ドーパミンは、創造性の源であると同時に、狂気の源でもあります。人類を繁栄させる源であると同時に、人類を崩壊させる源でもあります。私たちはドーパミンともっとうまく付き合っていく必要があります。そして、際限なく快楽や快適さを求めるのではなく、満足感や幸福感を高めなければなりません。
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はじめに
今回は、ジョージ・ワシントン大学メディカルセンター精神医学・行動科学科教授で、臨床精神医学研究センター創始者でもあるダニエル・Z・リーバーマン(Daniel Z. Lieberman, 1964 -)と、物理学者から作家に転身したマイケル・E・ロング(Michael E. Long)の、2018年発刊の共著「The Molecule Of More(邦題)もっと!愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学」を紹介します。
この本は、筆者たちが「もっと多くを求める分子:The Molecule Of More」と呼ぶ神経伝達物質のドーパミンに焦点をあて、ドーパミンが、私たちの欲望、動機、人間関係、仕事、依存症、創造性など、生活のさまざまな側面にどのような影響を与えているか、幅広い研究事例を取り上げています。さらには社会問題に対する見解も織り交ぜながら説明していき、自分と他人をもっと理解し、よりよい人生と社会の実現を助けるものです。
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本サイトでは、以前書いた記事で、同様にドーパミンを扱った書籍「Dopamine Nation: Finding Balance in the Age of Indulgence(邦題)ドーパミン中毒」を紹介しました。
この2冊のドーパミンに関する書籍は、それぞれ違った視点や表現、アプローチを使っており、両方とも参考になるかと思います。この2冊を読むことで、ドーパミンに関して、人生や仕事や社会に役立つ知識を深めることができると思います。興味がありましたら、是非どちらとも読んでみてください。
なお、いつもと同様に私は英語の原作を読んでおり、日本語版は読んでいませんので、日本語版との用語や表現の違いについてはご了承ください。
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ドーパミンの働き
最初にドーパミンの存在を発見したのは、1957年、ロンドン近郊のランウェル病院の研究室で働く研究者、キャスリーン・モンタグ(Katharine Montagu, – 1966)です。
以降、科学者たちはドーパミンを「快楽分子:pleasure molecule」と呼び、ドーパミンが作用する脳内経路を「報酬回路:reward circuit」と呼んできました。
しかし、最近までの研究によって、ドーパミンは「快楽」というよりもむしろ「期待する喜び」の分子であることが分かってきています。なにか目新しいこと、なにかもっと良いことへの期待です。
オーストラリアのクイーンズランド大学で生理学を教えるジョン・ダグラス・ペティグリュー名誉教授(John Douglas Pettigrew, 1943 – 2019)は、脳は外界を「個人的空間:peripersonal space」と「個人外空間:extrapersonal space」に分けて管理していると発表しました。
「個人的空間:ペリパーソナル・スペース」は、自分の身の回りの手の届く範囲(near)を指し、すでに持っているものが含まれます。
「個人外空間:エクストラパーソナル・スペース」は、手の届かない範囲(far)にあるそれ以外のすべてを指し、1メートル先であろが100万キロ先であろうが、まだ持っていないものすべてを含みます。
今の日本やその他の先進国と異なり、大昔の人たちにとって、食べ物を持っていることと、持っていないことは、意味がまったく違いました。食べ物を持っていれば生き延びることができ、持っていなければ飢え死にするかもしれません。人間の進化の観点から言えば、「持っているか、持っていないか」は「生きるか、死ぬか」の死活問題でした。
そのため、この2つの空間に対する、脳の働きはまったく違います。
まだ手にしていないのならば、それを獲得しようとします。そのためには、ある場所から別の場所に移動しなければならず、移動には時間がかかるため、手に入れることは未来に起こります。つまり、個人外空間は未来にあるものと言い換えることもできます。
一方で、個人的空間は今現在を指します。別の言い方をすれば、距離は時間と連動しています。
その「個人外空間=未来」に反応するのがドーパミンです。
