今回紹介するのはイギリス人についてです。イギリス人と日本人には驚くべきほどそっくりな考え方や行動があります。天気、列の並び方、通勤時のルール、とにかく謝るところ、別れの儀式などです。イギリスになじみがない方でも、その共通点を知ることでイギリス人に親しみがわくかもしれません。
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はじめに
インターネットによる情報のデジタル化やグローバル化によって、世界中の文化が同じようになっていき、伝統的な各地の文化が失われるのではないかと懸念されています。
そして、世界中のほとんどの人たちがスマートフォンを手に入れたことでその懸念は加速しています。
また、世界中どこでも同じ味のマクドナルドやコカ・コーラ、同じデザインのナイキやザラが手に入るようになり、独自の日常的な衣食住の文化も失われるのではないかと懸念されてもいます。
東京は近年の再開発ラッシュによって、見違えるようにきれいに整備された街並みと、そこでのハイセンスなショッピングを楽しめるようになりました。しかし、その風景は、シンガポールやドバイ、シカゴ、フランクフルト、上海など、どこに行っても同じように楽しめる風景でもあります。それらの場所で私たちは同じブランドのコーヒーを飲み、同じブランドの服を試着します。
多様で個性豊かな文化が、巨大な資本主義文化によって消し去られつつあります。
- しかし、それは本当でしょうか?
それぞれの地域の文化は消え去りつつあるのでしょうか?
- いいえ、グローバリゼーションが進むにつれて、むしろナショナリズムや部族主義が強まってきています。
グローバル化によって、日本人は「標準的な世界人」になったのでしょうか?
― いいえ、良くも悪くも、日本人は日本人であり続けています。
表面的、物質的には、世界の均一化が進んでいます。
しかし、懸念に反して、深く刷り込まれたそれぞれの精神は、依然としてそこに根強く残ったままです。
世界中の人たちがナイキのトレーナーを着て、コーラを飲んで、同じような行動をとっているからといって、人間の内面まで同じになったということは決してないのです。
長い歴史の上に築かれた文化的アイデンティティは、たとえそれが誰もが変えたいと望んでいる種類のものであっても、ほとんど変えることができないまま、そこにあり続けるのです。
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イギリス人
さて、今回紹介するのはイギリス人についてです。
イギリスでも近年、今述べたように、独自のアイデンティティが失われつつあるのではないかと懸念されています。一方で、実際は、そんな懸念はどこ吹く風というように、イギリス人は強烈にイギリス人であり続けています。
前回、イギリス人とアメリカ人のものの考え方や振る舞いの違い、その文化的な背景について説明しました。その際、イギリス人には、日本人に似た特性が多いと書きました。
今回紹介するのは、日本人とイギリス人の共通点についてです。
地理的には遠く離れているのに、深く私たちの精神に刷り込まれ変わることのない、驚くほど共通する慣習があります。
あまりイギリスになじみがない方でも、その共通点を知ることでイギリス人に親しみがわくかもしれません。
なお、今回の記事を書くにあたって、イギリスの社会人類学者であり、社会問題研究センター(SIRC : Social Issues Research Centre)所長のケイト・フォックス(Kate Fox)が書いたベストセラー「Watching the English(邦題)イングリッシュネス:英国人のふるまいのルール」を参照しています。
この本は、英語版の初版が2004年に出版され、その10年後の2014年に改訂版が出されています。
著者のケイト・フォックスは、改訂版を書くにあたって、初版から10年間経ち世界は大きく変わったので、イギリス人も大きく変わってしまったのではないかと懸念していました。しかし、改めて調査し直しても、イギリス人は驚くほどイギリス人のままでした。むしろ初版の彼女の「診断」がまったく正しかったと、当時の考えを強化しました。
この本は、イギリス人について書いた本であり、イギリス人と日本人の共通点を記したものではありません。しかし、読み進めるにつれて、日本人とそっくりなイギリス人の考え方や行動様式を知ることができるでしょう。
なお、本書は日本語版も出版されていますが、下記のように前編と後編の2冊に分かれているようです。私は英語版の2014年の改訂版を読んでいます。
