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ルールを守らない人を責めても意味がない —— 協力が生まれる仕組みを生み出す

  • 投稿カテゴリー:社会が変わる
  • 投稿の最終変更日:2026年2月27日
  • 読むのにかかる時間:11 mins read

なぜ民泊の宿泊者はゴミルールを守らず、地域住民はルールを守るのか。この違いはモラルの差だけにあるのではなく「ゲームの構造」で説明できます。「コモンズの悲劇」をめぐるハーディンとオストロムの議論を、ゲーム理論と進化生物学の視点から読み解きます。

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はじめに

近所に民泊ができてから、ゴミ置き場が荒れるようになった —— そんな話をよく耳にします。宿泊者が分別のルールを無視してゴミを出す、深夜に騒ぐ、共用部分を乱雑に使う。苦情を入れようにも、相手は翌日には入れ替わっています。

一方、周辺の住民たちは何年も、時には何十年もその場所で暮らし続けています。ゴミ置き場を清潔に保つのも、近隣との関係を維持するのも、自分たちの日常生活に直接跳ね返ってきます。

同じ空間を共有しているのに、なぜこれほど行動に差が出るのでしょうか?宿泊者のモラルが低いから、文化や価値観が違うからと片付けてしまうのは簡単ですが、それだけでは正しい解決策を導き出すことは難しいでしょう。

少し視点を変えてみると、別の見方ができます。

宿泊者にとって、その場所での滞在は一度限りです。翌日には別の場所へ移動します。ルールを守らなくても、チェックアウトの際に隣の住民から少しにらまれても、それ以上の罰を受けることもありません。

一方、住民にとってはルールを守ることで、近所の他の人たちとも良好な関係を維持することができ、長期的な自分の利益にもつながります。ルールを守らなければ安全で快適な生活を維持することはできません。

つまり、これはモラルの問題ではなく、構造の問題かもしれません。同じ空間に、まったく異なるゲームをプレイしている二種類のプレイヤーが混在しているのです。

今回は、「なぜ人は協力できる時とできない時があるのか」という問いに関して、アメリカの人間生態学者ギャレット・ハーディンと、ノーベル経済学賞を受賞した政治学者エリノア・オストロムがそれぞれ提唱した理論に光を当てます。実は、ギャレット・ハーディンとエリノア・オストロムの主張については以前の記事でも書きましたが、今回は少し違った角度から両者を見直します。

ハーディンは、誰もが自由に利用できる共有資源は最終的に破壊されると主張しました。オストロムは、地域のコミュニティが独自に資源を守り続けている事例を世界中で見出し、ハーディンの見方に異を唱えました。

一見すると真っ向から対立するこの二つの主張は、実のところ、異なる条件や前提を描写しているに過ぎないのかもしれません。

今回は、二人の議論を改めて整理した上で、ゲーム理論と進化生物学という二つのレンズを通して「協力が生まれる条件は何か」を考えていきます。

そして、民泊問題に潜むメカニズムを、最後に明らかにしましょう。

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コモンズの悲劇

アメリカの人間生態学者であるギャレット・ハーディン(Garrett Hardin, 1915–2003)は、1968年にサイエンス誌に掲載されたエッセイで「コモンズの悲劇(The Tragedy of the Commons)」の概念を提唱しました。(1)

そこで彼はシンプルな問いを投げかけました。

限られた資源に多くの人が自由にアクセスできる状況で、各人が自己利益に走るとどうなるのか?

ハーディンは牧草地を例に挙げてこう述べました。

すべての人に開かれた牧草地、つまりどんな牧夫でも自由に利用できる放牧地を想像してみてください。それぞれの牧夫はそこで自分の牛を飼育しています。自分の利益を増やすための方法は、飼育する牛の数を増やすことです。

そこで、ある牧夫が自分の群れにさらに1頭の牛を増やしたらどうなるでしょうか?

ハーディンはこれを2つの要素に分解します。

正の効果:その牧夫は1頭追加することで得られる利益をすべて受け取ります。つまり「+1」の利益すべてを彼が受け取ります。したがって、各個人にとって、牛を1頭追加することは合理的なように見えます。

負の効果:しかし、牛が牧草地に1頭追加されたことで、もともといた牛に割り当てられる牧草の量が減ります。その負の効果は、その牧夫だけでなく、牧草地を利用するすべての牧夫が負担します。つまり「-1」を全体数で割ったコストを個々の牧夫が分担します。

