インテグリティとは、難しい判断が求められる局面や、自分が不利益を被るような場面で、正しい行動をとれるかどうかで真価を問われる資質です。一般的に「誠実」と日本語に訳されますが、ある点では「インテグリティ」と「誠実」は反対の方向性を指す言葉でもあります。
~ ~ ~ ~ ~
はじめに:インテグリティとは?
「インテグリティ」という言葉を聞くことが増えてきました。
「インテグリティ」は、個人の特性や資質に関して使われることが多い言葉ですが、最近は企業の理念や価値観としても使われ始めています。
一般的に日本語では「誠実」と訳されますが、「誠実」という漢字ではなく「インテグリティ」というカタカナが行動指針や企業理念の中に取り入れられています。
しかし、英語の「インテグリティ(Integrity)」と日本語の「誠実」には、ニュアンスの違いがあります。
以前の記事(この記事やこの記事)でも書きましたが、「インテグリティ」は、とても重い言葉で、人間の心に根ざした核心的かつ厳しさを求められる資質です。
日本では「わりと誠実だ」とか「まあまあ誠実な人」とか「あまり誠実でない」などと言うことがありますが、英語の「インテグリティ(Integrity)」は「完全さ(Completeness)」であり「全体(Wholeness)」です。
そのため、インテグリティが 50%だったり、95%だったりすることは本来ありません。100 か0かのどちらかです。
インテグリティには、完全性や一貫性が求められます。難しい判断が求められる局面や、自分が不利益や痛みを被るような場面、究極の選択を迫られるケースなど、99%は発生しないが、残り1%の稀なケースで正しい行動をとれるかどうか、そのような真価を問われる資質です。
「インテグリティ(Integrity)」に似た英語に「Authenticity」や「Honesty」があります。
「Authenticity」は「自分に正直であること、自分自身であること」、「Honesty」は「他人に正直であること」を意味する英語ですが、これらは関連しながらも、それぞれ意味が異なります。
他人に正直であるとは、真実を語り、偽りのないことです。
例えば、「すみません、金庫から消えた100万円は、私が盗みました」は正直な告発ですが、インテグリティはありません。
また、「これからの人生、自分が好きなことをやるぞ!」という決意は自分に正直ですが、自分を偽らず、自由に行動することが、必ずしもインテグリティにつながるわけではありません。
正直であっても、間違っている、あるいは倫理的ではない場合があります。つまり、正直であると同時に不誠実であることが可能です。正直さがインテグリティの一部をなすことはあるものの、それだけでは足りないのです。
一般的に「インテグリティ」の日本語訳として使われる「誠実」も、実は、他人に対して正直で偽りのない態度を取ること、相手を思いやり、真心を持って接することを意味する言葉で、「インテグリティ」とは若干異なります。
インテグリティとは、自分の価値観、道徳観、行動規範、行動が一致していることです。
自分の内面の整合性です。たとえ誰も見ていない時でも、正しいことを行うことです。
インテグリティとは、たとえ誰も見ていないときでも正しいことを行うことだ。
~ チャールズ・マーシャル
Integrity is doing the right thing, even when no one is looking.