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イギリス人の特徴
自他ともに認めるイギリス人の特徴には次のようなものがあります。
「控えめさ」
「礼儀正しさ」
「謙虚さ」
「偽善」
「プライバシー」
「反知性主義」
「曖昧さ」
「妥協」
「公平さ」
「ユーモア、皮肉」
「階級意識」
「奇抜さ」
「寛容さ」
イギリス人の場合、これらの特徴を、きちんとした形式に則って体現しなければなりません。
人目を気にし、落ち着きがなく、ぎこちなく、そして何よりも恥ずかしそうに見えなければなりません。
反知性主義があり、滑らかさ、口先だけの軽率さ、自信に満ちた態度や傲慢な振る舞いはイギリスでは不適切かつ恥ずかしい行為です。
意外に思われるかもしれませんが、ためらい、迷いは、イギリス人の正しい振る舞いです。自分を主張するよりも謙虚さや控えめな態度が重んじられるためです。つねに不器用さがなければならず、物事は最大限の非効率性をもって行うべきです。
プライベートな事柄を赤の他人とは共有したくないため、できるだけ自分の名前を明かしませんが、その必要がある場合は、つぶやく必要があります。手をためらいがちに半分差し出し、それからぎこちなく引っ込めます。
正しい挨拶は、相手の目を見つめて満面の笑みで「ハロー!」とさわやかに挨拶することではなく、目を伏せながら「えーと、あのー、もしもし、こんにちは?」と挨拶することです。
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天気についての会話
イギリス人のあらゆる会話は、天気について話すことから始まります。
では、イギリス人は「天気について話すこと」がそんなに好きなのでしょうか?
いいえ、そんなことはありません。
天気について話すのは、実際には天気そのものが会話の目的ではありません。
例えば「いい天気ですね」「今日は寒いですね」「まだ雨が降っていますね」といった会話は、その時の天気に関心があるのではなく、形式的な挨拶、会話のきっかけ、あるいは会話をつなぐためのものです。
イギリスの天気は変わりやすく、予測することが難しいため、そのような話題として特に適しています。
天気を話題にするのは年配者だけではありません。
例えば、「話し相手に優しく丁寧な対応ができるから天気を話題に選ぶ」と答える割合は18~24歳の年齢層で最も高くなっています。また、天気の話は相手の気分を察するのに役立つと答える割合も、年配層に比べて2倍以上高くなっています。
天気の話題は、次のような場面で使われます。
- 簡単な挨拶として
- 社会的なつながりを持つ手段として
- 他の話題への会話のきっかけとして
- 他の話題で会話が途切れ、気まずい沈黙が訪れた時の「穴埋め」の話題として
- 込み入った個人的な話題を避け、当たり障りのないことだけで話を終わりにしたいことを相手に示す合図として
- 不平不満を相手と共有するためのネタとして
- ユーモアやウィットを披露する機会として
- 相手の気分を測る手段として
- 「ブリッツ・スピリット」のストイックさを共有する機会として
※ 「ブリッツ・スピリット(Blitz Spirit)」とは、「我々はイギリス人なのだからどんな危機にも耐えられる」という規律と意思
このような目的のために天気を話題として利用するため、ある種の使用上のルールが存在します。
社会的なつながりを意図しているため、重要なのは内容ではなく会話相手との関係です。
そして、最も重要なのは、同意することです。つまり、反論してはいけません。
「寒いですね」と言われたら「ええ、そうですね」とか「ほんとに今日はとても寒いですね」と返すのがエチケットです。
どうしても同意できない場合は、肯定的な響きの「うーん」にうなずきを添えるだけにしたり、「そうですね、でも私は暑がりなので、私にはこれくらいがちょうどよいです」と答えてもよいでしょう。
重要なのは共感しあうことです。意思疎通を図り、何か共通点を持つことです。会話のエチケットは中身や論理よりもはるかに重要なのです。
特に「今日はむしむししていやですね」とか「また雨でうんざりですね」といった愚痴や不満の共有は、強い共感を生むのに効果的です。
天気はとても中立的な話題です。唯一完全無害で安全な話題と言えるかもしれません。他の話題、例えば、政治や仕事、プライベートの話題には「危険」が潜んでいます。話題にしたくない意見や、意見の相違があるかもしれないからです。
天気にはそのような危険性がありません。つまり話題として無難です。そのため、知らない人同士やそれほど親しくない人同士が話すのにとても適しています。
