他人を変えようとする人たちがいます。その人たちは変わらなければならない理由を並べて説得しようとするのですが、その理由はすでに相手が知っています。人は、知っていることを言われても、変わらないどころか、逆に変わりたくなくなります。人の中には「変わりたい自分」と「変わりたくない自分」の「2人の自分」が共存しています。その「2人の自分」に話し合ってもらうのです。
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はじめに(製造販売会社A社について)
久しぶりに製造販売会社A社の登場ですっ!
改めてA社を紹介しましょう。A社はかつては斬新な製品開発で業界をけん引する会社でしたが、最近は目立った開発もできず、新規参入企業にも追い抜かれ、業績も右肩下がりです。
その中で「高宮開発課長」は改革意欲に燃えていますが、なかなか組織で実現できずに苦しんでいます。特に直属の上司の鈴木事業部長は、いまだに古き良き高度成長時代の昭和思考から脱却できず、新しいやり方や考え方を受け入れることができません。
図:製造販売会社A社の組織図
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鈴木事業部長の葛藤
そんな鈴木事業部長ですが、佐藤社長からの紹介もあり、珍しく新規事業セミナーに参加してきました。セミナーを終えて多少焦りを感じたようです。
鈴木部長(他の会社はどんどん新しい取り組みを進めているんだな。。わが社も新しい取り組みを進めないとほんとに取り残されてしまう。。。)
しかし、会社に戻っても何が起きるでもなく同じ毎日が過ぎていきます。とある開発会議で高宮課長がしびれを切らします。
高宮課長「鈴木部長、他の会社はどんどん新しい取り組みを進めてますよ。私たちも新しい取り組みを進めないとほんとに取り残されてしまいますよ!」
鈴木部長「分かっているよ。君たちは自分たちがやるべきことさえできていないんだから、まずはそれをきちんとやってくれないかな!」
新しい取り組みを進めようと思っていても、どう進めればよいのか分からない鈴木部長は、つい帰宅後の晩酌で毎晩飲みすぎてしまいます。
鈴木部長(あー、また飲みすぎてしまった。連日深酒だな。これではまた体を悪くしてしまう。。)
奥様「あなた、また飲みすぎじゃないの。連日深酒でしょ。これでまた体を悪くしても、もう面倒みないからね!」
鈴木部長「分かっているよ。もうこの一杯で最後にするよ。お酒飲んでる時くらい気持ちよく飲ませてくれよ。」
鈴木事業部長、結局この一杯は最後の一杯にならず、翌朝、案の定二日酔いです。
鈴木部長(あー、昨日は飲みすぎた。公園のラジオ体操にも行けなかった。。。あっ、今朝は燃えるごみの日だったな。今日こそは忘れないように今のうちに玄関に置いておこう。)
奥様「あなた、昨日は飲みすぎたでしょ!公園のラジオ体操も行けなかったでしょ!今朝は燃えるごみの日よ。今日こそは忘れないように今のうちに玄関に置いておけばいいのよ!」
鈴木部長「分かってるよ!今そうするところだったんだよ!」
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自分の中の「2人の自分」
鈴木部長、普段の行動をなかなか変えられず、会社でも家庭でも責められて散々ですが、みなさん、鈴木部長の応対で何か気が付いたところはあったでしょうか?
会話の中で鈴木部長は何度も「分かってるよ」と答えています。
そうなのです、実は、鈴木部長は、いずれのやり取りでも、行動を変えられない自分を自分で「分かっている」、相手の言うこともすでに「分かっている」のです。
つまり、鈴木部長の中には、行動を変えたいと思っている自分と、変えられないまたは変えたくないと思っている自分の2人の自分が共存しているのです。言い換えれば、「現状を変え、変化を推進しようとする自分」と「現状を維持し、変化しないことを支持する自分」の相反する2人の自分の共存です。そして変えたくない自分が、変えたい自分に打ち勝っているのです。
この2人の自分は、鈴木部長に限らず、私たちを含むほぼすべての人たちの中に存在します。そしてそれは、しばしば私たちの何気ない会話の中で、次のような短い1つの文章の中にも現れます。
「体重をどうにかしないといけないんだけど、何をやっても、続かないんだよな~」
「お金を貯めないとだめなんだけど、ついつい余計なものまで買っちゃうんだよね」
「今年こそは新しい資格を取ろうと思ったけど、結局うだうだ過ごしてしまったよ」
「この新規開発に着手しないとならないんだけど、ついつい先延ばししちゃうんだよな」
やりたい自分とやりたくない自分が混在する場合、私たちの会話にはこのような2つの相反するトークが混在します。
新しい取り組みができない人や続かない人、お酒を飲みすぎる人、運動不足の人たちの多くは、自分の行動のマイナス面をよく理解しています。例えば、生活習慣病の人たちは、タバコをやめ、定期的に運動し、健康的な食事をするべきだということをよく知っています。しかし、それが正しいと考える自分がいても、楽な方向に流れたい別の自分も存在し、正しいと思うことをしようとするのを妨げるのです。
よくあるパターンは、あるきっかけで「変える理由」に気が付き、変えようとするものの、「変えない理由」を考え、「変えない理由」が勝り、そしてそのうちそれを「考えることすらやめる」という思考のループをぐるぐる繰り返すのです。
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他人を変えようとする人たち
そんな人たちを、このようにしてサポートしようとする人たちがいますね。
「あなたはほんとにお酒飲みすぎだから、飲む量を減らす必要がありますよ」
「たばこ吸いすぎだから、半分くらいに減らした方がいいよ」
「糖尿病なんだから、甘いものを控えないと」
「もっと節約しないと、お金は貯まらないよ」
「御社は本当に遅れているから、今やらないと、他の会社に置いて行かれますよ」
しかし、このようなアドバイスはほとんど効果がありません。なぜなら、その人たちはすでに、そのように自分を変えようとする内なる声を何度も何度も聞いているからです。すでに自分の頭の中で変化について同じような議論を何百回も繰り返しているにもかかわらず、変えたくない自分が打ち勝っていて、変わらないという結論をその度に出しているからです。
他人から浅はかな「正論」を聞く前に、すでに内なる声から十分に「正論」を聞いているのです。
また、私たちは他人の意見より自分の考えが正しいと思っています。その自分が「やらない」という決断をしているのに、他人から全く同じことを言われて「はい分かりました、すぐやります」と変わるわけがありません。
さらには、私たちは自分がすでに分かっていることを他人に言わてれても効果がないどころか、逆効果になる可能性もあるのです。人に言われると一層やりたくなくなるのです。私たちは自分が知っていることを人に言われたり指示されるのも嫌なのです。
皆さんも子供の頃こんなことはありませんでしたか?