もし、それぞれの牧夫が自分の利益だけを追求するならば、誰もが牛を増やす決断をします。すべての牧夫が同じ論理に従い、同じ結論に達し、牛を増やしていきます。

その結果、牧草地は牛であふれ、牧草は食べ尽くされ、最終的には荒廃してしまいます。皆で共有し、皆で破壊し、誰も望まない悲劇に達します。

これが、ハーディンが「コモンズの悲劇」と呼ぶものです。つまり、自分一人にとって合理的な行動をみんなが取ると、全体としては非合理的で破滅的な結果をもたらすのです。個人の合理性は、集団の非合理性につながるのです。

ハーディンは、コモンズの比喩を牛や牧草地だけにとどまらず、より広範囲に適用しました。

人口増加:「牛と牧草地」を「人間と地球」に置き換えて、多くの人が子孫を増やしていくと、その社会的コストはすべての人が負担することになります。

汚染:川に有害廃棄物を投棄する工場によって生じる負の影響は、下流に住むすべての人たちが負担します。

乱獲:誰もが自分の利益だけを考えて魚を乱獲すれば、魚の数はどんどん減っていき、いつか魚を食することが難しくなります。

ハーディンは、この罠から抜け出すための解決策として、「相互合意に基づく相互強制(mutual coercion, mutually agreed upon)」を主な答えとして提示しました。みんなが自由な行動を取ると共有地は荒廃してしまうため、共有資源を守るためにアクセスを制限したり、行動を規制したりする必要があるという考え方です。

そのために、民意によって形成された統治機関が規則を作ったり、規制を行います。漁獲割当量、排出制限、ゾーニング法などはこのアプローチにあたります。

※ なお、ハーディンは、共有地を私有財産に分割して、所有者が自らの決定によるプラスとマイナスの影響の両方の責任を負うようになれば、土地を荒廃させるほど過放牧することはないだろうという考えも言及しています。後の議論でこの「私有地化、民営化」がハーディンの主たる主張として強調して批判されることがありますが、これは原著の意図を正確には反映していません

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エリノア・オストロムの批判

アメリカの政治学者でありノーベル経済学賞受賞者のエリノア・オストロム(Elinor Ostrom, 1933–2012)はハーディンの主張を批判しました。

まず重要な点として、オストロムはハーディンが「コモンズ」と呼んでいたものを問い直しました。ハーディンが想定していたのは、誰でも自由に利用できる「オープンアクセス資源」であり、共同体によってルールが管理された本来の意味での「コモンズ(共有地)」とは異なります。この前提の違いが、両者の議論の根本的な違いにつながっています。

さらにオストロムは、私たちの社会には政府の介入がなくても、共同体が自らルールをつくり、持続的に共有資源を管理することに成功している例が多数あることを、自らが行ったフィールドワークで収集した世界各地の事例を通じて示しました。

つまり、オストロムの主張によれば、人は常に自己利益を優先するのではなく、現実には、協力し合い、規範に従い、長期的な視点に立って物事を考えます。

また、ハーディンがコモンズの悲劇を避けるために政府による介入や規制を主に提案したのに対し、オストロムは、実際のコミュニティが取っているのは第三の道である自主管理や協調行動だと指摘しました。コミュニティがルールを作り、お互いに監視し合うことで、悲劇は回避できると主張したのです。

さらにオストロムは、ハーディンの主張を裏付ける実証的なケース分析がないことも批判しました。一方でオストロムは、実証的なデータを多数収集し、コミュニティ内の合意と自主管理が資源の持続的利用に寄与することを示しました。

このようなオストロムのハーディン批判は、彼女の1990年の書籍『Governing the Commons: The Evolution of Institutions for Collective Action(2)や、2009年のノーベル賞受賞講演で示されています。(3)

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すべては文脈次第

多くの学者や研究者がオストロムの見解を支持し、ハーディンの単純な見解を批判しています。学術的には、オストロムの方が支持されてきました。

しかし、私は一方的なオストロム支持には違和感を覚えます。

現実の世界を見てみれば、理想主義的なオストロムの見解ではなく、ハーディンの見解に従って物事が進んでいることも数多くあるからです。例えば、気候変動や温室効果ガスの課題に対して、社会全体が共同体的なルールをつくり、持続的に共有資源を共同管理しているとは到底思えません。

ある研究では、オストロムの主張は比較的小規模で地域的な統治が可能なコモンズという特殊なケースにおいては妥当であるものの、国家規模や地球規模のコモンズにおいてはそのような統治が難しく、ハーディンの主張の方に正当性があるという見解が述べられています。(4)

