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好きと欲しいの違い Liking vs Wanting

  • 投稿カテゴリー:人が変わる
  • 投稿の最終変更日:2024年2月24日
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私たちは、何かを欲しいと思うとき、それが好きだからと考えがちです。しかし、必ずしも好きだから欲しいわけではなく、好きでなくても欲しいと思うことがあります。さらには、欲しいと思っていたものを手に入れても好きにならないこともあります。「好き」と「欲しい」は、別の脳のシステムによってコントロールされていて、心理学的にも神経学的にも違うものなのです。

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「Like:好き」と「Want:欲しい」

「Like:好き」と「Want:欲しい」は、子供たちが最初に口にするようになる言葉のひとつで、また、いったん口にするようになると、止まらなくなる言葉でもあります。

「好き」は、あるものに対して自分がどう感じるかに関係し、「欲しい」は、簡単に言えば「好き」の予測です。「このドーナツが好き」と言うとき、私たちは今食べているドーナツが良い気分にしてくれていることを他の人に知らせています。
「ドーナツが欲しい」と言うときは、私たちは「今私は何かが満たされていないので、ドーナツを食べれば解消できると思う」というようなことを伝えています。

欲しいという言葉の裏にあるのは、それを手に入れれば自分の幸福感や満足感によい影響を与えるだろうという思いです。そのため、何かが欲しいと言うとき、私たちは多かれ少なかれ、それを手に入れたときにそれを好きになるという前提があります。

しかし、実際は、欲しいと思って手に入れたものでも、幸福にも満足にもまったくつながらないことがあります。

例えば、子供が、マクドナルドでハッピーセットを欲しがったり、デパートでおもちゃを欲しがってわめき散らしても、家に帰って少し遊んだかと思えば、驚くほどあっという間に興味が冷めて、部屋の片隅に置きっぱなしにされることは珍しくありません。同様のことは、子供だけでなく、大人にもよく起こります。皆さんは、欲しかったのに手に入れても好きにならなかったり、欲しいと思わなかったものが好きになったり、好きだけど特に欲しいとは思わないようなことはありませんか?

これをアメリカの社会心理学者でハーバード大学教授のダニエル・ギルバート(Daniel Gilbert)は「ミスウォンティング(miswanting:間違った欲求)」と呼びます。(1)
私たちは自分の未来の好き嫌いを予測するのが下手で、予測は外れることが多いのです。私たちが抱く幸福の心理学はとても浅はかで、「欲しい → 手に入れようとする → 手に入れる → 好きになる」という幸せを得るための単純なシナリオを描くのですが、実際はそんなに単純には進まないのです。

この世で人生には2つの悲劇しかない。1つは欲しいものが手に入らないことであり、もう1つは欲しいものを手に入れてしまうことである。        ~ オスカー・ワイルド

In the world, there are only two tragedies in life: one is not getting what one wants, and the other is getting it.        ~ Oscar Wilde

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「Like:好き」と「Want:欲しい」の違い(2)(3)(4)(5)(6)(7)

過去20年近くにわたる動機づけに関する脳科学の研究から、単に好きと言う感情だけでは必ずしも何かをしたいという動機にはつながらないことが分かってきています。
実は、「好き」と「欲しい」は、別の脳のシステムによってコントロールされていて、心理学的にも神経学的にも区別できます。

ミシガン大学の心理学・脳科学教授ケント・C・バーリッジ(Kent C Berridge)らは、両者は側坐核(Nucleus accumbens, NAcc)の中の別々の領域で処理されることを発見しました。

「欲しい」にはドーパミンの放出を含む脳の広い領域が介在する一方で、「好き」、つまり、報酬がもたらす実際の快感は、より小さな領域(快楽ホットスポット:hedonic hotspots)に媒介され、ドーパミンには依存しません。

動機づけの働きを持つドーパミンの放出を人為的に抑制した実験では、「好き」の程度を減らすことなく、欲求行動だけを減らすことができることを確認し、ドーパミンは好き嫌いを調節するというよりも、欲しいという気持ち(インセンティブ・セイリエンス:Incentive Salience)を高め、ひいてはそれを繰り返そうとする動機づけの状態を作り出すことが分かりました。

