し、会社を急激に成長させるかもしれません。
しかし、多くの人はその急激な変化に多少の居心地の悪さを抱くでしょう。
著者らは、機能的な愚かさを完全に組織から排除すべきだと主張しているわけではありません。なぜなら、組織はとても複雑に機能しているため、愚かさや機能不全を組織から切り離すことはできないからです。私たちは愚かさや機能不全と共に歩まなければならないのです。
大きな組織を運営していくためには、一見愚かに見える簡素化やある程度のルーチン化は不可欠です。一方で、組織には、内省や学習を推奨したり、前提に疑問を投げかけたり、不確実性や長期的な影響について議論する場を設けることができるようにすることも必要です。
著者らはそのバランスを取ることを主張しています。従順でありながら、疑問の投げかけもできることです。
著者らは、書籍の最後でクリティカルシンキングの重要性を述べるとともに、「ネガティブ・ケイパビリティ(Negative capability)」という概念を紹介しています。
「ネガティブ・ケイパビリティ」は、約200年前にイギリスのロマン主義の詩人ジョン・キーツ(John Keats, 1795 – 1821)が、弟への手紙の中で使った言葉で、「事実や理屈を焦って追い求めることなく、不確実性、謎、疑念の中に身を置く能力」と表現しました。
つまり、不確実さを認識し、そこにとどまる一方で、批判的な思考を持ち続け、新たな考えや認識の出現を可能にするのです。
組織の機能的愚かさに対しても、安易な答えに飛びついたり、表面的に解決しようとしたり、無視したりするのではなく、それらと向き合い、共に歩んでいくべきなのです。
筆者たちは、この能力が、あらゆる組織にとって不可欠だと考えています。この能力こそが、組織が時代遅れの、あるいは流行に左右される考え方に凝り固まるのを防ぎ、多くの組織をますます麻痺させている企業内の無駄な努力を回避するのに役立ちます。この能力こそが、組織が過去から重要な教訓を学び、より思慮深い行動方針を生み出すことを可能にするのです。
結局、最も健全な組織は、効率性と調和と自己認識が混在した中で、それらをバランスよく両立させているのです。
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参考文献
(1) Chris Westfall, “Leadership Development Is A $366 Billion Industry: Here’s Why Most Programs Don’t Work“, Forbes, 2019/6/20.
(2) Jeremy, “Why Most Leadership Training Doesn’t Actually Change Anything“, The Influence Journal, 2025/6/4.