~ Charles Marshall
インテグリティは、自分自身に厳格であると同時に、時に相手に対しても厳しい言葉を投げかけることを求めます。相手からの要求が、道徳観に反しているのであれば、プレッシャーに屈せず「No」と言うことです。この点で日本語の「誠実さ」とは異なります。
~ ~ ~ ~ ~
インテグリティと誠実さ、罪悪感と羞恥心
英語の「インテグリティ」と日本語の「誠実さ」の意味の違いをさらに掘り下げましょう。
実はこれらは、欧米的な価値観と、日本的な価値観の違いでもあります。
以前、本サイトの記事『罪と恥、2つの感情の違い ~ 自分自身をどう見るか。他人からどう見られるか』の中で、罪悪感と羞恥心の違いについて書きました。
罪悪感は自分自身の行動基準や信念に反する行動をとってしまったことを反省し、その結果に責任を感じるときに生じる、自分の道徳感や倫理観と直結した感情です。
一方で、羞恥心は、他人から見て、自分が不適切、不十分である場合に、恥ずかしいと思う感情です。
罪悪感は自分自身に対する否定的な認識から生じ、羞恥心は自分に対する他人の否定的な認識から生じます。
繰り返しますが、罪の意識は自分の目を通して自分を見ることで生まれ、恥は他人の目を通して自分を見ることで生まれます。罪は自己評価で、恥は他者評価です。罪は自分自身との不整合、恥は他人や社会との不整合なのです。
以前も紹介したアメリカの文化人類学者ルース・ベネディクト(Ruth Benedict)は、その名著『The Chrysanthemum and the Sword: Patterns of Japanese Culture(邦題)菊と刀』の中で、日本は「罪の文化(Guilt Culture)」ではなく、完全に「恥の文化(Shame Culture)」だと紹介しています。
~ ~ ~ ~ ~
インテグリティと誠実さ、個人主義と集団主義
これは「インテグリティ」が欧米的な価値観で、「誠実さ」が日本的な価値観であることと共通しています。
罪と恥の関係と同様に、「インテグリティ」は自己評価かつ自分との整合を示す言葉である一方で、「誠実さ」は他者評価であり、社会との整合を示す言葉です。
概して、「インテグリティ」は欧米的な個人主義に基づいた概念で、「誠実さ」は日本的な集団主義に基づいた概念なのです。
例えば、「誠実な謝罪」とは、相手に対して心から謝罪する態度を指し、表面的ではないことを意味します。また、「彼は誠実な人だ。いつも他人に対して正直で、信頼できる」は他人に対する態度や人間性を社会的に評価しています。
日本語の「誠実」は、人との関係において求められる場面が多い、「他人に対する態度」を中心にした価値観です。
「インテグリティ」は、自分の信念や価値観に忠実であり、正しいことを貫くことです。例えば、「彼女は自分の価値観に妥協しない行動を取ることでインテグリティを示した」などです。
日本人はどちらかというと自分の信念に従って行動せず、他人の様子をうかがって行動します。何か起きると、まず、周りを見渡して他人がどう行動するかを観察します。
何かを評価する時も、誰かが評価するまで待ちます。概して、他人の意見を聞くまで自分の意見を言うことをしません。
日本には他人の判断基準、行動基準に自分を合わせる文化があるからです。集団思考、同調主義です。
つまり、日本人の多くは、自分の価値観ではなく、人の価値観に合わせて行動を選択しています。
日本では、人に聞かないと良いことなのか悪いことなのかさえ口にできない人が多くいます。なぜなら、集団に迎合することが目的になっているため、自分の意見を先に言うことで他の人たちと違う意見を持つリスクを避けたいからです。
インテグリティとは自分の核となる価値観を行動の基準にすることです。難しい局面で自分が正しいと信じる行動を導き、実行することです。
つねにまわりの人たちの行動をきょろきょろとうかがい、自分自身の行動を自分で決められない人たちがインテグリティを持つことができるのでしょうか?
日本の同調主義とインテグリティは相容れるのでしょうか?
~ ~ ~ ~ ~
ルールが先か?インテグリティが先か?
冒頭書いた通り、企業の理念や価値観として「インテグリティ」が使われることが増えています。
組織におけるインテグリティの高まりと共に「インテグリティ研修」「インテグリティ規程」などの言葉さえ目にするようになりました。
しかし、このようなインテグリティを、研修や規則で生んだり、高めたりすることはできるのでしょうか?
インテグリティは、不正、横領、セクハラ、パワハラなどに対する規則の強化や法令遵守、コンプライアンスの徹底ではありません。これほど書いてきたように、もっと深い価値観や信念に根ざしています。
「企業のインテグリティ」は「個人のインテグリティ」に基づきます。
経営者個人や従業員一人一人にインテグリティがないのに、その集合体である企業にインテグリティが生まれるということはあり得ません。
さらに言えば、インテグリティは人の在り方、人の価値観なので、仕事の範囲だけで収まりません。プライベートでインテグリティのない人が、仕事の場面だけで発揮できません。
インテグリティは内的なものです。内面の整合です。
組織にインテグリティがある状態とは、組織の価値観、道徳観、行動指針、行動が一致していることです。たとえ誰も見ていなくても、誰もが組織に深く根付いた価値観と原則に導かれ、正しい行動を取ることです。
一方でルールは外的なものです。
組織において、特定の行動を導いたり、ある行動を制限したりするために作られるツールです。
ルールが先か、インテグリティが先か、どちらでしょうか?
