交渉の専門家ハーブ・コーエン(Herb Cohen)は、ネゴシエーション(交渉)はゲームだと言います。相手と議論したり、口論もしません。何が本当の望みなのか、相手が本当に望むものと、自分が本当に望むものを探していくゲームです。真剣になり過ぎると、視野が曇ってそれが見えなくなります。
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はじめに
私たちは日常的にネゴシエーション(交渉)をしています。国と国の交渉、企業と企業の交渉のような公式の場のみならず、家庭内でも、友人ともある種の交渉を毎日のようにしています。
交渉をお互いに良いものとするために欠かせないのは、お互いがお互いの頭の中で思っていることを理解することです。
相手が何を望んでいるのか、自分は本当は何を望んでいるのか、実はお互いが本当に望んでいるものを知らなかったり、言葉に出していないことがあります。
例えば、「毎週末出かけていいわね。私も出かけたいわ」と週末出かける夫に文句を言う妻は、実は家事を少し手伝ってもらったり、自分の話を聞いてもらいたいのかもしれません。
「何でもいいよ」と言いつつ、提案をことごとく却下する友達は、「自分が選んで失敗したくないが、それでも好きなものは食べたい」と思っているかもしれません。
お互いにとって何が問題なのか、何が双方を困らせたり悩ませていて障壁になっているのか、言葉にされない相手のニーズと自分のニーズを探求し、それらを同時に満たすものを見つけるのです。
そのためには、自分が正しいと信じて一方的に自分の考えを押し付けたり、相手を説得しようと躍起になるのではなく、相手に集中して、相手が本当は何を求めているのか、態度や言動の背景にある動機、関心、価値観を深くかつ幅広く探ることが必要です。
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人は自分が見たいものを見る
人は、自分が見たいものだけを見る傾向があります。
膨大な情報の中から、自分がすでに持つ認識を裏付けるような事実を選び出し、それに焦点を当てます。自分の認識と反する事実は無視したり、軽視したり、捻じ曲げる傾向があります。
私たちが見ているものは、私たちが信じるもの、すでに知っていると思っているものによって決定されます。私たちは目で見ているのではなく、脳で見ているのです。
例えば、パートナーに対して一度「気が利かない人だ」と思い込むと、相手がたまに食事の用意や掃除をしてくれても「どうせ気が向いた時にやるだけ」「やり方が雑」と片付け、逆に靴下が落ちているのを見つけると「やっぱり気が利かない!」と自分の正しさを補強します。
取引先が「この条件では、今は弊社の社内リソース的にほんとに厳しいです」と正直に言ったとしても、「また、こちらの利益を削って、自分たちだけ儲けようとしている」と受け取ってしまうかもしれません。
また、相手の態度がどんなに理不尽だに見えても、相手側から見れば至極合理的なこともあるかもしれません。それぞれが置かれた文脈においては、誰もが正しいのです。
例えば、この文章を書いている2022年8月現在、残念ながら未だロシアによるウクライナ侵攻の収束が一向に見えませんが、プーチン大統領から見れば、彼自身が行っていることはすべて彼なりの道理にかなっているのです。
私たちは、相手に対してだけでなく、自分自身に対しても誤って認識していることがあります。
前回の記事で、ポジション(Position)と本意(Principle, Interest)の違いを説明しました。
「ポジション」は自分の意図を言葉や態度として表現したものに過ぎません。それが多少でも「本意」を表現していればよいのですが、ほとんどの場合、自分の本意を正確には反映していません。
ネゴシエーションの相手として最もやっかいで難しいのは自分自身であり、また、自分自身のために交渉することが一番難しいのです。
図:相手の頭の中にある本心を理解する

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アメリカの交渉専門家 ハーブ・コーエン(Herb Cohen)
前回の記事では、ネゴシエーション(交渉)に関する名著『Getting to Yes:ハーバード流交渉術』の共著者であり、共に国家レベルの交渉の専門家である、ウィリアム・ユーリー(William Ury)とロジャー・フィッシャー(Roger Fisher)を紹介しました。
今回紹介するハーブ・コーエン(Herb Cohen, 1933 -)もこの2人と同様にアメリカの交渉専門家で、民間および政府レベルの世界中の様々な交渉の場面で活躍してきました。日本人を含む600人が人質となった1996年の在ペルー日本大使公邸占拠事件や、1979年のイランアメリカ大使館人質事件の解決にも関わっています。
今回は、コーエンのネゴシエーションの哲学を紹介しましょう。
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1.ネゴシエーションはゲーム。真剣にやるが、真剣になり過ぎない
コーエンは、ネゴシエーションはゲームだと言います。真剣にやるものの、真剣になり過ぎないことが重要だと言います。
「とても重要ではあるが、それほど重要ではない(care, really care, but not that much)」
真剣になり過ぎると、私たちはどうしてもむきになったり、感情的になってしまいます。自分の思うようにいかないことにイライラしたりストレスを抱えます。そして、感情が絡めば絡むほど、ネゴシエーションは成功から遠ざかります。
人のためでなく、自分自身のために交渉する場合は、特に感情的になってしまいます。また、プライドやエゴによって何としても相手を打ち負かそうとするため、正しい判断が妨げられます。