つまり、オストロムとハーディン、どちらだけが正しく、どちらだけが間違っているわけではなく、どちらも「それだけでは不完全」なのです。文脈によって、オストロムの主張が成り立つ場合もあれば、ハーディンの主張が成り立つ場合もあります。両者は理論的に対立しているのではなく、前提条件が異なっているのです

ハーディンが想定していたのは、ルールが存在せず、排除も制裁もできない、完全に自由な「オープンアクセス」の状態です。このような状況では、個人は資源を使い尽くすインセンティブを持ち、「悲劇」が起きるのは自然な結末になります。

一方で、オストロムの主張は、コミュニティが自主的にルールを作ることができ、監視、制裁、合意形成が機能する場合に当てはまります。オストロム型の管理がうまくいくのは、比較的小規模なコミュニティで、相互作用、明確な境界、強い社会的結束などの条件がある場合です。例えば、集落の灌漑設備、地域の森林保護、ある限られた水域での漁獲制限などではそれが可能です。

しかし、規模が大きく、参加者の匿名性が高くなるほど、このような相互信頼や相互監視に基づくコミュニティの仕組みを作り維持するのは難しくなります。

地球規模の気候変動は、一つの地域の森林保護よりもはるかに複雑です。世界的な漁場での乱獲、グローバルな資源の取り合いは、各国の信頼形成が難しく、お互いに監視し合うことも困難で、フリーライダー問題が深刻です。

ハーディン:ルールなし・排除不能、グローバル規模、マクロな問題
オストロム:小規模で制度設計可能、地域共同体、ミクロな問題

ハーディンは「規制しなければ悲劇が起きる」と言い、オストロムは「コミュニティが共同管理できている」と言いましたが、問題の本質は「機能する仕組みが作れるかどうか」や「どのような仕組みを組み合わせるとうまくいくのか」にあります。

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ゲーム理論の観点から

ゲーム理論の観点から両者を見れば、ハーディンとオストロムの議論がより明確になります。ゲーム理論によれば、両者は同じ戦略的問題の異なるバージョンをモデル化していることがわかります。

ハーディンのコモンズ = ワンショットゲーム

ハーディンのモデルは、1回限りのゲーム(ワンショットゲーム)の囚人のジレンマによく似ています。公共財ゲームの参加者は、公共財の使用制限のルールに従うか、相手を裏切ってリソースを自由勝手に使うか、のどちらかを選択します。

1回限りのゲームにおいては、相手を裏切る方が合理的です。なぜなら、ゲームは1回限りだからです。2回目以降はなく、ペナルティもありません。そのため、各プレーヤーが1回のゲームからできるだけ多くを得ようとします。これがハーディンの悲劇につながります。

オストロムのコモンズ = 繰り返しゲーム

一方、オストロムの事例は、繰り返しゲームの囚人のジレンマに似ています。繰り返しゲームでは、プレイヤーは一度きりではなく、何度もゲームに参加します。1回目に相手を裏切れば、2回目にその人たちからしっぺ返しを食らうかもしれません。好き勝手に行動していると、自分の立場が悪くなっていくかもしれません。

つまり、繰り返しゲームでは、ワンショットゲームよりも、参加者が「未来志向」「全体志向」になります。その結果、お互いに協力することが合理的になります。これはオストロムがコミュニティの資源管理で観察したことです。

プレイヤーがお互いを知っているような場合は、協力しあうことが合理的です。しかし、規模が大きくなり、プレイヤー同士が知り合った仲ではない場合、繰り返しゲームの仕組みが薄れ、将来価値が大きく割り引かれるため、システムは1回限りのダイナミクスへと逆戻りします。

また、最近のデジタル技術の進化に伴う問題に至っては、例え各国が一致団結しても、たった一人の個人の裏切りがシステム自体を崩壊させる可能性もあり、繰り返しゲームにおける協力が弱まり、システムはハーディンのような結果へと向かうようになります。解決は容易ではありません。

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進化生物学の観点から

進化生物学の視点は、ハーディンとオストロムの違いをさらに明確にします。

ゲーム理論では「ハーディン=ワンショット囚人のジレンマ」、「オストロム=繰り返しゲーム」として整理しましたが、進化生物学的には、これを「どのような環境でどの戦略が進化的に有利になるか」という問題として捉えます。

ハーディンを進化生物学で読む

ハーディンの「コモンズの悲劇」は、「利己的行動が短期的な適応度を最大化する環境」を想定しています。血縁関係なし、匿名的、1回限り、懲罰なし、将来の相互作用なしという環境です。この環境下では、進化生物学的に、生物として生き延びていくためには利己戦略が望ましい戦略になります。フリーライダーが増殖し、協力戦略は淘汰されていきます。

