トランプ政権でアメリカ合衆国の副大統領を務めるJ・D・ヴァンスは、中西部のラストベルト(さび付いた工業地帯)に生まれました。困難から抜け出し能力主義の世界で成功したものの、経済至上主義、消費主義、個人主義に違和感を感じ、信仰に戻っていくヴァンスの人生を追います。
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はじめに
J・D・ヴァンス(JD Vance, 1984 -)は、2025年1月に発足した第2次トランプ政権でアメリカ合衆国の副大統領を務めています。彼が10年の時を隔てて書いた2冊の書籍を立て続けに読みました。今回はその2冊を紹介します。
1冊目の本は、ヴァンスが2016年に書いた『Hillbilly Elegy : A Memoir of a Family and Culture in Crisis(邦題)ヒルビリー・エレジー:アメリカの繁栄から取り残された白人たち』です。
ヴァンスは、アメリカ東部アパラチア地方にルーツを持つ家族の下、中西部のラストベルト(さび付いた工業地帯)に生まれました。本書は、自身の困難に満ちた生い立ちや、問題を抱える家族や地域の姿を通して、白人労働者階級が直面する社会経済的な苦境を描き出しています。
その一方で、祖父母に育てられ、名門であるイェール大学ロースクールを卒業するまでに至った軌跡が記録された回想録です。
Netflixで映画化もされたこの本は、その後、彼が広く認知され、政治家として副大統領まで登りつめるきっかけとなりました。
2冊目の本『Communion : Finding My Way Back to Faith(邦訳)コミュニオン:信仰を取り戻す道のり』は、2026年6月に出版されたばかりで、日本語版はまだありません。
この本には、2つの側面があります。1つは、前作の続編とも言える、公職に就き現在に至るまでの自身の回顧録としての側面、もう1つは、プロテスタントとして育った幼少期から、経済的な成功を追い求めた世俗的(無宗教)な時期を経て、結婚し、2019年にカトリックへ改宗するまでの自身の歩みと、価値観や社会観、政治観の変化を綴っている側面です。
どちらの本も読みやすくて、2冊を一気に読んでしまいました。
1冊目は、アメリカが抱える問題を提起しながらも、映画化されたのが分かるほど、物語としてもとても面白いです。
2冊目は、経済優先、個人優先の現代社会に異議を唱え、家族や社会の重要性を説いていて、その価値観に強く共感する私にとっては、1冊目と同じ位素晴らしい本です。
現職のアメリカ副大統領が書いているとは思えないほど、何かを被せることなく、率直に思いが語られていると思います。個人的に共感する主張が多く、彼が大統領になったらどうするのかを見てみたいと思わせるほどです。
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現職の副大統領が書いた本
1冊目の『ヒルビリー・エレジー』が出版された時、ヴァンスの名は世の中にまったく知られていなかったため、発売直後の売り上げはそれなりでした。しかし、あるインタビューでの白人労働者階級を代弁するかのような発言をきっかけに一気に世間から注目を集めるようになりました。
一方で2作目の『コミュニオン』は、現職の副大統領が書いた書籍であり、当初から高い注目を集めると共に、様々な憶測を呼びました。
書評の多くは、ヴァンスの政治的立場がカトリックの教えと整合しているのかを問うています。「カトリックを真に理解していない」とか「政治的なポジションと矛盾している」など、批判的なレビューが多く見受けられます。
例えば『ガーディアン』紙の書評は、彼のキリスト教的なビジョンを評価しつつも、トランプ政権と信仰を両立させるのは難しいと指摘しています。
カトリック系誌『アメリカ(America)』は、ヴァンスが自身の政治的見解と合致するカトリックの教えは受け入れているように見える一方で、考えと異なる側面は政治に反映していないと論じています。
『サザンクロス(Southern Cross)』誌の書評家はさらに踏み込み、本書を将来の大統領選に向けた宣伝と捉え、ヴァンスの宗教的信念は十分に展開されていないと論じています。
副大統領という国の重要な役割を担っているため、批評家が彼の政治的姿勢や宗教的姿勢との間にある矛盾を突こうとするのは当然でしょう。
「カトリックだから、Xを信じているはずだ。」
「保守派なのに、Yの政策を進めるのはおかしい。」
しかし、実際の人間はそんなに簡単ではなく、白か黒かで割り切れるものでもありません。
私自身はカトリックでもプロテスタントでもありません。キリスト教徒でもなければ仏教徒でもありません。共和党員でも民主党員でもなく、彼の宗教的な姿勢や政治的な矛盾を攻撃したり擁護する必要はありません。
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1人の人間が書いた本
私が彼の本を読んで面白いと思うのは、信仰の正しさや政治的な主張との整合性とは別のところにあります。