交渉の際は、交渉事と自分の感情を切り離さなければなりません。
他人の交渉事を代わりにやってあげている位の心の余裕が必要です。
時に相手から理不尽な言動を受けたり感情的な暴言を吐かれたり、行き詰まりを感じたとしても、自分のことだとは思わず、「気遣いはするけど、気にし過ぎない」という一歩引いた態度で臨むのです。
客観的な第3者の目で広く状況を見渡して、争点が1点になることを避け、多くの選択肢を模索しましょう。焦点が1点だけの交渉は、ゼロサムゲームと呼ばれます。必ず勝者と敗者に分かれます。どちらかが1を手にすると、もう片方は0になり、何も手に入れることができません。
複数の論点を取り入れるようにしましょう。この点では譲らないけど、こっちは譲ってもよいなど、交渉の自由度が高まります。良い選択肢を多くもつほど良い結果を得ることができます。
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2.相手に「自分の方がかしこい」と思わせる
下のYoutubeはネゴシエーションに関するコーエンの講義を紹介していますが、私はコーエンの話し方やリラックスした雰囲気がとても好きです。
常にフレンドリーに接し、能力を隠して控えめに対応し、時にバカっぽく振舞ったりさえします。コーエンは、交渉においては、時に相手よりスマートだと思わせないことが大切だと言います。つまり、相手に「自分の方がかしこい」と思わせるのです。
相手にとって、一番やり易い交渉相手はスマートで道理が分かる人間です。逆に道理を知らない人間や常識が通用しない交渉相手はとてもやりにくいのです。
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3.相手と議論したり、口論しない
コーエンは、交渉の場で、絶対に相手と議論したり口論したりしません。相手のどこが間違えているのか、愚かなのか、劣っているのか、間違った知識を持っているのか、指摘することはしません。
仮に、相手の弱点を攻撃したり相手の主張を押し切って勝ったとしても、その勝利は一方的かつ自滅的です。
前回も書いたように、相手と対峙するのではなく、お互いが同じ方向を向いて協力して、双方に望ましい結果を目指すように意識して交渉するのです。
そのため、コーエンは交渉の場では、相手とテーブルをはさんで対峙して座るのではなく、実際に相手の横に座って同じ方向を向いて語りかけるのだそうです。
図:共に同じ方向を向く

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4.自分は何も知らないという前提で臨む
交渉には交渉には自分は何も知らないという前提で臨むことです。
しかし、多くの人は自分が知っていることを前提に交渉に臨みます。
そして、さらに悪いことに、自分が知っていることが真実だと勘違いしています。
相手の欠点ではなく、相手の優れた点に関心を寄せ、相手をできるだけ知ろうとしましょう。
自分が知らないこと、理解できないことは「あへ、すみません、理解できないので助けてください」と相手に助けを求め、質問を重ね、説明をお願いするのです。
たとえ自分が答えを知っていたとしても相手に聞くのです。
自分が話すのではなく相手に話させるのです。
そして相手を決定のプロセスに引き入れるのです。
相手がそのプロセスに時間とエネルギーを費やせば費やすほど、相手はどうしても結果が欲しくなります。
人は最初は自分が欲しいものに一生懸命になるのですが、最終的にはその関係が反対になり、時間をかけて一生懸命尽くしたものが欲しくなるのです。
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5.最終目標は、両者が自主的に「Yes」と言うこと、相手を「No」から「Yes」に移動させること
コーエンは、ネゴシエーションの最終目標は、両者が自主的に「Yes」と言うこと、相手を「No」から「Yes」に移動させることだと言います。
相手を抵抗や不支持のポジションから、前向きでコミットメントがある状態に移動させることであり、双方がネゴシエーション前の状態と比べてより良い状態に移っていることが理想です。
もちろん、「No」から「Yes」にひとっとびで移動することはできません。
その間には「う~ん」とか「よく分からないな」とか「ちょっと考えさせてくれ」などの様々なステップがあります。3歩進んで2歩下がることもあります。
そのステップを経て「この場合はどう考えますか?」とか「なるほど。そういうことか」とか「それはこういうことですね?」といった理解を深めるステップがあり、最終的に「Yes」に移るのです。
「相手の立場で物事を見る」というのは難しいことですが、交渉においては最も重要なスキルです。
よいネゴシエーションとは、相手を説得するのではなく、相手を理解して納得させるものです。
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6.謝る
コーエンは謝るのが好きだと言います。相手の話が理解できなければ、「ああ、すみません、私には理解できないので、もう少し説明してもらえますか?」とお願いします。
例えば、取引先との打ち合わせに15分遅刻したとしましょう。15分遅れてきた矢先に「電車が人身事故で止まってもう大変でした」とか「いや~、渋滞にまきこまれてしまって。。」と言おうものなら、「言い訳はいいから、早く打ち合わせに入れよ」と思われてしまいます。
一方で、「もっと早く出てくるべきでした。完全に私の責任です。貴重なお時間を無駄にしてしまい、たいへん申し訳ありません」と対応すると、相手はどう反応するでしょうか?
