印刷技術の発明で本の大量印刷が可能になったことで、18世紀頃から本を通じて知識が一般の人たちに広く普及しました。しかし、「本を読むこと」が知識の新たな時代を切り開いてから300年以上が経った今、私たちは、本を読むという習慣がピークをすでに越え、衰退する時代に生きています。そして、同じように衰退しているのは、書くことであり、自分で考えることです。
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はじめに
15世紀半ば、ヨハネス・グーテンベルクが発明した活版印刷技術は、手書きによる写本が主流だった世界を劇的に変えました。書物の大量印刷が可能になったことで知識が一般の人たちに広く普及し、のちの宗教改革やルネサンス、近代科学、近代教育の発展、資本主義や民主主義の誕生を促す原動力となりました。
18世紀初頭、読書は中流階級から社会の下層階級へと急速に広まり始めます。男女や年齢、貧富の差を問わず、多くの人が本を読むようになります。それは前例のない情報の民主化で、歴史上、一般の人たちの手に知識が渡った出来事でした。
18世紀最初の10年間でイギリスで出版された書籍はわずか6,000冊でしたが、同世紀最後の10年間には、新刊の数は5万6000冊を超えました。18世紀を通じて、ドイツ語で出版された新刊は50万冊以上にも上ります。歴史家のサイモン・シャーマは、18世紀フランスの識字率は、20世紀後半のアメリカ合衆国よりも高かったと述べています。
イギリス人作家のジョージ・オーウェルは1940年に発表された児童の読書習慣に関する研究報告の際、地域で最も貧しい階層に属する子どもたちでさえも、チャールズ・ディケンズ、ダニエル・デフォー、ロバート・ルイス・スティーブンソン、G・K・チェスタトン、シェイクスピアなどの作品を自発的に読んでいると指摘しました。
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読むことの効果
読書は単に本に書かれた情報を脳に詰め込むだけではありません。
脳科学、認知心理学などの研究から、読書が脳にもたらすさまざまな効果が確認されています。
まず、読むことは、脳そのものを変化させます。脳画像研究によると、読書は、視覚処理、言語理解、意味処理など、複数の領域間の結合を活性化し、強化します。
長文を読むことで、注意力と集中力を長時間維持する力が鍛えられます。なお、この能力は、その反対の効果を持つスマートフォンの普及によって、急速に失われています。
読書は記憶力も向上させます。断片化した情報と比べて、本は相互に関連した記憶の形成を助けるためです。特に、既存の知識と結びついたり、物語として構成されたり、感情的に意味のある場合に、記憶に残りやすく、長期記憶を向上させ、より豊かな知識のネットワークを構築します。
本を読むとき、私たちは情報をただ受動的に吸収するのではなく、積極的にエピソード的なシミュレーションを行います。それによって、想像力が鍛えられ、シナリオプランニングや結果の予測能力が高まります。
いくつかの研究では、小説や物語を読むことで、共感力や相手の視点を理解する能力、社会認知能力が向上することも示されています。自分と異なる登場人物の視点に立つことで、感情指数(EQ)が高まります。この効果は、読書中の脳波にも表れます。例えば、本の中の登場人物が冒険をしている場面では、自分が実際に冒険している時に活性化する脳領域が刺激されます。
つまり、読書は、言語能力、注意力、集中力、記憶力、想像力、共感力、社会的認知を同時に強める数少ない活動の1つなのです。
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読むことの衰退
しかし「本を読むこと」が知識の新たな時代を切り開いてから300年以上が経った今、私たちは、読むという習慣のピークをすでに越え、衰退する時代に生きています。
アメリカでは、過去20年間で読書を楽しむ人が40%も減少しました。イギリスでは、成人の3分の1以上が読書をやめたと答えています。
文化庁の2023年度の「国語に関する世論調査」によると、日本でも、1か月に本を1冊も読まないと答えた人が初めて6割を超え、読書離れが深刻化している実態が明らかになりました。これは前回の5年前の調査から15.2ポイントも急増しており、調査開始以来はじめて6割を超えました。
同様の傾向は、その他の国々でも見られます。2024年末にOECDが発表した報告書で、ほとんどの先進国で識字率が「低下または停滞」していることが明らかになっています。
オーウェルが恐れたのは、本を禁じる者たちだった。ハクスリーが恐れたのは、本を禁じる理由がなくなること、つまり、本を読みたいと思う人がいなくなることだった。
~ ニール・ポストマン『娯楽に溺れる社会』What Orwell feared were those who would ban books. What Huxley feared was that there would be no reason to ban a book because there would be no aa1one who wanted to read one.