つまり、特定の物事や活動が「好き」という感情そのものは、私たちの行動を動機づけるための前提条件にはならず、「欲しい」が動機づけや意思決定と深い関係にあるのです。

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好きではないけどやりたいこと

私たちには「好きではないけどやりたいこと」、「好きではないけど欲しいもの」があります。

例えば運動です。
多くの人は運動したいという欲求があって、運動しています。しかし、このような人たちの多くは、実は、実際の運動のプロセス、つまり運動の瞬間的、感覚的な体験を好んでいるわけではありません。むしろ運動している最中は、苦しいとか、辛いとか、もうやめたいと思っていることさえあります。

運動そのものよりも、むしろ美味しいケーキや料理を食べているときの方が好きでしょうし、早起きして走りに行くよりも、もう少し布団の中で寝ていることが好きな人も多いでしょう。

「好き」と「欲しい」の違いは、教育上でも重要な意味を持ちます。お子さんを持つ親御さんたちはよく「子供には好きなことをさせたい」とか「子供たちがやりたいと思うことをさせたい」などと言ったりしますね。しかし、この2つの文章は違う意味を持っているのです。「好き」が必ずしも「やりたい」という動機付けにつながるわけではないからです。

子供たちの動機づけを考えるとき、私たちは「好き」という観点から考え、楽しくてすぐに満足できることを優先し、それが動機づけにつながると思いがちです。しかし、動機づけのプロセスに最も強い影響を与えるのは、「望むこと」をコントロールする別の脳回路なのです。

だからと言って、特段何か新しい教育の仕組みを作り出す必要はないかもしれませんが、動機づけの脳科学を応用して、すでに行っていることを批判的に評価することに役立てることはできるでしょう。

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好きではないけどやめられないこと

私たちのまわりは、「好きではないけどやめられないこと」もあふれています。

最も顕著な例として、薬物乱用があります。薬物中毒者は、薬物が好きな訳ではありません。むしろ、薬物そのものを嫌っているかもしれませんが、欲することをやめられないのです。

以前書いた記事「ドーパミン・ネイション ~ 快楽と痛みのバランスをとる」で紹介した通り、大量のドーパミンを一気に側坐核に送り出す薬物のようなものではなくても、私たちの身の回りには様々な欲求を生み出し、痛みや辛さを避けたり減らすような商品やサービスであふれています。

例えば、スマホをしょっちゅういじっている人たちはスマホが大好きなのでしょうか?
「あ〜、ようやく今日の仕事が終わった!楽しみにしていた大好きなスマホを見る時間がやっと来た!」と帰りの電車の中でのスマホの時間を心から楽しんでいる人はいるでしょうか?
特に好きなわけではないけど、いじりたくなるのを抑えられなかったり、いじるのをやめられないのではないでしょうか?

私たちは様々な商品やサービスが提供する刺激に次から次へと手を出していきますが、この種のドーパミンの経路(中脳辺縁系経路 :Mesolimbic Pathway)がもたらす喜びは短期的で長続きしません。かつて満足していたものでは満足できなくなり、「もっと、もっと」と欲求を高めて満足度のハードルを上げていきます。

私たちの脳は快楽と痛みの均衡を取ろうとします。快楽は痛みや苦しみを引き起こし、痛みや辛さは快楽をもたらします。
そのため、お手軽な快楽を大量に取り続けることで、同時にその反動として満たされていない感覚に陥ることも繰り返しているのです。

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短期的な「欲しい」ではなく、長期的な「欲しい」を得る

便利さや快適さや刺激を際限なく提供する社会にあって、私たちが目指すべきものは、それらがもたらすお手軽な快楽ではなく、適度な辛さや苦しさであり、チャレンジや努力、計画、理性がもたらす喜びです。

チャレンジすることは辛さや痛みを伴います。しかし、先ほど述べたように、脳は快楽と痛みの均衡を取ろうとするため、その後に喜びをもたらします。
チャレンジの結果、得られた報酬が喜びをもたらすのではなく、目的の実現を目指すチャレンジの過程、つまり、目的に向かって進んでいるプロセスそのものが、緩やかで長く持続するドーパミンを生み出し、喜びをもたらします。
この経路(中間皮質経路: Mesocortical Pathway)は、先ほど紹介した中脳辺縁系経路 (Mesolimbic Pathway)と異なり、ドーパミンがもたらすのは、
より長期的な報酬を手に入れようと追求している喜びです。

