人生は出会った人と出会った本で成り立っています。
私には、1年や2年といった長い周期で時々手に取り直して、読み返す本が何冊かあります。読み直すたびに、その時々の自分と今の自分が対比される気がします。
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小さな赤い賢明さの本 Little Red Book of Wisdom
私には、1年や2年といった長い周期の中で、時々手に取り直して読み返す本が何冊かあります。今回紹介するこの本もそのような本の1冊です。
なお、本書は英語版のみで日本語訳版はありません。
私が繰り返しこの本を手に取るのは、この本が誠実さと道徳観を核として書かれていて、芯がしっかり通っており、それが少しもぶれていないからです。
誠実さや道徳を扱った本は他にも数多くあります。しかし、この本に比べると、軽く感じるか、逆に難しく書き過ぎていて心に響きません。この本からは、強い信念とぶれない自己規律を感じ取ることができ、読み直すたびに背筋が伸びる感じがします。
しかし、今の時代、このような本が主流になることはないでしょう。
初版は2007年なので決して古い本ではありません。しかし、多くの人はむしろ古臭ささえ感じるかもしれません。
世の中には、もっとお手軽に利用できる(ように見える)ハウツー本や、簡単に実践できる自己啓発の手法を紹介するマニュアル本があふれていますが、この本にはそのような小手先のテクニックの紹介は一切なく、ものごとの原理、本質、規律が書かれています。
もっと正確に言えば、モデルやテクニックでなく、最も大切にしている原理に沿って考え、判断し、規律をもって行動する著者マーク・デモス(Mark DeMoss)という人間が書かれています。
いくらモデルやハウツーを知っていても、物事の本質や原理を知らなければ、表面的な理解に留まり、本当にたどり着くべき所には到達できません。
しかし、いったん物事の本質や原理にたどり着くことができれば、すべてのモデルはそれを断片的に表現しているだけで、また、多くのモデルが物事の本質の見方を少し変えたり、違う言葉を使って違う角度から表現しているだけにすぎないと気付くのです。
本書には、全体を通してキリスト教色があります。
著者のデモス自身が敬虔な福音主義の信仰者であり、彼が設立した会社(The DeMoss Group)自体も、キリスト教団体やNGO団体、企業向けのパブリック・リレーションのサービスを提供しています。彼は、共和党のミット・ロムニー(Willard Mitt Romney)の、2008と2012年の大統領選のシニアアドバイザーも務めました。
私はキリスト教徒ではありませんが、この本に過度に宗教的なものや教義的なものを感じることも抵抗を感じることもありません。なぜなら先ほど紹介したように、宗教よりも誠実さと規律が本書の核をなしているからです。
このような本を読みにくそうと毛嫌いする人もいるかもしれませんが、そんなことはありません。私が読んでいる2011年版は全23章からなりますが、各章が独立した内容になっていて、むしろ読みやすいと思います。
今回は、この本の中からいくつかの章をピックアップして紹介しましょう。
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快適な環境から抜け出し、困難に自ら向かい合う
16歳のとき、デモスは、夏休みが始まる6月初旬の月曜日、朝7時45分、ペンシルベニア州の田舎町で車からおろされ、こう言われました。
「君の最初の家はあそこだ。今夜9時にまたここに迎えに来るよ。」
デモスは尊敬する父の意向に沿い、テネシー州のサウスウェスタン・カンパニーが主催する、学生を対象にした書籍の訪問販売に参加したのです(※ なお、この学生向けの訪問販売は現在も行われています。聖書、児童書セット、医学事典などの訪問販売で、訓練生には売上の42%の報酬が与えられます)。
それまで、デモスはお金に不自由のない、居心地のいい内気な学生でしたが、突然、一軒一軒本を売り歩かなければならなくなります。同じころ、彼の同級生の多くは、軽くアルバイトをして遊ぶお金を稼ぐか、のんびり夏休みを過ごしていました。
デモスは1日13時間労働をほぼ3ヵ月続けました。実家から車で2〜3時間の距離なのに、家は遠く遠く感じられました。
どのグループにどの地域のセールスが割り当てられるかは直前まで分からず、寝どころさえも、割り振られた地域で自分たちで探して見つけなければなりませんでした。
デモスとダンの2人のチームは、担当になった地域でいくつかの教会に電話をかけ、ある教会の引退した夫婦が2階に空いている寝室が2部屋あり、すぐに寝場所を確保できたのでラッキーでした。しかし、いつまでたっても寝どころを確保できず、何週間も仮住まいを余儀なくされるチームもいました。しかし、住む場所が確保できるできないにかかわらず、すべてのチームは、月曜日の朝には書籍の販売に出かけなければならないのです。