不思議なことに自分の非を完全に認めると、相手はそれを否定してきます。
つまり、「いやたった15分じゃないですか、全然構いませんよ」と言ってくれたりさえします。
たとえ自分が85%悪くても15%しか悪くなくても、100%自分の責任だと謝るのです。そのように謝られると、人は非難するのではなく、許すのです。
相手がどんなに難しく高圧的であったとしても、常に相手に協力的に接し、敬意を払いましょう。
最初に述べたように、ネゴシエーションは、客観的な現実に対してではなく、また、相手の外見や相手から発せられる感情に対してでもなく、お互いが頭の中に持つ幻想に対して行うのです。
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7.自分自身に正直になる
自分自身に正直になることも重要です。私のお気に入りのコーエンのエピソードを紹介します。
コーエンは以下のような質問を女性から受けました。その女性は、ある会社から仕事のオファーを受けました。彼女はその会社の担当者に言いました。
「オファー頂き、ありがとうございます。でも今のお給料の方が1万ドルも高いんです。」
すると、彼らからこう求められます。
「問題ありませんよ。私たちはあなたが今貰っている給料に合わせます。そのためには給与明細が必要なので、後で送って頂けますか?」
実は、彼女の今の給料の方が1万ドル高いなんて全くのでたらめで、給与明細ももちろんありません。彼女はどうすればよいでしょうか?
コーエンはこう答えます。私ならまず謝ります。正直に「すみません、嘘をついていました。給与明細はありません」と謝るのです。すると相手はびっくりすることでしょう。普通、誰もそんなに正直に答えないからです。さらには次のように続けます。
「嘘をついてすみませんでした。それでも、もう1万ドル追加して頂けませんでしょうか?」
なぜなら、それは彼女の偽りのない本心だからです。給与明細はないが、どうしてももう1万ドル欲しいのです。だから、正直にそう言うのです。真実を話せば、相手はショックを受けますが、相手も真実を語り始めます。
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最後に
私たちには自分が思う以上に力があります。交渉の相手がどんなに自分より力があっても、地位が高くても、自分の力を過小評価しないことです。私たちは、自分の力を過小評価し、相手の力を過大評価しがちです。自分自身にリミッターをかけています。
どんな状況にあっても、相手が誰であろうと、ネゴシエーションは可能です。
相手の意識と時間を少しでも自分に振り向けることさえできれば、相手が誰であろうが、何の交渉であろうが、ネゴシエーションできるのです。
コーエンは、最高のネゴシエーターは子どもだと言います。こどもは目指すものが高く、物おじせず、簡単にはあきらめません(ま、どういう子どもかにもよりますが)。
忍耐は最高のネゴシエーターが持つ素質です。
両親にだめだと言われると、おじいさんやおばあさんに歩み寄り、タッグを組んで両親の牙城を崩そうとします。また、子どもは相手が誰であろうと自分が望むものを伝えることができます。
私たちも相手が社長だろうが、役人だろうが、自分が望むものを伝え、少なくても相手の関心を引くことはできます。
ハーブ・コーエン(Herb Cohen)やネゴシエーション(交渉)についてもっと知りたいと思った方は、下記の書籍をご一読ください。
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