オストロムを進化生物学で読む

オストロムの事例は環境が異なります。彼女が研究対象としたコミュニティは小規模でお互いが顔の見える関係にあり、他の人からの評判が自分の将来に影響します。裏切り行為に対する監視や制裁のシステムがあり、それが機能しています。

このような環境下では、裏切り者を排除し、協力者とだけ協力する動機が生まれます。進化生物学では、直接互恵性(direct reciprocity)間接互恵性(indirect reciprocity)文化的集団選択が働く環境です。

このような環境で進化的に生き延び繁栄するためには、周囲の人たちと協力することです。

つまり、進化生物学的に見ると、ハーディンは「協力が淘汰される環境」、オストロムは「協力が安定化する環境」と整理できます。

進化理論では、協力は「特別な道徳論」ではなく、条件が整えば自然に発生するものです。両者は対立というより、異なる進化生態系を描写しているのです。(5)(6)(7)

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さいごに

冒頭の民泊問題に戻りましょう。

民泊の宿泊者がゴミのルールを守らないが、住民は守る。この違いは、モラルや育ちの違いだけで説明されるわけではありません。

ゲーム理論の言葉を使えば、宿泊者にとってその場所での滞在は「ワンショットゲーム」です。一度きりで終わり、評判も罰もありません。ワンショットゲームにおいては、ルールを守らなくても、周囲の人たちと協力しなくても不都合は生じません。

一方、住民にとってはそこでの生活が「繰り返しゲーム」です。ルールを破れば近隣との関係に傷がつき、長期的に自分に跳ね返ってきます。繰り返しゲームにおいては、周囲の人たちと協力する方が合理的です。

進化生物学的に見れば、民泊の宿泊者が置かれているのは、匿名性が高く、将来の相互作用がなく、制裁も機能しない環境 —— つまりハーディンが描いた「協力が淘汰される環境」です。

住民が置かれているのは、顔の見える関係があり、評判が将来に影響し、相互監視が機能する環境 —— つまりオストロムが研究した「協力が安定化する環境」です。

同じ空間に、異なる生態系のプレイヤーが混在しているのです。

これは希望を示してもいます。なぜなら、人が協力しないのは、人間が本質的に利己的だからではなく、協力が合理的になる構造が整っていないからです。逆に言えば、適切な制度設計によって、協力は「道徳的な努力」ではなく「自然な行動」になり得るのです。

民泊問題であれば、例えば、宿泊者に地域のルールを事前に伝えそれを守らせる仕組み化、周辺住民が民泊業者に通報できる仕組みや、地域のルールに対して違反を繰り返した宿泊者や民泊提供者のアカウントを凍結するなどの制裁措置が、ゲームの構造そのものを変える可能性を持っています。

つまり、宿泊者にとってその場所での滞在を「ワンショットゲーム」から「繰り返しゲーム」に変えるのです。

気候変動、デジタル空間の情報汚染、グローバルな資源問題——現代のコモンズの悲劇は、民泊とは比べられないほど規模が大きく、解決は容易ではありません。

しかし、「どのような条件があれば協力が生まれるのか」という問いを持ち続けることが、その出発点になるのではないでしょうか。問題解決は、人の心の中ではなく、構造の中にあるのかもしれません。

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参考文献
(1)Garrett Hardin, “The Tragedy of the Commons“, Science, New Series, American Association for the Advancement of Science, Vol. 162, No. 3859, pp. 1243-1248, 1968/12.
(2) Elinor Ostrom, “Governing the Commons, The Evolution of Institutions for Collective Action”, Cambridge University Press, 2012/6.
(3) Elinor Ostrom,”Beyond Markets and States: Polycentric Governance of Complex Economic Systems“, Prize lecture, 2009/12/8.
(4) Eduardo Araral, “Ostrom, Hardin and the commons: A critical appreciation and a revisionist view“, Environmental Science & Policy, Volume 36, February 2014, Pages 11-23, 2014.
(5) Cressman R, Song JW, Zhang BY, Tao Y., “Cooperation and evolutionary dynamics in the public goods game with institutional incentives“, J Theor Biol;299:144-51., 2012/12/21.
(6) Elinor Ostrom, “Collective Action and the Evolution of Social Norms“, Journal of Economic Perspectives, Volume 14, Number 3, Summer 2000, Pages 137-158.
(7) Peter J. Richerson, Robert Boyd, Brian Paciotti, “An evolutionary theory of commons management“, In E. Ostrom et al. (Eds.), The drama of the commons (pp. 403–442). National Academy Press., 2002.

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