~ Neil Postman, Amusing Ourselves to Death
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スクロール文化の台頭
先ほどの文化庁の調査で、読書量が減ったと回答した人が挙げた理由は、情報やエンタメのスマホ化によって、スマートフォンに時間が取られるが43.6%でトップとなっており、SNSや動画視聴に時間を奪われている現状が浮き彫りになっています。
ソーシャルメディアのニュースフィード、Netflixの字幕など、常に文字には触れています。しかし、これらの文字を理解するのに、集中力を持続する必要はありません。
スマートフォンほど革新的で中毒性の高く、広く普及したテクノロジーはありません。映画やテレビといった従来の娯楽技術も、私たちの注意を引きつけましたが、スマホほどではありません。スマートフォンは、無意味な通知、くだらないショート動画、ソーシャルメディアの炎上ネタといったコンテンツにユーザーを引き付けるように設計されています。
こども家庭庁の「青少年のインターネット利用環境実態調査(2026年3月)」では、スマートフォンでネットを利用している子どもの平日1日あたりの平均時間が調査されています。
高校生は平日平均6時間44分(過去最長)、中学生は平日平均5時間24分、10歳以上の小学生では平日平均3時間54分となっています。なお、この調査は「スマホを用いた学習」の時間(約1時間)も含みますが、大半は動画視聴、ゲーム、SNSなどの趣味・娯楽に費やされています。
タイムズ紙の記事によると、平均すると、現代の学生は人生のうち25年間を、画面をスクロールして過ごす計算になります。
印刷技術が、一般の人たちへの知識伝達における最大の功績であったとすれば、スクリーン技術は、一般の人たちから知識を奪う最大の出来事の1つと言えるでしょう。
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書くことの衰退
そして、読むことと同様あるいはそれ以上に深刻なのが、書くことの衰退です。
書くことの衰退が読むことの衰退よりも深刻な影響を及ぼすのは、書くという行為が思考そのものだからです。
多くの脳科学者や認知科学者は、書くことは単に考えを表現する手段ではなく、思考を生み出すメカニズムであると主張しています。もしこの習慣が失われれば、個人と社会にとって重大な結果を招く可能性があります。
私は仕事をしていて、若い人たちが書かないこと、メモを取らないことを感じています。メモを取らなくても覚えておけるんだなと思っていると、やはり覚えていません。また、複数の違う情報を組み合わせたり、自分の中で整理し直すこともできません(ま、これは今に始まったことではありませんが)。
携帯電話を使用している学生はメモを取る回数が減り、授業から得られる情報も少なくなるという研究結果もあります。
デジタル技術が席巻する中、手書きでノートを取ることは時代遅れに感じるかもしれません。しかし、ペンと紙、あるいはペンとタブレットといった従来の方法でノートを取ることが、特に幼い子供にとって、依然として最良の学習方法であることを示唆する研究結果が絶えず発表されています。
「手で書くこと」は脳の接続性を促し、学習と記憶に良い影響を与えるのです。
ノルウェー科学技術大学(NTNU)の2014年の研究では、パソコンでタイピングしてメモを取る人は、深く考えずにタイピングしている一方で、手書きでメモを取る場合は、入ってくる情報に注意を払い、それを処理しながらメモを取る傾向があることが示されました。
ノートの取り方における脳活動の違いを理解するためにおこなわれた研究では、学生が手書きした場合、頭に取り付けられたセンサーが広範囲の脳領域にわたる接続性を捉えた一方で、タイピングでは、同じ領域における活動はほとんど、あるいは全く見られませんでした。
要するに、タイピングは逐語的な書き写しに近く、手書きのメモは、創造的な文章作成に近いのです。
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書くことの効果
私たちは、思考の順序を次のように考えがちです。
考える → 書く
しかし、研究によると、実際には次の順序であることも多いのです。
書く → 自分が何を考えているのかを発見する
自分で書いて要約することで、本当に理解しているかどうか確かめることができます。
ぼんやり何かを思うことはできますが、ぼんやり文章を書くことはできません。書くことは、心がさまよう非線形的な思考ではなく、構造化された意図的な思考です。
書くことで思考を外部化し、矛盾や何かに気が付いたり、情報の優先順位を整理したり、論理的に繋げることができます。