ドーパミンは、すでに持っているものには興味がありません。今持っていないものに関心を示し、手に入れようとします。まだ手に入れていない食べ物を手に入れて生き延びようとします。あるいは、繁栄のために、異性を獲得しようとします。それがドーパミンの機能です。
「個人外空間:エクストラパーソナル」とは、次のようなものです。
・まだ手にしていないもの、遠くにあるもの、未来にあるもの
・私たちの手の届かないあらゆる可能性、私たちが望むもの
・もし手に入れることができれば、生き延びるかもしれない。もっと繁栄できるかもしれない
ドーパミンは、私たちに期待する喜びを与え、まだ手に入れていないものや目新しいものを欲求させ、手に入れるように駆り立てる脳内物質です。私たちを生き延びさせることに執着し、より繁栄させようと、常に周囲の状況を注視しています。
そして、それが現れるとスイッチが入り、私たちに今すぐにでも欲しいと思わせ、興奮させます。欲しいという感覚は、私たちが自分の意思で選択しているのではなく、ドーパミンの作用によって、そう思わされているのです。
端的に言えば、ドーパミンは、生存と生殖につながる行動を促し、食べ物を手に入れたり、生殖行為を促したり、他人との競争に勝とうとします。競争に勝つことは生存に不可欠です。競争に勝つことで、私たちは食べ物やパートナーを手に入れて生き延び、繁栄することができるのです。
一方で、「個人的空間」、つまり、すでに手にしているものに関する分子は、セロトニン、オキシトシン、エンドルフィン(脳内モルヒネ)、エンドカンナビノイド(脳内マリファナ)などです。
ドーパミンを介した期待の喜びとは対照的に、これらは今あることに対する感覚や感情から喜びを与えてくれます。
「個人的空間:ペリパーソナル」とは、次のようなものです。
・すでに持っているもの、今手にしているもの
・すでに持っているから安心で、生き延びることができる
・個人的空間にあるものは今ここで経験することができ、それを味わい、楽しむことができる
これらの個人的空間に関わる脳内物質が活性化すると、私たちは身の回りの現実を経験するように促され、ドーパミンは抑制されます。逆にドーパミン回路が活性化すると、これらは抑制されます。
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なぜ私たちは恋に落ち、なぜ恋に飽きるのか?
理解を助けるために「恋愛」を例に挙げて説明しましょう。
なぜ私たちは恋に落ちるのでしょうか?
私たちの脳が予期せぬことを切望し、まだ手にないものを欲するようにプログラムされているためです。しかし、手の届かないものを手に入れるには、情熱は大事ですが、計画性や努力も必要です。恋愛のみならず、その他の様々な物事に対しても同様です。ドーパミンがなければ恋に落ちることも努力することもできません。
ドーパミンの主要な脳内経路は4経路あります。そのうち、短期的な欲望を満たそうとするのは、ドーパミンの中脳辺縁系経路(mesolimbic pathway)によります。手に入れたいものを手に入れるために長期的に努力する能力は、ドーパミンが作用する別の回路である中間皮質経路(mesocortical pathway)によるものです。
※本書では、おそらく読者が理解しやすいように、中脳辺縁系経路を「欲求回路(desire circuit)」、中間皮質経路を「制御回路(control circuit)」と分かりやすく表現しています。
しかし、人類学者のヘレン・フィッシャー(Helen Fisher, 1945 -)によれば、例え、恋に落ち、努力が実り、ようやく実った恋であっても、初期の情熱的な愛情は、せいぜい12カ月から18カ月しか持続しません。心がかき乱されるほどに欲した相手でも、情熱は私たちが期待するほど長続きしないのです。
恋はなぜ色あせるのでしょうか?
ドーパミンによる恋愛は、ジェットコースターのようにスリリングですが、その興奮(つまり、期待のスリル)は永遠には続かないからです。スリリングな初期の恋物語は、やがて慣れ親しんだ日常となり、平凡な毎日に変化します。その時点で新規性を求めるドーパミンの仕事は終わってしまうのです。
ドーパミンが持続するような恋を1人の相手と長く継続することは難しいのです。勝利や征服の欲求によって引き起こされるドーパミンを維持するためには、私たちは常に目新しいものや、新しいパートナーを求め続けなければなりません。
カップルがお互いに愛着を持ち続けるためには、伴侶愛のような違う種類の愛を育む必要があります。
恋愛に関して言えば、個人外空間は愛を見つけることを扱い、個人的空間はその愛を持続させることを扱います。それぞれで必要なスキルは異なり、作用する脳内物質も異なります。
個人的空間に関連し、すでに手に入れたものに対する満足感を高め、長期的な関係から幸福感を得ることに最も関連する脳内物質は、オキシトシンとバソプレシンです。オキシトシンは女性でより活性化し、バソプレシンは男性でより活性化します。バソプレシンは「良き夫ホルモン」とも言える働きをしますが、ドーパミンはその逆です。