それは、経済、家族、支援者、教育、キャリア、時代といった様々な要素が積み重なって、不遇な家庭環境に育ったヴァンスが、一流の大学を卒業し、多くの人が成功と名義するものを手に入れた末に、ある信念や価値観を持つまでに至ったプロセスです。
私たちは、生まれながらの不遇を永遠に受け継ぐのか。
人生に現れる人たちによって、将来を左右されるのか。
成功は、自らの努力によって勝ち取られるものなのか。
そもそも成功とは何なのか。
一作目の『ヒルビリー・エレジー』の真の価値は、それが投げかける普遍的な人生の問いにあります。
二作目の『コミュニオン』では、彼の信仰や政治家としての立場を、本書が「証明」するのではなく、あくまで「背景」として扱うことで、それらがより明らかになります。
信念とは、様々な要素が積み重なって形作られるものです。それを理解するためには、その道のりを理解することから始まります。
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環境が人生に与える影響力
『ヒルビリー・エレジー』は単なる貧困に関する回顧録ではありません。なぜ一部の地域は、機能不全から抜け出せないのか、その答えも単なる貧困ではありません。
この本は、社会規範、行動様式が、いかにして世代を超えて特定の行動を形成し、そこから抜け出すことを困難にするかを説明しています。
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1. 行動のルーツとしての「家族」
人の行動に最も強い影響を与えるのは家族です。ヴァンスが育った家庭環境には次のような様々な問題がありました。
繰り返される離婚・再婚、不明確で不安定な家族構成
母親の薬物依存・情緒不安定・予測不可能な行動
こうした行動を何年にも渡って繰り返し目にし、逆にそれ以外の行動パターンを見る経験をしないことで、子供は次のようなことを自然に身に付けていきます。
人を完全に信頼するのは危険だ
感情は爆発的に表現するものだ
人との食い違いは、話し合いではなく、攻撃的に振る舞って解決するものだ
子は親から「思考パターン」や「行動パターン」を受け継ぐのです。
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2.行動のルーツとしての「地域」
子どもが影響を受けるのは家族からだけではありません。子が家族から強い影響を受ける一方で、家族自体も社会から強い影響を受けています。もし周囲の誰もが頻繁に転職し、酒を浴び、何度も離婚し、どの家庭からも毎晩怒鳴り声が聞こえるのなら、そうした行動が社会の当たり前になります。
ヴァンスの家族のルーツとなる「ヒルビリー(田舎者)」たちは、そのアイデンティティを強く意識しています。それが、集団の帰属意識、誇り、忠誠心をもたらします。
しかし同時に、集団内での常識や期待も生み出します。人は、地域社会で「普通」だと信じられているものに従って行動するため、違った行動を取るのはとても難しいのです。
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3. 時代
私たちは、生まれる場所も時代も選ぶことができません。高度経済成長期にキャリアをスタートさせる人もいれば、不況のさなかに社会へ出る人もいます。同様に、これから社会に出る若い人たちも、AI革命のさなかに労働市場へ参入することを選んだわけではありません。
私たち日本人のように全体としては平和な場所や時代に生まれ出る人もいれば、戦時下に生まれ出る人たちもいます。私たちの人生は、家族や地域だけでなく、時代の巡り合わせによっても強力に影響されます。
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安定した大人が一人いることの重要性
ヴァンスが人生で成功を収めるのに何よりも重要だったのは「ママウ(祖母)」の存在でした。
ママウは、崩壊寸前のヴァンスの子供時代において、安定をもたらす存在であり続けました。無条件の愛を注ぎつつも、規律を教え、教育の重要性を説き、母親さえも与えることができなかった「安全な居場所」を提供し続けました。
ヴァンス自身が書籍の中で発達心理学の研究を引用しているように、愛情深く信頼できる大人の存在は、それがたとえ一人であっても、子供の人生の歩みを劇的に改善しうるものです。
ママウは単なる「支えとなる親族」にとどまらず、ヴァンスの未来を導く重要な存在でした。ママウだけではなく、「パパウ(祖父)」や、離れ離れになった実の父親も、ある点ではヴァンスの精神的な支えとなりました。
しかし、ヴァンス自身が、彼らを身近に持つことを彼が選んだわけでもありません。彼らがいなければ、その後、海兵隊、オハイオ州立大学、イェール大学という環境が、その後の彼を形成していくこともなかったでしょう。
環境が変化しても変わらず努力し続ける資質、規律、誠実さ、学ぶ力、これらを身に付けようとする資質もヴァンスは受け継いだのです。
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振り戻し:どのような人間になるか