もし天気がそれほど変わりやすくなかったならば、イギリス人たちは上記の目的を達成するために違う話題を編み出さなければならなかったでしょう。
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行列のルール
イギリス人はさまざまな場所で列をつくります。
たとえ一人でも、整然とした一人の列を作ります。
たとえば、一人でバスやタクシーを待つとき、停留所の標識のすぐ前に立って、正しい方向を向き、まさに列の先頭にいるかのように立ちます。つまり、一人で整然とした列を作ります。
日本人も同じように一人でも列を作りますね。
駅のプラットフォームで電車を待っている時、最初に来た人が中途半端な位置に立っていて、並んでいるのか並んでいないのか分からないと「いらっ」としませんか?私はいらっとします(笑)。
イギリス人も日本人と同じように「列のルール」をお互いに守ることを期待し合います。
ルール違反には腹を立てます。しかし、その感情をストレートに表現できないところも日本人と似ています。顔をしかめたり、ぶつぶつ何か言ったり、背面からじろっとにらんだりしますが、なかなか口に出して注意できません。
また、イギリス人は後ろの人が順番を抜かそうとしたり、誰かが列に割り込もうとする行為にとても敏感です。私たち日本人も、そのようなルール違反を犯そうとする「怪しげな行動」にすぐ気が付くことができます。
そのような横入りしようとしている不審者が近くにいると、まず、横目でちらちらと見て「ズルするなよ、魂胆を見抜いているぞ!」と暗に圧をかけて、けん制します。
もし、後ろに並んでいる人があなたの前に出ようとじわじわ近づいているのが明らかになると、あなたは自分のポジションを守るために、腰に手を当てたりひじを広げてさりげなくブロックしたり、立ち位置を少しずらしたり、かばんの位置を変えたり、咳払いします。
この種の防御行動とても微妙なため、イギリス人や日本人以外の外国人は、その意図にほとんど気づくことができません。しかし、イギリス人や日本人には、そのメッセージは明瞭に伝わるのです。
また、イギリス人も日本人も、厳格な公平性をもっています。
たとえば、スーパーで会計のために並んでいて、レジカウンターは左右に2つあるのに、その間にある列が1列なのか2列なのかよく分からない時があります。
そんな時、前に並んでいた男性は左側のレジが先に空くだろうと想定して左側に立ち位置をずらしたのに、右側のレジの方が先に空くと、お互いに「どうぞ」と譲り合ったりします。公平性を守るためです。
あるいは、レジの前に並んでいる男性が、レジ横の商品棚からガムを取るために、少し列からはみ出たとします。それから男性は改めて列に戻ろうとするのですが、少し気まずさそうです。
そこで、後ろに並んでいたイギリス人は少し下がって、大丈夫ですよ、その程度の距離なら資格を失っていませんよと、手で合図します。その男性は軽くうなずいて元の位置に戻り支払いを済ませます。その二人の間には、一切の言葉もアイコンタクトもありません。
これらは、例え鋭い観察眼を持っていても、日本人以外の外国人では気づかない、イギリスの日常的な列に関する礼儀作法です。
ただし、イギリス人の列における厳格さは日本人よりもさらに厳しいです。
2011年8月にロンドンで暴動が起きた際には、略奪者たちが整然と列を作り、店の割れたガラスの窓から一人ずつ店に押し入りました。
暴動や騒乱の最中、そして明らかな犯罪行為を犯している最中でさえ、列のルールを違反して横入りしようとするものは、しかめ面を向けられたり、激しく咳き込まれたりして、非難されるのです。
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通勤通学時のルール
通勤時の電車やバスなどの公共交通機関利用時のルールにも、イギリスと日本には多くの共通点があります。
通勤時に、バス停や駅のプラットフォームでバスや電車を待っていると、同じような時間帯に同じように列をなし、毎日のように居合わせる人たちがいることに気が付きますね。
アメリカ人などは、このような場合、気軽に話しますが、イギリス人は、決して、会話することなく、目を合わせることすらありません。イギリス人は同じ空間を共有しているという事実を認めないかのように振舞います。
イギリスの通勤客が毎朝同じ人たちと同じ車両に乗っているのに何年も言葉を交わさないというのはよくあることで、全く普通のことだと考えられています。日本人以外の他の外国人には全く信じられません。
もし一瞬でも目が合ってしまったら、すぐに目をそらさなければなりません。