書くことをしないと、人は、直感的な判断や断片的な情報に頼ったり、外部から与えられた説明を鵜呑みにするようになります。
さらに、長文を書くことは、複数のアイデアを同時に維持することを強います。脳の実行機能とワーキングメモリを駆使する必要があります。
この複雑さへの耐性が低下すると、過度に単純化されたスローガンや、短い動画クリップ、二項対立的な議論を好むようになる可能性があるのです。
書くことの衰退は、学生や会社員だけでなく、専門家にも当てはまります。
世界で最も権威が高い科学ジャーナル『ネイチャー』誌は、2025年6月に掲載された社説「Writing is thinking(書くことは考えること)」の中で、論文を書くことは、科学的研究の不可欠な部分をなすと主張しました。書くことは論文の一部をなすため、LLM(大規模言語モデル)に論文を執筆してもらうことも、LLMを筆者とすることも認められないと書いています。
また、私たちは自分自身についての物語を構築することでアイデンティティを形成します。日記、エッセイ、ブログのようなものだけでなく、自分の考えを書き綴ることは、自己の連続性、個人的な意味、長期的な目的のようなものを生み出すのに役立ちます。
こうした実践がなければ、人生は断片的な経験の連続になってしまう可能性があります。
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考えることの衰退
読むこと、書くことの衰退の先にあるのは、考えることの衰退です。
印刷技術の発明が、私たちに読む習慣をもたらしたこと以上に重要だったのは、私たちの考え方そのものを変えたことです。
書籍の中で、知識は分類され、関連付けられ、適切な場所に収められます。書籍は、私たちに、論理的、合理的に考える力を与えてくれます。議論を展開し、アイデアを発展させます。
メディア理論家のニール・ポストマン(Neil Postman)は、「書かれた言葉と向き合うということは、思考の流れを追うことであり、そのためには相当な分類力、推論力、論理的思考力が必要となる」と述べています。
読書習慣の衰退は、様々な認知能力指標の低下を招いています。読書は、記憶力や集中力の向上、分析的思考力の向上、言語能力の向上、そして高齢期における認知機能の維持など、数多くの利点と関連付けられています。
2010年代半ばにスマートフォンが登場して以来、生徒の学力に関する最も有名な国際指標であるPISAの世界的スコアは低下し始めました。調査で、生徒たちは思考力、学習力、集中力に苦労していると答えるケースが増えています。

こう反論する人もいるでしょう。
「インターネットやAIは、印刷技術がもたらした以上の情報をもたらしているでしょ!今や何でも簡単に情報を探し出せるでしょ!衰退ではなく進化でしょ!」
確かに、そもそも考える習慣がある人にとっては、AIはものすごく有効な道具になります。今まで人に聞いたり、時間をかけて調べなければならなかったことが、ものの数分で探すことができ、空いた時間をさらなる思考に利用できます。AIを利用することで、新たな知性と創造性を手に入れることができます。
しかし、もともと考える習慣が少ない人はどうでしょうか?
AIの出現によって、AIに宿題をやらせたり、本の要点をまとめされることができます。そうすることで空いた時間をさらなるSNSや動画視聴にあてることができます。彼らはAIを利用することで、考える力を自ら弱めるのです。
AIをうまく使う人たちは、「読む → 理解する → 考える → 書く → 洗練する」のすべての段階でAIを強力なパートナーとして利用するでしょう。
しかし、そうでない人は、「AIに質問する → 回答を受け取る → 回答を利用する」を繰り返して、知識を自力で組み立てられなくなるのです。
大手テクノロジー企業は、新しい技術開発であたかも知識の拡大に多大な貢献しているかのように振る舞いますが、実際には企業の成長のためには、人がますますバカになることを助長しなければなりません。かつての封建時代の独裁者が国民を無知にすることで支配したように、単純化された人たちをスマートフォンの画面に釘付けにする必要があるからです。
私は、これからのAIの進化よりも、思考する能力の衰退をはるかに憂慮します。
テキサス大学サウスウェスタン校の医学生、ベンジャミン・ポポフはこう語りました。
最近の臨床実習で、教授は学生たちにChatGPTやOpenEvidenceといったAIツールを使って症例に取り組むよう課題を与えました。OpenEvidenceは、医療従事者が無料で利用できる、人気の高い医学系LLMです。どのチャットボットも、肺血栓を正しく診断しました。 どの学生もAIの助けを得て症例に取り組みました。
ポポフもほぼすべてにAIを使うようになります。
しかし、症状をAIに入力してAIに判断してもらうだけで、果たして医師と言えるのでしょうか?