1作目の『ヒルビリー・エレジー』では、社会学的なアプローチで、人は次のような要素によって形作られていくことが述べられていると説明しました。
時代環境 → 地域社会 → 家族 → 習慣 → 人格 → 人生
しかし、2作目では、焦点がそのような「因果関係」から「意志」へとシフトします。
『ヒルビリー・エレジー』での「どのような力が、今の私たちを形作ったのか?」という問いが、『コミュニオン』では「私たちはどのような人間になり、どう考えるべきか?」に変わるのです。
ヴァンスは底辺から抜け出し、いわゆるエリート集団の一員となりました。イェール大学では、上流階級出身の人たちと同じ環境に身を置き、シリコンバレーではベンチャーキャピタリストとしてエリート集団の世界に足を踏み入れます。
しかし、そこで目にする、能力主義、経済至上主義、消費主義、個人主義、世俗主義に違和感を感じ始めます。
ヴァンスはしばしば、2つの文化の間を行き来します。
地域文化、感情的、忠実、家族
職業文化、合理的、自由、個人
彼は、新しい環境で出会うエリートたちとの交流と、努力を通して自らの可能性を高めていく一方で、次第に批判的にもなっていきます。
仕事自体がアイデンティティや情熱、人生の意味の核をなしていて、仕事はもはや経済的なものではなく精神的なものであり、集団思考の強力さは信じられないほどで、宗教的ですらありました。
エリート思考はヨーロッパやアジアでも同様で、アメリカのエリート層にとっては、もはや、世界中に散らばる同僚たちよりも、アメリカの地方に住む労働階級の方が異質な存在です。
アメリカの高学歴なエリート集団、さらにはメディア、学界、官僚の一部まで、自国のコミュニティや労働者階級を正確に理解しているかどうかにさえ懐疑的になり、不信感を募らせます。
その過程で、彼は家庭を築き、父親にもなりました。
何でも経済で語るような、経済合理性を判断の中心とする風潮がかつてないほど広まり、女性が家事をしていて外で仕事をしないことは経済的損失だとか、将来の社会を担う子どもとの時間を削ってでも目の前の仕事を優先させることにますます違和感を覚えていきます。
そして、人間性を形成するような人との交流や道徳的な枠組みの回復、家族や地域社会の営みを可能にする社会制度が必要だと政治への関心を深めていきます。
社会の機能不全の原因について考えれば考えるほど、ヴァンスの関心は経済から家族や文化へと戻り、そして自身の人生を統合する枠組みとして、豊かな社会観と伝統を持つカトリック信仰へ向かっていったのです。
家族。結婚。教会。地域社会。仕事。伝統。
富や学歴や物質的な豊かさよりも精神的な豊かさ、そしておそらく最も重要なのは、利己心を超えた拠り所となるものです。
これは単に「ヴァンスがより保守的になった」と言うよりも、はるかに深い軌跡です。単に信仰を選び取ったわけではなく、彼が積み重ねてきた経験こそが、カトリックを彼にとって理解しやすく、かつ魅力的なものにしていったのでしょう。
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さいごに
ヴァンスは著書『Communion』で日本についても言及しています。
「日本は何でも正確で、品質が高く、大好きな国だが、低下し続ける出生率が示すように、ますます多くの人たちが、恋愛にも、結婚することにも、子どもを持ち家庭を築くことにも関心を持たず、いったいどうやって存在し続けるのだろうのか。」
さて、ふと周囲を見渡すと、私たち日本人は「快適な個人生活」を追求することに、すっかり長けてしまったように感じます。
働いて、お金を稼ぎ、毎週末どこかに出かけ、長期休暇には遠くに旅行に出かけ、美味しいものを食べ、趣味を楽しみ、個人としての人生を謳歌しています。
これらそのものに何ら悪いところはありません。しかし、自分の人生を楽しいものにすることに集中するあまり、もっと根本的な何かを見失いつつあるのではないでしょうか。
実際、このようなライフスタイルは、わずかここ数十年程度の間に形成されたものにすぎません。飛行機を使った旅行は1960年代から、一般家庭が車を所有するのは1970年代に広まり始めたばかりです。人類の歴史からすれば、このようなライフスタイルの浸透は、瞬きするような短い瞬間に起きました。
人生は何のためにあるのか?
おそらく、子供、家族、キリスト教、そして人格や徳に対するヴァンスの懸念の根底には、この問いがあるのでしょう。個人の自由や快適さ、快楽を最大化することに社会がますます成功していく中で、自分を超えた何かに責任を負おうとする人が減っていけば、一体何が起きるのでしょうか?
日本は、ある意味ではアメリカよりも早く、そしてより深刻に、その問いに直面しているのかもしれません。
だからといって、誰もが子供を持つべきだとか、生活を180度反転させろと言いたいわけではありませんし、ヴァンスの主張が日本が抱える問題にすべて当てはまると言うつもりも毛頭ありません。
しかし、彼が投げかけている問いは、私たち日本人も受け止めてみる価値があるものでしょう。