Cold water therapy:冷水療法」 という、冷水に浸るという苦しみを体験することで、健全なドーパミンを促す療法があります。これによると、ドーパミンは冷浴中に徐々に安定して上昇し、その後1時間高い状態を維持します。冷水がもたらす喜びは、人工的なものではなく、身体の自然で反射的な生理的反応がもたらす喜びです。快楽から直接生じるドーパミンとは異なり、このような苦しみから生じる間接的なドーパミンはより長く持続する傾向があります。

先ほど例に挙げた運動もそうです。
運動そのものは体に有害で、体温を上昇させたり、活性酸素を増やしたり、酸素やグルコース不足をもたらします。しかしながら、運動が健康増進につながるという証拠は圧倒的で、セロトニン、ノルエピネフリン(ノルアドレナリン)、エピネフリン(アドレナリン)、エンドカンナビノイド、内因性オピオイドペプチド(エンドルフィン)など、ポジティブな気分の調節に関与する神経伝達物質の多くを増加させ、また、新しい神経細胞とその働きを支えるグリア細胞の誕生に貢献します。

ドーパミンは短期的な「欲しい」だけをもたらすのではありません。長期的な「欲しい」ももたらします。そのために努力しようとするのもドーパミンの働きです。逆にドーパミンがなければ、私たちは努力することができません。

最後にとても重要な点として、私たち人間には継続的な努力によって得られる報酬を、恐ろしいほど長い期間でさえ、先延ばしにできるという特殊な能力があります。
そのため、数年後に得られる報酬のために努力を長く継続できるだけでなく、たとえ自分が死んでから報酬が得られるようなものに対してでさえ頑張り続けることができるのです。
自分の行動で子供たちの未来が少しでも良くなるとか、例え自分が犠牲になって死んでも次の世代が生き延びられると強く信じれば、自分が直接手にすることのない報酬に対しても、ドーパミンを生み出し、頑張り続けることができるのです。

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さいごに

今回、「好き」と「欲しい」の違いから始まり、最終的には、短期的な快楽に引き込まれるのではなく、努力やチャレンジがもたらす長期的な喜びを目指すべきだという内容を書きました。

ただし、以前書いたように、そのチャレンジの背景にあるべき目的や使命、自分が大切にする価値観との関連性がなければ、いくら頑張って努力して目標を達成しても、手に入れた喜びは、チョコレートを食べたときやたばこを吸ったときと同じようにすぐに消えていってしまいます。

他の中毒と同様、外発的動機付けによる目的達成の喜びが持続することはありませんが、内発的に動機づけられた目的でさえ、ハードルを際限なく上げていき、他のことが見えなくなって、それだけになれば、強迫的、破壊的になる危険性があります。
つまり、食事や買い物のような日常的なものから、運動や努力や善意でさえ、すべての報酬や行動は、繰り返される活動の結果としてドーパミンレベルが上昇しすぎると、依存症になる可能性があるのです。

すべてにおいて、バランスが大切なんですね。

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参考文献
(1) Daniel T. Gilbert, Timothy D. Wilson, ”Miswanting: Some problems in the forecasting of future affective states”, In Thinking and feeling: The role of affect in social cognition, edited by Joseph P. Forgas, 178-197. Cambridge: Cambridge University Press, 2000.
(2) Mike Hobbiss, “‘Liking’ vs ‘wanting’. A neuroscientific view on classroom motivation”, Springer Nature, 2017/10/31.
(3) Kent C Berridge, Terry E Robinson, “Parsing reward“,  Trends Neurosci. 26, 507–513., 2003.
(4) Kent C Berridge, “‘Liking’ and ‘wanting’ food rewards: Brain substrates and roles in eating disorders“, Physiol Behav.,  97(5): 537–550., 2009/7.
(5) Kent C. Berridge, Morten L. Kringelbach, “Pleasure systems in the brain“, Neuron., 86(3): 646–664., 2015/5.
(6) Kent C Berridge, Terry E Robinson, “Liking, Wanting and the Incentive-Sensitization Theory of Addiction“, Am Psychol., 71(8): 670–679., 2016/11.

(7) Kent C. Berridge, J. Wayne Aldridge, “Decision utility, the brain, and pursuit of hedonic goals”, Social Cognition, 26, 621-646, 2008.

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