夕ご飯を食べ終わってテレビの前でグダグダしていてなかなか机に向かうことができません。「さあ勉強始めよう」と立ち上がろうとしたとたん、親から「そろそろ勉強始める時間じゃないの!」なんて言われて、一気にやる気が失せてしまった。。
世の中には2種類の「他人を変えようとする人たち」がいます。1つ目の種類の人たちは、自分の利益のために相手を利用しようとして、相手を変えようとする人たちです。もう1つの種類の人たちは、他人のためを思って変えようとする人たちです。
前者はもちろん倫理的に認めることはできません。後者は善意からそうしているのですが、しかし、実はどちらも大差ない場合もあるのです。後者の「他人のためを思って変えようとする人たち」でさえ、「自分が思う理想的な相手の姿」を相手に押し付け、その姿に近づけようとして相手を変えようとする場合もあるからです。しかも、そのような人たちの中には、「他人を変えようとするけれども、他人が望むように自分を変えるつもりはない」人たちも多くいます。
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相手の「2人の自分」に考えてもらう
とは言っても、身近な人が明らかに破壊的な道を進んでいて、将来的に深刻な問題にぶち当たるだろうと想像できるような場合は、その人に変わってもらいたいと思うのは当然の心理でしょう。
ではこのような人たちに変わってもらうためにはどうすればよいのでしょうか?
大事なのは、相手がすでに知っていることや気付いていることを言っても意味がないということです。
「あなたは禁酒する必要がある」
「御社は変わる必要がある」
などとアドバイスしても、
「まだそんなに深刻じゃありませんよ」
「なるほどそうですね、参考にさせていただきます」
「ああ、そうですか、ご指導ありがとうございました」
「そんなのは知ってますよ。あなたに言われたくないですね」
と思われたり、言われるだけです。
先ほど述べたように、すでに自分の中で同じような議論を十分重ねているし、私たちは人から指示されるのが気に入らないからです。そして、下手に知識を持っている人たちほど、ついつい自分の意見を押し付けてしまいがちです。
もし、あなたが誰かに変わってもらいたいと思うのならば、必要なのは、上から目線の上下関係ではなく、対等な関係を築くことです。相手の立場に立ち、自分の意見や価値観を押し付けることは決してせずに、相手の話を聞いて理解し、相手の中の「2人の自分」が話し合うのを助けることです。
人は、自分自身の態度や信念を、他人から言われて変えるのではなく、「2人の自分」が学び、決めていくからです。「2人の自分」に意見を戦わせて、理想的には自分自身で変化の理由を口にすることです。人は、自分の言葉を聞くことで説得されやすくなるのです。自分を一番説得できる人間は自分なのです。
そのためには、相手がすでに知っていることを繰り返し伝えるのではなく、まだ知らないことに気づいてもらったり、すでに知っていることを違う角度から見るのを助けるのです。
「そんなのは難しい!面倒くさい!時間がかかる!」と思う方々もいるでしょう。しかし、最終的にはそれが近道だったり、押し付けのアドバイスでは解決できなかったことも、できたりするのです。
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さいごに
私たちの多くは、このように変わりたい、変わらなければならないと思っています。しかし、面倒くさいなど、変わりたくない自分が勝っています。しかし、見方を変えれば、もしあなたの中の「2人の自分」が対立している状態なら、変化することに1歩近づいたとも言えます。変えるべき理由と変えたくない理由の両方が見えていて、少なくとも片方の自分は変わろうとしているのですから。
一方で、他人から見れば変わる必要があるように見えても、まったくその気配すら感じられない人たちもいます。そのような人たちは、少し難しいかもしれません。「2人の自分」の双方が「やりたくない」という意見で一致してしまっているからです。
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