月曜日から金曜日まで(土曜日は朝8時から夕方6時まで)、朝6時に起床し、8時からセールスを始め、夜9時までに最後のセールスを終えるのがルールでした。デモスたちは1日80軒のドアをノックして、30回のセールス・プレゼンをすることを目標にしました。
13時間はとても長く地獄のように感じました。午後になると、何度も時計を見るのですが、まるで壊れて動いていないかのようです。
なによりもきつかったのは、長時間労働や見知らぬ土地ではなく、ノックした先で拒絶され門前払いされることでした。ドアがそっと閉まればまだよい方で、バタンと閉める人たちに心を痛められました。
とても辛い仕事でしたが、時が経つにつれて、デモスの考えは変わっていきます。
高校生のみならず大学生の訓練生まで少しづつ脱落していく中で、デモスは帰りたいと思うどころか、むしろ最後まで頑張り通して大金を稼ぐんだという決意を固めていくのです。
始めたばかりの頃は、いつになったら終わるのか時計を見てばかりいたのに、次第に販売に残された時間があとどの位残っているかを確認するために時計を見るように変わっていきます。午後の販売訪問に出かけたくないため昼食をダラダラ食べていたのに、できるだけ売り上げようと昼食抜きで歩くようになります。
同情する訪問先の家族から夕食に誘われても、残された販売時間を惜しみ丁重に断ります。毎日毎日、日が暮れるまで、最後の1軒、最後の見込み客を探し求めました。
デモスは、その後の人生で、これほど大変な仕事をしたことはなく、これほど良い訓練を受けたこともないと言います。
友人が夏休みを楽しむ間に、デモスは、顧客がお金を払うのは商品に対してではなく、売っている人に対して払うのだということを学びました。恐怖に立ち向かえとはよく言われますが、彼は高校生の夏にすでに、自分の足で道を切り開く方法、怖くても前に進んで何かをすることを学んだのです。
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傘の下にとどまる
香港にジョンという名の宣教師がいました。
ジョンは様々な国を渡り歩き、人々に奉仕してきました。ある日、アジアへ市場を拡大しようとするアメリカの水鉄砲メーカーの重役が、ジョンを香港の高級レストランでの昼食に誘います。
重役がテーブルに身を乗り出して言います。
「ジョン、20万ドルの給料を払うから、うちで働いてくれないか?」
しかし、ジョンは「興味はない」と即答します。
「今、いくら稼いでいるんだ?」と重役から迫られると、ジョンは躊躇せず答えます。
「8千ドルだよ。しかし、私はここで神に仕え、やるべきことをやっていて、これほど幸せなことはない。」
数年後、デモスはジョンに、なぜこのオファーやその他の同じように高額なオファーを断り続けたのかを尋ねます。
ジョンは、それを「傘の下にいる(staying under the umbrella)」という表現で説明しました。
「傘から出れば濡れる。私は自分の天職と目的をすでに知っている。お金や他の何かに邪魔されるつもりはなかった。」
ジョンの背後には、子供たちのキャンプ、孤児院、教会、そして変化を繰り返してきた人生の足跡がありました。
ジョンは「傘(umbrella)」と呼びましたが、デモスはそれを「フォーカス(Focus)」と呼びます。フォーカスとは、自分に与えられた仕事、目的を見失わないための内なるコンパスです。
筆者のデモスが設立し、代表を務めるデモス・グループ(The DeMoss Group)は、先ほど述べたように、開業当初から、PRというひとつのサービスを、キリスト教団体というひとつの市場に提供し続けてきました。
どんなに儲かりそうでも、善意であろうと、目的から外れたプロジェクトは断ってきました。資金集めの助言も、ラジオやテレビの仲介も、ビデオ制作も、テレマーケティングもです。ある大手スポーツドリンクの販促プロジェクトも断ったことがあります。その仕事は儲かると言われ、しかも楽しそうでした。しかし、会社のミッションとは何の関係もありませんでした。
残念ながら、このコンパスは今の世の中では、とても希少なものになっています。
コンパスの真北を目指したい、あるいは失った方向を取り戻したいと願う人は、まず、何が自分の心を躍らせるのかを自問することから始めることができます。
目的がない会社やビジョンがぼやけている組織は、汗水たらしてできるだけシンプルで簡潔なミッション・ステートメントの作成に取り掛からなければなりません。しかし、ステートメントを簡潔なものにしようとすればするほど、その作業は大変なものになります。
使命が明確になれば、その使命に従い、それからの1日1日、1回1回の決断を積み重ねるだけです。フォーカスとは、使命から外れたことにノーと言える規律であり、規律こそが真の自由をもたらすのです。自分の傘を見つけ、その傘の下にとどまるのです。
成功の秘訣は、目的に対する変わらない姿勢である。
~ ベンジャミン・ディズレーリ(ビーコンズフィールド伯爵)The secret of success is constancy to purpose.