もし1秒でもアイコンタクトが継続すると、相手が男性であれば「挑発」と思われ、相手が女性であれば「誘惑」と解釈される危険性があります。この点では日本の方が厳しく、日本ではさらに「痴漢」とか「変態」と解釈される危険性もあります。
もしお互いに害がなさそうだと感じても、挨拶をすることは決してありません。
挨拶をしてしまえば、続けて話しかけざるを得なくなってしまうかもしれないからです。
一度目を合わせ、一度話しかけたら、明日から毎朝話しかけることを意味します。一度その人の存在を認めてしまうと、その人が存在しないふりをすることはできず、毎日丁寧な言葉を交わさなければならなくなるかもしれません。
ただし、同じバス停に並んでいる以上の共通点がないので、こうした会話はとても気まずく、恥ずかしいものになります。お互いにプライバシーを守りたいので、アメリカ人のように個人的なことをベラベラしゃべることもできません。
そのような問題を避けるために「お互いの存在を認めること」を避ける方法を見つけなければなりません。例えば、毎日乗る車両を変えたり、コーヒースタンドの後ろに隠れたりするなどです。電車の中ではでかい新聞を広げて自分の姿を周囲から隠します。イギリスの新聞紙は便宜上そのような大きさになっているのです。
たまたま、同じ車両で、向かい合わせに座ってしまった場合は、目を合わせないようにします。日本人が座席で寝たふりかスマホを終始いじっているのも、周囲の人たちと目を合わせたくないからかもしれません。
しかし、この存在否定のルールにはいくつかの例外規定があります。
つまり、存在否定のルールを破り、他の乗客の存在を認め、実際に直接話しかけることが許される状況があります。
その1つは、「礼儀正しさの例外」で、例えば、偶然人にぶつかってしまった場合は、「すみません」と謝らなければなりません。バスの後部座席の二人掛けの席に座る場合なども同様に「すみません」と言います。
ただし、これらの礼儀正しさは、会話のきっかけや、その後の会話への前置きとはみなされません。つまり、必要な謝罪をした後は、すぐにお互い他人に戻ることが許されているのです。
もう1つの例外規定として、「不平不満の例外」があります。
このケースは、なにか予期せぬ問題やトラブルが発生したときに起きます。
例えば、乗車中の電車や飛行機のスピーカーから遅延のアナウンスが流れたり、電車が突然止まった時などです。
このような場合、イギリス人の乗客は突然お互いの存在に気づきます。
それまで何年も同じ車両に乗りながら目を合わせることすらなかったのに、急にアイコンタクトを取り、肩をすくめたり、目をぐるりと回すような表情をして、不満を共有するのです。
しかし、このようなアイコンタクトも一回限りです。
電車が無事に動き始めると、またお互いに赤の他人の関係に戻るのです。
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謝る習慣
イギリス人はよく謝ります。
「すみません、あなたのコートの上に座っていました」とか、誰かに道を譲ってもらうときに「どいてください」の意味で「すみません」と言います。「あなたの言ったことをよく聞き取れませんでした。もう一度言っていただけますか?」の意味で「すみません」を使うこともあります。
人とぶつかったときにも「すみません」と言いますが、実際にはぶつからなかった「ニアミス」でさえ「すみません」と言います。「すみません」はあまりにも習慣的で機械的であるため、人ではなく、ドアや街灯などの物にぶつかったときにも「ごめんなさい」と言うことがあります。
調査によると、イギリス人は平均して 1 日 8 回「すみません」を言い、 1 日に 20 回以上言う人もいます。もちろん、これは質問を受けたときに覚えている「すみません」の数だけです。無意識で反射的な「すみません」を含めた実際の総数はさらに多いでしょう。
書籍の著者のケイト・フォックスは、駅、地下鉄、バス停、ショッピングセンター、街角など、混雑した公共の場で、偶然であるように見せてわざと人に軽くぶつかり、相手が「すみません(Sorry)」と言うかどうか実験を繰り返しました。
筆者がぶつかったイギリス人被害者の約80%は、明らかに筆者の責任であるにもかかわらず、「すみません」と言いました。
対象者には、イギリス人のみならず外国人観光客も含め、フランス、ベルギー、イタリア、ロシア、ポーランド、レバノン、スイス、ギリシャ、米国、アルバニアなど、できるだけ多くの国籍の人にぶつかるように努めました。その結果、日本人だけがイギリス人の「ごめんなさい」反応に近いものを持っていることが分かりました。