少し深堀りすると、実は、ほとんどのカップルは、ドーパミンによる情熱的な愛が、伴侶的な愛へと進化するにつれて、セックスの頻度が減っていきます。オキシトシンとバソプレシンがテストステロンの放出を抑制するからです。
同様に、テストステロンはオキシトシンとバソプレシンの分泌を抑制するため、血中のテストステロン量がもともと多い男性が結婚しにくい理由でもあります。実際に、独身男性は既婚男性よりもテストステロンが多い傾向があります。また、結婚生活が不安定になるとバソプレシンは低下し、テストステロンは上昇します。
なお、テストステロンとドーパミンは特別な関係にあります。テストステロンは、男女ともに性欲を駆り立てます。他の個人外空間に関する脳内物質と異なり、情熱的な恋愛中、テストステロンはドーパミンによって抑制されません。実際、このふたつは連動してフィードバック・ループを形成し、私たちの恋愛感情を高めるのです。
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ドーパミンが私たちを繁栄させ、私たちを崩壊させる
恋愛話が長くなりました。。。他の事例も取り上げましょう。
私たちの現代社会、資本主義、消費型経済は、ドーパミンの仕組みをたくみに利用しています。
ほとんどの場合、企業はその原理の根幹を知ることなく、経験則から無意識に利用しているのですが、ゲーム業界やIT大手などでは、私たちの生物学的特徴をよく理解した上で意図的にその仕組みを利用しているケースがあります。逆にいうと、私たちの多くは、その仕組みを理解することなく、うまく利用されています。
それによって、ゲームをやめられなくなったり、数分のつもりが何時間もスマホをいじり続けるのです。
消費型経済が生み出す強い刺激や様々な期待に私たちは高揚します。もはやドーパミンにとって、私たちがかつて感じたような喜び、つまり、子どもを持つことや、幸せな未来の追求は、それほど魅力的でなくなりました。
ドーパミンは、それよりも、私たちを新しくオープンしたカフェや新作メニュー、新しい電化製品やファッション、映える場所へと、次から次へ誘うようになりました。
先に述べたように、人類の長い歴史の中で、欠乏の時代を生き抜く上で、ドーパミンは私たちを進化させる原動力になりました。
しかし、今や、人類は地球を支配する最強の種となり、科学と技術を発展させて、世界を自らに最適な環境に作り変え、かつてあったような生存の問題はなくなりました。
しかし、ドーパミン自体はこの外的環境の劇的な変化を理解できず、その機能を変わらず維持したままです。
そのため、多くの人たちが物質的には十分満足できる生活をすでに手に入れたのにもかかわらず、ドーパミンの作用によって、現状に満足することなく、より多く、もっと多くと求め続けているのです。
ドーパミンは、私たちが地球を破壊するまで、消費を拡大させ、さらなる贅沢と便利さを追求するように駆り立てます。
もはや、全体的に見れば、より多く、より新しく、より斬新であることが私たちの種にとって必ずしも良いことではなくなったにもかかわらず、ドーパミンの働きによって私たちは自らを止めることができないのです。
私たちはドーパミンの作用により強力になり過ぎました。物資的に豊かになり、気候変動が深刻になった今、私たちはドーパミンによって引き起こされる行動を抑制するように、かじを切らなければなりません。
そろそろ、より良いもの、より速いもの、より安いもの、より多くのものを際限なく追い求め続ける時代を終わらせる必要があります。
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さいごに
今回紹介したように、ドーパミンは、創造性の源であると同時に、狂気の源でもあります。
人類を繁栄させる源であると同時に、人類を崩壊させる源でもあります。
欲求回路におけるドーパミンの活性化が適度なうちは、熱意、希望、技術革新、人類の進歩を誘発する一方で、過剰になると、依存症や社会問題、さらには人類の破滅を引き起こす諸刃の剣なのです。
ドーパミンの欲求回路に際限がない一方で、ドーパミンがなければ、自分や社会をより良いものにしようとする努力を起こすことさえできません。私たちはドーパミンとうまく付き合っていく必要があります。
ドーパミン自体には良心やモラルは備わっていません。むしろ、絶えることのない欲望によって供給される狡猾さの源です。ドーパミンが活性化すると、罪悪感が抑制されます。欲しいものを手に入れるため、私たちに暴力という手段まで選択させようとすることもあります。
私たちは、衝動や欲望を抑え、ドーパミンの短期的期待に関わる回路ではなく、長期的期待に関わる回路をもっと利用するように、バランスを取り直さなければなりません。そして、今あるものに満足する個人的空間に関連する脳内物質による幸福感を高めていく必要があります。