~ Benjamin Disraeli, Earl of Beaconsfield
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誠実さに度数はない
2005年、辞書出版社メリアム・ウェブスターのオンライン・サイトにログインした人は700万人にのぼりました。その中で、他のどの単語よりも調べた人が多かった単語が「integrity」です。
「integrity」は 「価値基準や行動基準を厳格に守ること。個人的な誠実さ。完全性。統一性。健全さ」を意味します。
なぜ、誰もが知っているはずの言葉に多くの人が関心を持ったのでしょうか?
私は2004年から6年間アメリカで働きましたが、当時エンロン(Enron)やワールドコム(Worldcom)といった巨額不正事件の余波が残っており、ニュースでも度々取り上げられるのを見たのを覚えています。
1000人のアメリカ人投資家に「強い倫理観と高いリターンのどちらを重視して金融サービス会社を選びますか?」と尋ねたある調査によれば、高いリターンと答えたのはわずか50人でした。
もしそれが真実だとしたら、なぜ多くの人たちが人生で大切なものを軽んじるのでしょうか。倫理に反して金もうけに走り、生涯をかけて築き上げた評判を一瞬のうちに台無しにしてしまうのはなぜでしょうか。
私たちはよく「誠実さが高い」とか「誠実さが低い」と表現されるのを耳にしますが、デモスの考えではそれは不可能です。
もし誠実を意味する「インテグリティ(Integrity)」が「完全性」を意味するのであれば(ラテン語のintegritasは文字通り「全体」を意味します)、誠実さに関する問いは「イエス」か「ノー」かの二者択一であり、「どれだけ少ないか」でも「どれだけ多いか」でもありません。
あなたは「95%誠実な人」を信頼できますか?
普段は誠実だけど、緊急事態に陥った際には誠実さを捨て、人を押しのけてまで自己保身に走るような人を信頼できますか?
誠実さは強い自己規律がなければ獲得できません。通常時ではなく、緊急事態時、つまり「残りの5%」の時にどう行動するかで真価が問われる価値観なのです。
いったん妥協すれば、大切なものが失われます。賢明な人たちは、自分が誤りを犯しやすいことを知っているので、道しるべとなる羅針盤として、守るべき壁として、結びつける接着剤として、誠実さを堅持するのです。
「羅針盤に従う者は、海の自由を獲得する」のです。
絶対的な誠実さを、すべての行動における指針とすること、そして、誠実さを持つ人たちに囲まれるようにするのです。
雇用と昇格の基準は、第1に誠実さ、第2にやる気、第3に能力、第4に理解、第5に知識、そして最後が経験である。
誠実さがなければ、やる気は危険であり、やる気がなければ、能力は無力であり、能力がなければ、理解には限界があり、理解がなければ、知識は無意味であり、知識がなければ、経験は盲目となる。
経験は、このすべての資質を備えた人々によって容易に提供され、有効に活用される。
~ ディー・ホック(Visaクレジットカードの創設者兼元CEO)Hire and promote first on the basis of integrity; second, motivation; third, capacity; fourth, understanding; fifth, knowledge; and last and least, experience.
Without integrity, motivation is dangerous; without motivation, capacity is impotent; without capacity, understanding is limited; without understanding, knowledge is meaningless; without knowledge, experience is blind.
Experience is easy to provide and quickly put to good use by people with all the other qualities.
~ Dee Ward Hock
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さいごに
著者のマーク・デモスは、がんを患った後、2019年に、自身が28年前に立ち上げた大好きだった会社と事業を閉じました。
その会社のホームページには「Gratitude」と題された1ページだけ残されていて、デモスの感謝の言葉がつづられています。
その中で彼は、さまざまな感情の中で、感謝ほど深いものはなかったと述べています。
また、書籍にも書いている「フェンスの柱の上の亀(a turtle on a fencepost)」という言葉をホームページでも取り上げています。
亀は自分でフェンスに登ることはできないので、フェンスの柱の上にいる亀は、誰かに登らせてもらってそこにいるという意味です。デモスは自分をフェンスの柱の上に乗せてくれた様々な人たちに感謝しています。
彼の母校であるバージニア州のリバティー大学での集会での講演も下のYoutubeで見ることができます。