他の国籍の人たちが失礼だったり不快を示したというわけではありません。ほとんどの外国人は「気をつけて!」とか「前を見て歩いてね」などと注意してくれました。
しかし、日本人の反応を測定するのは容易ではありませんでした。筆者がぶつかろうとすると、日本人は瞬時に感知して、ぶつかる前にさっと身をかわすため、日本人に自然にぶつかることがとても難しかったからです。
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ロンググッバイ・ルール
親戚や友人など誰かが自分の家に尋ねに来たとします。
久しぶりの再会に話に花が咲きます。しかし、それが2時間、3時間と続くと、だんだん苦痛になってきて、参加者の最大の関心は「いつこれを終わらせるか」になります。
イギリス人は、このような場面で別れの挨拶の口火を切るのが苦手です。ぎこちなく、気まずく、下手くそです。
誰かが勇気を出して「そろそろ暗くなってきたね」とようやく口に出したのに、他の誰かがどうしようもない話題を持ち出して会話を続けてしまったりします。
誰かがまた「じゃあ、またすぐ…」と言って、それがさらに「ああ、そうか、じゃあ…」「じゃあ、そろそろ」「楽しい時間でした」「ああ、何でもないよ」「じゃあ、そろそろ、さよなら…」「今の時間は渋滞かもね、えーと…」「そこで突っ立っていたら風邪引くよ!」「ご飯も食べていったら?」「ちょっと待って」「大丈夫、本当に…」と続いていきます。
そして誰かが「次は私たちのところに来てね…」「じゃあ、明日メールするね…」と言って、最後の掛け合いが再び始まります。
去っていく人たちは、もう逃げ出したくてたまりません。しかし、突然帰るのは失礼です。迎え入れた側も、追い出しているように思われては失礼なので、できるだけ引き止めようとします。双方が別れを惜しむ姿を演じなければならないのです。
最後の、最後の、最後の別れが言い尽くされ、全員が車に乗り込んだ後、車の窓が下げられ、別れの言葉が最後にもう1ラウンド交わされます。
その最終ラウンドが終わり、いよいよ車を発車させる際、親指と小指を電話の形に伸ばし、耳に手を当てて、また連絡を取り合おうと約束することもあります。
そして、最後の、最後の、最後に、見送る側は、車が見えなくなるまで見送ります。この長い別れの試練の儀式が終わると、皆、安堵のため息をつくのです。
そして、車が見えなくなると、態度が急変します。
「あぁ、永遠に帰らないかと思ったよ!」とか 「いろいろ話が弾むけれど、ちょっと長居しすぎだよね」とか「お茶を飲みなおして少し休もうか」などと愚痴をこぼすのです。
しかし、彼らは、この長い別れの儀式を中途半端に終わらせることができません。中途半端に終わってしまうと、相手に失礼だったのではないかと不安になったり、ルール違反を犯したのではないかと罪悪感が残るからです。
イギリス人はこの儀式を「saying goodbye」ではなく「saying goodbyes」と言います。つまり、単数形ではなく複数形を使います。「さよなら」は一度だけでなく、何回も繰り返さなければならないからです。
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さいごに
以上、イギリスの社会人類学者のケイト・フォックスが書いたベストセラー「Watching the English(邦題)イングリッシュネス:英国人のふるまいのルール」で紹介しているイギリス人の特性のうち、日本人と共通しているものをピックアップしました。
一部だけの紹介ですが、すでにイギリス人に親近感を覚えた人も多いのではないでしょうか?
書籍ではその他様々なイギリス人の特性を紹介していますが、紹介した他にも「日本人と似ているな~」と思うようなものはいくつもあります。
仕事が終わった後の飲み屋での振る舞いや(日本は居酒屋ですが、イギリスはパブです)、人のうわさ話が好きなこと、女性同士の会話や男性同士の会話などです。ご興味のある方は書籍を手に取ってみてください。
なお、筆者のケイト・フォックスは、仕事で1ヶ月ほど日本に滞在したことがあります。イギリス人と同じように、日本人も、恥や困惑の文化があり、双方の国民の人生に大きな影響を及ぼしていることを知ります。
しかし、そんな彼女の目にも、日本人の同僚たちは、とても奇妙に映りました。
例えば、何もすることがないのに夜の9時までオフィスに残ったり、12人参加している会議で話しているは2人だけで、あとの10人はただテーブルに座っているだけなどです。これらの行動は彼女をもってしても理解不能でした。
彼女は、自分が書いたような本の日本人バージョンがあれば、もっと日本人を理解できるかもしれないと振り返っています。