ルールを作ることでインテグリティが醸成されることはあるのでしょうか?
ルールは全てのシナリオを網羅できるものではありません。
ルールには書かれていないケース、グレーな状況で真価を問われるのがインテグリティです。
インテグリティがある人は、ルールがあろうがなかろうが、ルールが明確だろうが不明確だろうが、正しいことを行います。正義や倫理に則って行動するため、時に形式的に作られたルールを破ることさえあります。
インテグリティのないルールは、仏作って魂入れず、形だけのコンプライアンスに過ぎません。
インテグリティがなければ、皆、ルールに規定された最低限のことだけをしぶしぶ行います。あるいは、そもそも、都合の悪いことはルールに記載せず、当たり障りのないことだけルール化して、自己を正当化するかもしれません。
間違った理由で正しい行動をしても、「徳」と呼ばれる内的な資質や特性を育むための役には立たない。本当に重要なのはこの資質や特性だ。
~ C. S. ルイスThe truth is that right actions done for the wrong reason do not help to build the internal quality or character called a “virtue”, and it is this quality or character that really matters.
~ C. S. Lewis
ある日本の組織のこんなインテグリティ規定を見かけました。
- インテグリティ・マネジメントによって、法令及びレピュテーションの観点から適切に管理し、健全性・公正性を自律的に確保する
- インテグリティ・マネジメント室は、インテグリティ・マネジメントに関する業務を担当する
- インテグリティの確保に関し必要な事項は、別途定める
この規定で組織のインテグリティは確保できるでしょうか?皆さん、どう思われますか?
まず、「法令及びレピュテーションの観点から」インテグリティを「管理」する出発点が完全に間違っています。また、「インテグリティの確保に関し必要な事項は、別途定める」のではなく、それを真っ先に明確にしなければなりません。
インテグリティのない人にはインテグリティのルールは作れません。
インテグリティはトップからスタートしなければなりません。インテグリティのボトムアップはあり得ません。
ルールはインテグリティを支え、強化するものであり、それを置き換えるものではありません。インテグリティが先に来なければなりません。
しかし、それでもなお、依然としてルールは必要です。
~ ~ ~ ~ ~
それでもルールが必要な理由
アリストテレスは『政治学』第8巻(紀元前4世紀)で、組織がその構成員の徳の育成を怠ると組織は衰退すると警告しました。
アリストテレスにとって、機能不全とは、組織が果たすべき本来の目的を達成できないことを意味します。逆に、目的を十分に達成できる場合、組織は優れたパフォーマンスを発揮します。
不健全な組織は、優れた思考力と行動力を発揮できません。同様に、国家間の紛争に勝利することを目指す組織や、組織内の勢力争いに勝つことを目指すリーダーは、本当の目的を達成することはできません。
組織にインテグリティを求めるのであれば、つまり、組織の価値観、道徳観、行動を一致させるのであれば、ルールは、当たり障りのない規則ではなく、具体的かつ核心を突く行動を示さなければなりません。
作るべき「ルール」は、皆さんが「ルール」や「規定」と聞いて思い浮かべるような、一般的な社内規定のようなものではありません。
健全な文化はインテグリティの上に築かれます。ルールは、強固な倫理的基盤を支えるためのものであり、それを置き換えるものではありません。
日本には、「本音と建て前」という独特の文化があります。
例えば、コンプライアンス、SDGs、ESGは建前に過ぎず、本音は違うところにあり、実際の行動も違います。単に書面上整合させておくだけです。通報制度も筒抜けで多くの会社で機能していません。
「本音と建て前」が存在することは、インテグリティがないことを意味します。
ルールというよりは、より具体化した行動規範や判断基準というべきかもしれません。