ポポフは、真の医師になるために医学部に入学しました。医師は、患者よりも的確な質問をAIに投げかけることができるだけの存在でよいのでしょうか?
ある日、病院を出るとき、彼は気づきます。その日、彼は一人の患者の症例について、自分自身で考えたことがなかったのです。
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子どもたちへの教育
子供の将来を心配する親から最もよく聞かれる質問は、「AIの時代に子供は何を勉強すべきか?」というものです。
どの分野を専攻すべきかは、依然として学生が好きなように決めればよいでしょう。しかし、小学生から大学生まで、すべての学生が大切にすべきスキルは同じです。それは、まさに衰退しつつある深く考える力です。
教育とは、AIの使い方を教えること、AIに考えてもらうことではありません。就労支援のパソコン講座が子どもたちの学校教育の中核にはなりえないように、特定のソフトウエアの効果的な利用方法を教えることは教育の中核にはなりえません。
重要なのは考える力を取り戻すことです。考えることをAIにしてもらうやり方を教えるのではなく、自分で考えさせる機会を増やすことです。
しかし、それすら、すでに難しくなっているかもしれません。なぜなら、子どもを教育する側の大人がすでに考える力を失いつつあるからです。そして、大人自身もそれに気付いていないからです。
私は、20代のある若者に「本を読むことにいったい何の意味があるのか?」と真顔で尋ねられたことがあります。「本を読むことが考える力を鍛える」ことを、1ミリも理解できないのです。そして、そのために深く考える力が身についていないことにもまったく気付かないのです。
Youtubeで流れてくるセンセーショナルで単純化された物の見方をそのまま受け入れていて、それ以上の複雑な物の理解はできず、難しい思考を要求してくる媒体はことごとく拒否するのです。
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さいごに
以前本サイトで紹介した、コンピュータ科学の教授であり、『ディープ・ワーク』をはじめとする数々のベストセラー本の著者でもあるカル・ニューポート(Cal Newport)は、読み書き能力の衰退は深刻な問題だと警鐘を鳴らします。
なぜなら、それらは深い思考を支える二つの柱だからです。
ニューポートは、AIは「考える能力に対して、何人ものヘビー級選手が参戦してきた出来事」だと述べています。
人類文明は常に「脳機能をオフロード」してきました。記録の保管、表計算、検索エンジン、LLM、さまざまなオフロード技術がありますが、それ自体は決して悪いものではありません。
問題は、何をアウトソーシングしているのかということです。外注すべきものと、外注すべきではないものの区別をすることです。
AI時代のリスクは、人間が読み書きをやめてしまうことではありません。むしろ、人間が情報を消費し続ける一方で、情報を知恵へと変換する活動を徐々に放棄してしまうことにあるのです。
読むことで知識が得られ、書くことで知識が理解や思考へと昇華されます。AI時代のパラドックスは、本を読む人、文章を書く人、考えることができる人の数が減るからこそ、それができる人たちの価値が高まることです。
「これからはAIが考えてくれるので、知識階級が脅かされる時代になる」と言う人がいます。
確かに今までただ単に情報を整理するような仕事をしてきた人たちには厳しい時代になるかもしれません。しかし、深く考えることのできる人と、そうでない人の差はますます広がっていくでしょう。考えることができない人たちは、ますます考えることができなくなっていくからです。
所有する道具だけはどんどん立派になっていきます。しかし、多くの人が読むことも、書くことも、考えることもできない、印刷技術が生まれる前のように戻っていくのです。
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参考文献
(1) James Marriott, “The dawn of the post-literate society“, Cultural Capital, 2025/9/19.
(2) Derek Thompson, “The End of Thinking“, Derek Thompson, 2025/9/24.
(3) Cal Newport, “Is AI Making Us Lazy?“, Cal Newport, 2025/6/29.
(4) Cal Newport, “In Defense of Thinking“, Cal Newport, 2026/3/30.