100人従業員がいるのであれば、100人全員がそれに従って行動するのです。全員がそれにコミットするのです。コミットできなければ意味がありません。
そして最も重要なのは、どのような資質を備えた人物をリーダーに昇格させるのか、その基準も明確にしておく必要があることです。インテグリティのないリーダーはすべてを意味のないものに変えてしまうからです。
具体的に言えば、次に列挙したような場面でどう行動するのか、次のような行動をどう評価するか、どのような行動を組織は全面的に支持するのか、従業員に明確にしておくのです。
1.会社には有益だが、社会には不利益となる場合、どちらを優先させるか
2.社会には有益だが、顧客には負担となる場合、どちらを優先させるか
3.環境目標を達成したので、それ以上の何かをする必要はない
4.製造担当の若手職員が、長年継続している製造工程を改善したらどうかと会議の場で提起したが、会議の後で上司から偉そうに発言するなと釘を打たれた
5.製品の品質検査において、許容範囲外の数字が出たため、その数値は使わず、もう1度試験を行い、そちらの数値を採用した
6.保険外交員は、顧客に最適な商品ではなく、自分の成績を優先して商品を勧めた
7.ある研究で、立てた仮説と反する小さな異常値が見つかった。異常値を追究すれば論文発表が大幅に遅れ、精査される可能性がある。統計的に有意でないと説明すれば、誰も気付いたり、異議を唱えることはない
8.経営者は、社内の優秀な幹部が四半期目標を達成するために会計ルールを拡大解釈し、業績を膨らませたことを発見した。これを修正すると、今期目標は達成されない
9.昨日お客さんに間違った説明をしたことに気が付いたが、いまさら相手の時間を取るのも申し訳ないし、大したことではないので、そのままにした
10.部下に指示したことを自分自身が守っていないような気がしたが、深く考えないことにした
11.部下には経費や時間を厳しく管理するように指導しているが、自分は部長なので経費を使うのが仕事だし、時間管理も厳しくしなくてよい
12.勤め先の銀行で、非現実的なほどの売上目標の達成を課せられたため、営業担当である私は、多くの架空口座を開設してノルマを達成した
13.プロジェクトの進捗が遅れる兆候が現れているが、今回は、プロジェクトは順調に進んでいると報告することにした
14.理事会は、政府からの補助金確保のため、プロジェクトの成果をできるだけ良く見せるようにチームに圧力をかけた
15.SDGsとは、どう行動を変えるかではなく、今やっていることをうまくSDGsに結びつけて、SDGsロゴを名刺や会社案内に張り付けること
16.毎週参加しているこの会議は全く意味がないと思うが、他の参加者は誰も何も言わないので、自分も何も言わないでおこう
17.経営者の非倫理的な行動や間違った言動を、社外取締役も監査役も従業員も誰も指摘できない
18.社内に強い競争意識があり、他部署にむやみに情報を提供したり、不必要に協力しないように上司から指示されている
19.定年間近でゆっくりしたいので、部下たちには余計なことをして忙しくしないように圧力をかけている
20.矛盾した指示が多く、組織の中で、具体的にどのような行動が推奨され、どのような行動が推奨されないのか、従業員はまったく分からない
~ ~ ~ ~ ~
さいごに
今回説明したようにインテグリティは、従来的な日本の組織や社会にはあまりなじまない概念です。
日本は、同調主義、集団主義がいまだ色濃く、個人の価値観や道徳観より、集団の暗黙のルールの順守、集団との調和や秩序が重視されます。権威主義、帰属意識が強く、出る杭は打たれます。
一方、アメリカやヨーロッパの一部の国々は、自分の価値観に基づいた行動を重視し、自己表現や独自性が尊重される代わりに、責任も個人が負う傾向があります。
だからと言って、日本の企業がインテグリティを取り入れようとするのをやめろとか、無駄だと言っているわけではありません。
むしろ、真にインテグリティに基づいた企業文化を築いて、両方の良い面をバランスよく取り入れて融合させ、集団主義がもたらす「安心」や「協働」と、個人の「意思」や「倫理」を結びつけることができれば、組織の健全性や国際競争力が高まり、強固な組織にすることができます。
次回も引き続き、インテグリティについて書いていきます。